K29.伊豆地方の地球温暖化量
著者:近藤純正
	29.1 はしがき
	29.2 石廊崎と浜松、石廊崎と網代の気温差
	29.3 観測方法の変更による補正
	要約
	文献
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静岡県伊豆半島の地球温暖化量を求めるために、石廊崎と網代における 観測資料を解析した。 石廊崎測候所周辺の里山では木炭生産の衰退に伴い樹木が生長し、 「陽だまり効果」によって年平均気温が上昇傾向となった。そこで、 1966年からは網代測候所における観測値をつないで使用することとした。 しかし、網代測候所では1970年代から1980年にかけて、隣地に菓子工場が建設 されたことで年平均風速の弱化にともない年平均気温が0.15℃ほど上昇したと 推定されるので、このぶんを補正した。さらに、1日3回観測の時代(1938~ 1952年)の補正と、百葉箱内気温観測から電気式隔測気温観測への切り替え に伴う補正もほどこした。 その結果、120年間の資料から、伊豆地方における地球温暖化量は100年間 当たり0.33℃の上昇率であることがわかった。(2006年12月02日完成)


29.1 はしがき

これまでの解析によれば、日本の気象台・測候所のデータは都市化や陽だまり 効果の影響を受けており、さらに観測法の変更もあるので、真の地球温暖化量 を知るには、いずれの地点でも観測値に補正を施さなくてはならないことが わかってきた。長期データがあり、補正量がない地点を選びたいのであるが、 日本にはそのような地点は殆んど存在していない。

この章では、伊豆半島の北部(南熱海)にある網代測候所と伊豆南端にある 石廊崎測候所(いずれも現在無人の特別地域気象観測所)における気温観測 資料を用いて地球温暖化量を求める。

網代測候所は漁港を見下ろす斜面上にあり、斜面と斜面下の漁港周辺は昔から 人家が多いが、その周辺環境の変化は小さいと見なされる。 また、石廊崎測候所の周辺には一般の住宅はなく、田舎の代表的なところで ある。それゆえ、この両地点を中部日本の太平洋沿岸の代表地点として選定 したのである。

しかし、両地点では、周辺環境の変化により1970年のころから風速が減少して いる。その主な原因として、網代では南側に菓子工場が建てられたこと、 石廊崎では周辺で木炭生産がなくなり、樹木が生長してきたことによる。

詳細は「写真の記録」の「63. 伊豆の網代 測候所」「62. 石廊崎測候所」、 及び「K24. 伊豆石廊崎の樹木生長と気温上昇」「K27. 風速減少と気温上昇の関係」の27.2節を参照 のこと。

昔、石廊崎は長津呂と呼ばれ、現在地より離れた場所に気象観測所が設置され 1897年からの観測資料が残されているが、途中で観測の中断がある。その 中断した期間(1914~1922年、1932~1939年)については、静岡県西部に 位置する浜松のデータ(1986年~)から推定する。

現地における聞き取り調査によれば、網代測候所の隣地には1972年に菓子工場 が新築、1980年ころ増築されている。実際の風速の記録を調べてみると、 1974年から1982年にかけて年平均風速の弱化が見られ、その期間に 年平均気温が0.15℃上昇したものとして補正を行う。

網代における0.15℃の気温上昇の大きさは「K27. 風速 減少と気温上昇の関係」の表27.1に示した値である。その表によれば、 石廊崎の風速減少率=25%、網代の風速減少率=15%に対し、石廊崎と網代の 年平均気温上昇率の差=0.1℃であり、年平均気温の上昇率が風速減少率に 比例するという仮定によって0.15℃が推定された。

29.2 石廊崎と浜松、石廊崎と網代の気温差

2005年10月1日の浜松測候所無人化に先立って発行された「浜松測候所 百二 十三年の歴史」(浜松測候所、2005年9月発行)によれば、浜松測候所は 1882年11月16日に創設され、当初は1日3回(京都時の6時、14時、22時) の観測であった。 1886年1月1日から日本中央標準時の02、06、10、14、18、22時の6回観測と なったので、ここでは当初の3年間は含めず、1886年以後について解析する。

図29.1は石廊崎と浜松、および石廊崎と網代の年平均気温の差の経年変化 である。

石廊崎-浜松の気温差(菱形印)において、プロットが年代とともに 右下がりになっているのは、浜松が工業都市化するにつれて都市温暖化した ことによると考えてよいだろう。

