K13.打ち水の科学
著者:近藤純正
	13.1 はしがき
	13.2 打ち水の文化
	13.3 打ち水と路面温度(基本の理解)
	13.4 打ち水の効果(涼しく感じる理由)
	13.5 打ち水効果を黒球温度で測る		
	13.6 涼しい都市の景観
	あとがき
	参考文献
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都市のヒートアイランド緩和策の一つとして、日本古来の風習「打ち水」 (散水)が見直されるようになり、最近、日本各地で行われている。 多くの人々は打ち水によって、気温が下がるものと予想している ようだが、そうではなくて、熱い地面温度を下降させ、また太陽光の 地面からの反射を減少させることによって人びとは冷涼と感じる。 冷涼感は気温だけではなくて、目で見た景観や風速等も影響する。
(2006年3月12日完成;4月10日更新―気温の測り方を「K16. 気温観測の方法」 の章に移動、黒球温度の計算方法を「K17.暑熱環境と黒球温度」の章に移動)


13.1 はしがき

最近、打ち水のイベントが日本各地で開催され、さらに、その活動は外国 へも広げられるようになった。

2005年8月18日のこと、”8月19日の正午から東京浅草の雷門付近で打ち水実験 がある”という情報を得たので見学することにした。

これは水問題をはじめ環境に関する啓発活動を行っている非政府組織(NGO) 日本水ホーラムの活動の一環であるらしい。今回の実験は「打ち水大作戦」 と称せられ、打ち水若人隊の隊長・高橋佑司さん(明治学院大学4年生)の 企画によるという。

彼らが設置したデジタル式の温度計がポールに取り付けられ、 日傘で太陽直射光を防ぐようにしてある。その気温指示は36℃で あった。筆者が持参した同型のデジタル式の温度計で同じ場所の気温を 測ってみると32℃であった。彼らの温度計は4℃も高い。 彼らの気温測定法に問題があると思った。

あとで参考のために調べてみると、東京大手町の気象庁における8月19日12時の 気温は32.4℃、19日の最高気温は33.6℃であった。

筆者が持参した温度計は、家庭台所用のアルミホイルに使われている 円筒形の紙製の芯(直径4cm、長さ約30cm)の端から縦7cmほど 半分を切り落とし、残りの半円筒部分を直射光よけとして温度センサーに被せ たものである。 円筒芯の他端は手に持って左右に激しく振ることでセンサーに風をあてる 方法で気温を観測した。これは野外で簡易観測するときの一つの方法である。

放射量などの総合的な気象観測は中央大学理工学部土木工学科の山田正教授の 研究室が担当していた。三脚に取り付けられた風杯式風速計と気温センサーが 数箇所に設置されていた。ほかに、熱電対(放射よけなし)によって雷門の 前の路面近くの気温鉛直分布の記録、さらに雷門前のビル屋上に熱赤外画像 装置により雷門付近の路面温度が自記記録されていた。

細線を用いた熱電対でも放射除けをつけなければ、正確な気温は測れない。

温度センサーに及ぼす放射の影響や、気温の測り方、悪い気温観測の例に ついては本ホームページの「研究の指針」の 「K16. 気温の観測方法」を参照のこと。

浴衣を着た女性の若人隊の勧誘により、浅草寺への参拝者も参加し、12時に 一斉に打ち水が行われた。想像していたよりはるかに小規模であった。 この実験は効果を調べるというよりは、浅草寺という観光地において、 一般市民に対する環境問題・打ち水への関心を集めるための宣伝に重点が おかれていたと思われる。

打ち水実験の準備風景
図13.1 浅草雷門前での打ち水大作戦準備風景

打ち水の風景
図13.2 打ち水の風景

散水風景
図13.3 (左)温度計など観測機器周辺へのホースによる散水、 (右)気温観測用通風筒内のセンサー

夜のNHKテレビニュースによれば、この打ち水によって0.3℃の気温低下が あったとのことである。ただし、この0.3℃は打ち水大作戦本部が設置した 温度計による値であるらしい。路面上など野外では、自然の気温変動は大 きく、その中から0.3℃下降したということを判定するのは一般には 非常に困難であるのだが、どのようにして判定したのだろうか? 前述の通り、私の温度計と彼らの温度計の指示が4℃も違っていたように、 野外における気温観測は難しいのだが!

その直後の2005年8月18日の朝日新聞夕刊の記事によれば、日本水ホーラムが フランスのパリの市民に呼びかけて約50人の参加により打ち水実験が行われ、 この打ち水によって3℃の気温低下が計測された、とある。

僅かな量の打ち水によって3℃もの気温低下があったとは信じ難い!

この3℃の気温低下について、筆者は、打ち水と無関係に生じている気温の 時間変動のうちで数10分間内の最高気温と最低気温の差ではないかと 想像する。

13.2 打ち水の文化

50年以上の昔、文明の利器はほとんど普及していない時代であった。 夏の夕方、家々では前の道路から玄関先まで通路に打ち水をして、 その主の帰宅を待ち、また来客を迎えていた。

暑い道路を歩いてきた人々が玄関先の通路に入ると、西日を遮る植栽がある。 そこの気温は道路上とほとんど違わないけれども、打ち水や植栽に涼しさを 感じる。玄関先の清涼感は日没後まで続く。

舗装されていない道路では、商店街の人々によって打ち水がなされ、 舞い上がる砂塵を防ぐとともに、夕方の買い物客に清涼感を提供する。

私たちが暑・涼を感じるのは気温というよりは、風や湿度、太陽光の 道路からの照り返し、打ち水によって10℃前後温度低下した道路からの 赤外放射(目に見えない)、直射光を遮る木陰・軒先の有無、周囲の地物より 数℃低温となった葉面からの赤外放射、天空からの赤外放射(大気放射) などに依存する。

打ち水は日本の古い伝統・習慣として伝えられてきたもので、おもに 風呂水や貯留された雨水などの再利用が望まれる。

打ち水はひとときの清涼感を味わうためのもので あるが、散水量を多くすると路面からの蒸発によって大気中の水蒸気量(湿度) が増加する。湿度の増加は、近辺の人々に不快感 を与えることもあるので注意しよう。

13.3 打ち水と路面温度(基本の理解)

打ち水について基本的なことを考察しよう。

熱収支計算の概要
打ち水を行うと地表面温度は急激に下降する。その状況は気象条件のみ ならず、地表面下の土壌の透水性や熱的パラメータなど様々な条件によって 違ってくる。それら多様性を最初から考慮に入れると、複雑になり 理解が難しくなる。それゆえ、ここでは多種・多様な現実的条件ではなくて、 単純で理想的な条件を設定し、基本を理解することにしよう。

地表面は水平で、散水は地中に浸透せずに表面に一様な厚さで 存在するとする。 水の厚さは、地温変化を起こす地表層の厚さ(0.1m程度)に較べて十分に 薄く、地表層の熱的パラメータ(熱伝導率、熱容量)は一定とする。 また、散水する水温は散水直前の地表面温度に等しいと仮定する。 地表面のアルベドは乾燥状態と散水状態で同じとする。さらに、次の条件を 設定する。

(1) 初期時刻において地表面は乾いており[蒸発効率(=β):BETA=0、 蒸発はゼロ]、地表面温度は一定(定常状態)とし、これを散水前とする。 つまり太陽が傾きはじめた午後、地表面は熱収支的にバランスしており、 地中温度が鉛直方向に一定とする。

* 熱収支式: 入力放射量-地面放射量-顕熱輸送量-潜熱輸送量=0

ただし、蒸発効率BETA=0により、潜熱輸送量=0

(2) 連続散水の定常状態。つまり十分な時間が経過すれば湿った地表面は 熱収支的にバランスして、地中伝導熱はゼロの状態にある。

* 熱収支式: 入力放射量-地面放射量-顕熱輸送量-潜熱輸送量=0

(3) 初期時刻の直後、散水して蒸発が生じ(蒸発効率:BETA=1)、 地表面温度は下降しはじめる。後掲の熱収支の図13.4で示すように、 散水した途端に蒸発の潜熱が発生し熱収支が一変するので、地表面温度の 下降速度は急速である。

* 熱収支式: 入力放射量-地面放射量-顕熱輸送量-潜熱輸送量-地中伝導熱=0

この条件における地中伝導熱(マイナス、つまり上向き)で、絶対値は 潜熱輸送量に等しい(後掲の図13.4の③を参照)。

(4) 水が乾いてしまい、蒸発がゼロ(BETA=0)となり、地表面温度は 上昇しはじめる。

* 熱収支式: 入力放射量-地面放射量-顕熱輸送量-地中伝導熱=0

この条件における地中伝導熱(プラス、つまり下向き)の値は直前の湿った 状態における潜熱輸送量に等しい(後掲の図13.4の④を参照)。

熱収支式とバルク式
地表面における熱収支式は次式で表される。

 R↓ -σTS4 - H - lE - G =0 ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ (式13.1)
入力放射 -地面放射 - 顕熱 - 潜熱 - 地中伝導熱=0