石廊崎浜松網代気温差""
図29.1 年平均気温の差の経年変化、石廊崎と浜松の差および 石廊崎と網代の差。石廊崎-網代の気温差のプロットは (「K27. 風速減少と気温上昇の関係」) の図27.1(下)と同じものである。


一方、石廊崎-網代の気温差(緑の丸印)において、1970年頃以後、右上がり に大きくなっているのは、石廊崎測候所の周辺で木炭生産の衰退し、樹木が 生長することとなり風速の減少に伴い陽だまり効果によって、網代に比べて 相対的に年平均気温が0.1℃ほど上昇している。

このことは「K24.伊豆石廊崎の樹木生長と気温上昇」 において議論し、また網代については 「K27. 風速減少と気温上昇の関係」において述べた。

年平均気温の差(±標準偏差)は:
石廊崎ー浜松=1.00℃(±0.15℃)・・・・・1897~1913年、1923~1931年
石廊崎ー網代=0.50℃(±0.13℃)・・・・・1940~1965年

石廊崎・浜松の気温差の標準偏差(±0.15℃)は、石廊崎の年平均気温における 年々変動の標準偏差(0.26℃)に比べては小さく(図29.1からもわかるように バラツキが小さく)、石廊崎の気温は浜松の資料から推定してもよいといえる。

したがって石廊崎における観測中断の期間(1983~1896、1914~1922、1932 ~1939年)は浜松の年平均気温に1.00℃を加えた値とする。 いっぽう、石廊崎と網代の距離は55kmで近いこともあり、気温差の標準偏差 は0.13℃である。

石廊崎の観測値(1897~1913、1923~1931、1940~1965年)はそのまま使用 するが、1966年以降については周辺の樹木の生長による影響が現れだしたので 網代の年平均気温に0.50℃を加えた値を使用する。網代の隣地に作られた菓子 工場の影響(0.15℃)は、滑らかに接続させるために、次のように2期間に 分けて補正する。

網代の補正:
1966~1973年・・・・+0.50℃
1974~1982年・・・・+0.40℃
1983年以降・・・・・+0.35℃

現在の網代の年平均気温を基準としたほうが便利であるので、以上の補正 方法をまとめれば、次のようになる。
浜松(1986~1896、1914~1922、1932~1939年)・・・・・+0.65℃の補正
石廊崎(1897~1913、1923~1931、1940~1965年)・・・・-0.35℃の補正
網代(1966~1973年)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・+0.15℃の補正
網代(1974~1982年)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・+0.05℃の補正
網代(1983年以降)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・観測値を そのまま用いる

29.3 観測方法の変更による補正

3回観測時代の補正
現在の気象観測では、日平均気温は毎正時24回観測の平均値とされているが、 以前には1日数回の観測から日平均気温が算定されていた。1日6回または8回観測 では、その誤差は0.1℃以下であるので補正は行わない (「K20. 1日数回観測の平均と平均気温」の 20.4節を参照のこと)。

しかし、1日3回観測の時代があり、この期間については年平均気温を0.1~ 0.3℃(経度の関数)だけ高く補正する必要がある。石廊崎、網代、浜松に ついて気象庁ホームページに公開されている月・年平均気温の数値を 気象観測原簿(静岡地方気象台で保管)により確認したところ、次の期間が 1日3回(6時、14時、22時)の観測から算出されたものである。

1日3回観測の時代:1938~1952年

ただし、石廊崎の現在地における観測は1939年6月からの開始である。

石廊崎と網代の経度は東経139°であり、 「K20. 1日数回観測の平均と平均気温」の20.2節の図20.1を参照すると、 年平均気温は0.21℃高くしなければならない。

百葉箱内観測の補正
昔の気温観測法では、百葉箱内に気温センサーが設置されており、現在の 通風式隔測電気抵抗線温度計に比べて最高気温は最大1℃程度高めに観測され ることがあり、毎日の最高気温の年平均値は0.2℃、毎日の最低気温の年平均 値はゼロ、年平均気温は0.1℃高めに観測されていた( 「K23. 観測法変更による気温の不連続」の表23.4と表23.5を参照のこと)。

気温観測が百葉箱内から隔測式に切り替えられた年は次の通りである。
浜松測候所・・・・・・・・1974年6月1日
石廊崎測候所・・・・・・1974年5月1日
網代測候所・・・・・・・・1974年5月1日

現在のデータを基準として合わせるには、1973年以前の年平均気温を 0.1℃低く補正すればよい(切り替え日は1974年の 途中であり、1974年についてはこの補正は行わないことにする)。

補正の結果
このようにして作成した気温は、都市化等を除外した伊豆地方における地球 温暖化量とみなすことができる。その結果を図29.2に掲げた。

伊豆の気温の長期変化""
図29.2 伊豆地方における年平均気温の経年変化。
おもに石廊崎と網代の観測資料に基づき、一部は浜松の資料を補正して 結合してある。黒の直線は直線近似による傾向、緑の太い線は長期的な 傾向を表す。


最小2乗法によって長期変化を直線で近似したとき、気温の上昇率は 0.0033℃/年、つまり100年間当たり0.33℃である (下記の注意(1)を参照)。

長期的な傾向(緑の線)を見ると、1950年代に高温時代があり、その後 1980年代に向かって下降、1980年代以後に急上昇している。1980年代の低温と、 その後の急上昇は他の日本各地における傾向と同じである。


注意:
(1)この「観測方法の変更による補正」を行う前の100年間当たりの年平均気温の 上昇率は0.23℃/100yr であり、「観測方法の変更による補正」によって 0.10℃/100yr 増加し、その結果0.33℃/100yr の上昇率となった。

(2)各種の補正によって得た100年間当たりの年平均気温の上昇率は、
[a] 0.46℃/100yr・・・・石廊崎(欠測期間は浜松使用)の元データに基づく
[b] 0.37℃/100yr・・・・石廊崎と、1966年以後は網代の元データに基づく
[c] 0.23℃/100yr・・・・網代の隣地に建てられた菓子工場の影響を補正
[d] 0.33℃/100yr・・・・観測方法の変更(3回観測、百葉箱内観測)による補正

(3)なお、[d] において、浜松測候所開設当時の3年間のデータ(京都時で3回観測) を含めると、0.33℃/100yr が0.41℃/100yr となる。わずか3年間のデータを 考慮するかどうかによって0.08℃/100yr の違いが生じる。このことから、 機械的に最小2乗法によって、100年間のデータから温暖化率を決める際の 精度は、±0.1℃/100yr 程度と見なすがよい。


要約

静岡県伊豆半島の石廊崎と網代における気温データを用いて、伊豆地方の 地球温暖化量を求め、100年間当たり0.33℃の上昇率を得た。

この解析では次の順序によって補正を施してある。
(1)石廊崎(元の地点名は長津呂)に観測所が設置される前の1986~1896年 (11年間)、と観測が中断された1914~1922年(9年間)、1932~1939年 (8年間)は静岡県西部の浜松測候所の観測値に1.0℃を加えることによって 推定した。

(2)社会における燃料使用の変化に伴い、石廊崎の周辺では木炭の生産が行われ なくなり、周辺の樹木が生長するようになると風速の減少と、気温の上昇が 起きるようになったので、1966年以後は網代のデータをつなぐことにした。

その方法は、1940~1965年について石廊崎と網代の年平均気温を比較し、 石廊崎が0.50℃高温であることを考慮したものである。

(3)網代では2つの主風向(北北東、西南西)のうちの北北東の風に対し、 その風下側に菓子工場が建設・増築された時代、1973~1982年に年平均風速 が15%減少した。石廊崎における風速の減少率25%と網代における風速減少率 15%に伴う年平均気温の上昇の差が0.1℃(石廊崎の気温上昇が大きい) である。

風速の減少率が気温上昇に比例するものと仮定すれば、網代の年平均気温は この期間に0.15℃の上昇が生じたことになる。

現在の気温観測値を基準にするために、1973年以前について0.15℃低温側に 補正した。

(4)1938~1952年(15年間)の時代、月・年平均気温は1日3回観測(6時、 14時、22時)から算出されており、現在の24回観測に比べて0.21℃低い値 である。そのため、この15年間については0.21℃高く補正した。

(5)1973年まで気温は百葉箱内で観測されており、年平均気温は現在の 電気式隔測による気温よりも0.1℃高めであった。現在の電気式隔測による 気温観測値を基準にするために、1973年以前について0.1℃低温になるように 補正した。

文献

浜松測候所、2005:浜松測候所 百二十三年の歴史.pp.125.

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