ただし入力放射量:  R↓=(1-ref)S↓+L↓ 

は地表面温度(一般には物体の温度,植生地では葉温)、 σ(=5.67×10-8W m-2K-4) はステファン-ボルツマン定数である。

水平面日射量(全天日射量)S↓と大気放射量L↓は水平距離で数m~数kmの 範囲なら場所によってあまり違わない。(式13.1) 左辺のR↓は一般に既知、 他の項は未知量である。 熱収支式を解く目的はR↓が与えられているとき,他の未知量 (地表面温度,顕熱輸送量,潜熱輸送量,地中伝導熱)を求めることである。

さて,数学の原理によると,未知量の数だけ式の数が必要である。 この場合は(式13.1)の他に,もう3つの式が必要である。 計算(1)と(2)では、G=0 の定常条件を考えるので、あと2つの式が あればよい。 それらは,バルク式と呼ばれる次式である。

顕熱輸送量:H=cPρCU(T―T) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(式13.2)
潜熱輸送量:lE=lρβCU(qSAT-q) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(式13.3)

ここに,cPρは単位体積の空気の熱容量(cPと ρは空気の定圧比熱と密度),β は地表面の蒸発のしやすさを表す 蒸発効率(湿潤度と呼ぶこともある)であり 0~1の値をもつ。

qSATはTに対する飽和比湿(T の関数として数表または式で与えられる), T と q は気温と大気の比湿である。

計算項目
(1) 打ち水前の地表面における地表面温度、地面放射量 (=地表面が出す赤外放射量)、顕熱輸送量

(2) 連続散水時の定常状態における地表面温度、地面放射量、 顕熱輸送量、潜熱輸送量

(3) 打ち水直後の熱収支と地表面温度の下降速度、及び平衡状態になる までの時間スケール

(4) それまで湿っていた地表面が水切れの乾燥状態となった直後の 熱収支と地表面温度の上昇速度、及び平衡状態になるまでの時間スケール

ここに、「時間スケール」とは「時間の目安」を意味している。

与える条件と計算方法
具体的な地表面温度や熱収支量、及び平衡状態になるまでの時間の目安を知る ために、例として次の条件を設定する。

気温=30℃、水蒸気圧=25hPa、大気圧=1000hPa、 入力放射量=700W/m2、地表面の交換速度=0.003m/s、 地表面のアルベド=0.1(散水の有無にかかわらず一定)、 地表面の黒体度=1とする。

さらに、地表面下の地中はコンクリートであると想定し、その熱的パラメータ を次のように設定する。
土壌の単位体積当たりの熱容量:cρ= 2.1×10J m-2K-1
熱伝導係率:λg=1.7W m-1K-1

3式(式13.1~13.3)から、地表面温度と顕熱輸送量と潜熱輸送量の3つを 求める。ここでは、大きい入力放射量(晴天日中)を仮定するため、 地表面温度と気温の差が大きくなる。そこで、熱収支式を逐次近似法 (厳密解法)で解くことにする。なお、式13.1の左辺第2項の地面放射量は 地表面温度が計算されれば求まる量である。

逐次近似法とは、まず、適当な地表面温度TSを仮定し熱収支式 に代入する。 熱収支式の左辺がゼロにならなければTSを少し変化させて再計算 する。 これを繰り返して左辺がゼロになるまで計算を繰り返す(水環境の気象学、 p.134-p.135)。

(参考)熱収支式計算プログラム
「地表面に近い大気の科学」のp.307―p.309に掲載された 「付録 F ポテンシャル蒸発量および定常時熱収支の計算プログラム」の パラメータを変えれば、上記の計算(1)~(4)を行うことができる。
その計算に利用できるプログラム(BASIC)”Epot 2 ”は次に示す。

クリックして次の 「定常時の熱収支計算プログラム」を参照し、プラウザの「戻る」を 押してもどってください。
定常時の熱収支計算プログラム


計算結果
○ 計算結果1: 散水前の地表面(蒸発効率BETA=0、定常状態)
地表面温度=51.1℃、地表面と気温の差=21.1℃、 顕熱輸送量=73W/m2、 地面放射量=627W/m2

*熱収支のチェック: (627W/m2:地面放射量)+(73W/m2:顕熱輸送量)=(700W/m2:入力放射量)

○ 計算結果2: 連続散水時の地表面(蒸発効率BETA=1、定常状態)
地表面温度=35.0℃、地表面と気温の差=5.0℃、 顕熱輸送量=17W/m2、潜熱輸送量=171W/m2、 地面放射量=512W/m2

*熱収支のチェック: (512:地面放射量)+(17:顕熱輸送量)+(171:潜熱輸送量) =(700:入力放射量)

潜熱輸送量171W/m2を蒸発速度に換算すれば、E=0.69×10-4  mm/s=0.247mm/hr

○ 計算結果3-1: 散水直後の熱収支
地表面温度=51.1℃、地表面と気温の差=21.1℃、顕熱輸送量=73W/m 2、 潜熱輸送量=595W/m2、地面放射量=627W/m2、 地中伝導熱=595W/m2

*熱収支のチェック: (627:地面放射量)+(73:顕熱輸送量)+(595:潜熱輸送量) +(-595:地中伝導熱、上向き)=(700:入力放射量)

潜熱輸送量595W/m2を蒸発速度に換算すれば、E=2.38×10-4 mm/s =0.857mm/hr

散水により急に潜熱輸送量595W/m2が生じるので、バランスを とるために同量(マイナス)の地中伝導熱が発生し、地温は 急下降しはじめることになる。

○ 計算結果4-1: 水切れ直後の熱収支
地表面温度=35.0℃、地表面と気温の差=5.0℃、顕熱輸送量=17W/m2、 潜熱輸送量=0、地面放射量=512W/m2、地中伝導熱=171W/m 2

*熱収支のチェック: (512:地面放射量)+(17:顕熱輸送量)+(0:潜熱輸送量) +(+171:地中伝導熱、下向)=(700:入力放射量)

直前まであった潜熱輸送量が急にゼロとなり、バランスをとるため、それに 見合うだけの熱フラックスが地中伝導熱として生じ、地温は 急上昇しはじめることになる。

図13.4は計算結果(1)~(4)の模式図である。

熱収支模式図
図13.4 乾燥地面と散水時の地表面熱収支(数値の単位は W/m2である)。
①左上:散水前の定常時、②左下:連続散水が行われている定常時、 ③右上:散水直後(上向きの地中伝導熱は地表面で595 W/m2 であり深さと共に小さくなるので地温は下降)、④右下:水切れ直後の 乾きはじめた状態(下向きの地中伝導熱は地表面で171 W/m2 であり深さと共に小さくなるので地温は上昇)。


計算結果の解釈
地表面温度が散水直後から下降しはじめる現象 について、図13.4の①と③によって説明しよう。

散水前の定常状態においては、入力放射量(R↓)は地表面から放出される 地面放射(=赤外放射、σTS4)と顕熱輸送量 (H)とでバランスしている。ここで散水すると、地表面(水面となっている) で蒸発が生じ潜熱が奪われることになり、地表面温度の下降がはじまる。

地表面ではいつでも熱収支式が成立しなければならないので、この潜熱を 補うために地中伝導熱が地表面に向かって上向きに流れることになる。 この際、潜熱と地中伝導熱は散水した途端に発生するので地温の下降は 急速である。

次に、散水直後から平衡状態にいたるまで、 つまり図13.4の③から②への移行について説明しよう。

散水直後の③においては、地表面温度は散水直前と同じで高温であるため、 地面放射(627)、顕熱(73)、潜熱(595)ともに大きいのだが、地表面温度が 下がるにしたがって、これらは小さくなっていく。同時に地中伝導熱 (散水直後は潜熱と同じ595)も時間と共に小さくなり、地表面温度の 下降速度も鈍ってくる。

時間が十分経過すると、地表面温度は定常状態の35℃に近づいていく。その 最終の状態が図13.4の②である。

こんどは湿った地表面が乾くと地表面温度が上昇する現象 について、図13.4の②と④によって説明しよう。

蒸発が起きている定常状態においては、入力放射量(R↓)は 地表面から放出される地面放射(σTS4)と 顕熱輸送量(H)と蒸発による潜熱輸送量(lE)とでバランスしている。 ここで水切れが起きて地表面が乾くと、それまで生じていた潜熱輸送量 (地表面から上向きに出ていた熱)がゼロとなり、熱バランスが 崩れ、地表面温度の上昇がはじまる。このとき熱バランスを保つために 地表面から地中に向かう地中伝導熱が生じることになる。

つまり、地中層について考えると、地表面から下向に熱が入ってくるので 地中層はエネルギーを獲得することになり昇温するわけである。

散水直後の路面の冷却速度と 冷却層の深さ
○ 計算結果3-2:散水直後の冷却速度、冷却層の深さ、時間スケール
散水直後、熱収支は図13.4の③に示すように、地中伝導熱 G によって 地表面温度は下降しはじめる。これは夜間の「放射冷却」と同じような 現象である。初期時刻 t=0における地表面温度をT、 そのときの地中伝導熱を G とし、時間経過 t=t における温度を TS(t)、冷却の及ぶ深さ(冷却層の深さ)をD(t)とすれば、 次のように表される。

地表面温度: TS=T0+G×(2t/c ρλ1/2

冷却層の深さ: D=(2λt/cρ1/2

ただし、日中の散水による地表層の冷却では初期時刻から数分間まで、 放射冷却では夕方から2~3時間までは、G =一定と仮定できる。 上記の式は、その時間範囲で成り立つ近似解である。近似解の物理的な 意味は「地表面に近い大気の科学」のp.112を、厳密解は「水環境の 気象学」のp.147を参照のこと。

この章で設定した気象条件、地中層の熱的パラメータ、さらに G=-595W/mを代入して求めたTSの時間変化を 図13.5に丸印と点線で示した。

散水後の温度
図13.5 散水直後の地表面温度の時間変化。
横線は連続散水時の地表面温度(=35℃)、赤丸は散水前の 地表面温度(=51.1℃)、青丸は連続散水時の温度35℃と等しくなる 時間(=22分)における地表面温度。

地表面温度は t=1分には3.5℃も下降し、 t=5分には8.5℃の下降となる。8.5℃は、連続散水時の温度まで、 つまり平衡状態になるまでの温度下降量の約50%に匹敵する。

t=22分には、連続散水時の地表面温度(35℃)の横線と交差している。 実際には横線より低温にはならないが、t>22分で点線が横線以下の 温度になっているのは、上式が近似解であるからである。

t=22分において冷却層の 深さ( D )=0.046mとなる。横線と交差する時間 t=22分 を地表面温度が平衡になるまでの 時間スケールと 呼ぶ。時間スケールは冷却時間の目安を表す。

実際の地表面温度は t<2~3分の範囲では図に示したように下降するが、 時間が大きくなると、冷却速度はそれより鈍ってきて、しだいに35℃の 線に漸近していく。

○ 計算結果4-2:水切れ直後の昇温速度
上で示した場合と同様に、乾燥が始まった時刻を t=0、その時の地表面 温度を T0として計算する。ただし G=+171 W/mを代入すると、 次の結果を得る。

昇温時における時間スケール=265分=4.4時間

昇温層の深さ=0.16m

時間スケールは散水直後のそれに較べて大きい。つまり、昇温はゆっくりと 進むことがわかる。

G は冷却時の1/3.47(=171/595)であることから、 昇温層の深さは冷却時における冷却層の深さの3.47倍、時間スケール は(3.47)=12倍となる。

注目:散水直後と水切れ直後の遷移過程
これら非定常過程は非対象であることに注目 しよう。非対称となる理由は、
散水直後(図13.4の③)では:
(長波放射+顕熱+潜熱)の3項が時間と共に変化していくのに対し、
水切れ直後(同図④)では:
(長波放射+顕熱)の2項のみが変化し、潜熱の寄与がなく、 さらに地中伝導熱が前者に比べて小さいからである。

ここでは基本を理解するために式の形が単純な近似解を用いて考察したが、 一般に、地表面温度の冷却・昇温の時間変化は初期時刻における地中 伝導熱 G に比例し、地中層の熱的パラメータに依存する。

備考:
計算(1)と(2)では、地中伝導熱( G )=0の定常状態を仮定した。 現実的な非定常な場合について計算(1)~(4)を連続して行うには、 地中層を0.01m程度に分割し、日射量の時間変化や各深さにおける 地温・水分量の時間変化を考慮した数値計算を行うことになる。
路面を多孔質の材料で舗装した場合の詳細な熱収支計算は、地表面を 多孔性のキャノピーとした土壌モデル(Kondo and Saigusa, 1994)、 あるいは、やや簡単化した計算モデル(Kondo and Xu, 1997)が参考になる。

これら詳細な数値解析を行う場合、日射量の1日の時間変化の計算方法は 「地表面に近い大気の科学」付録 E (快晴日日射量の日変化 と大気放射量日平均値の計算プログラム)に掲載されている。

なお、放射の計算方法は「研究の指針」の 「K17. 暑熱環境と黒球温度」に説明してある。
毎時の計算例はその17.4節中の 「晴天日の放射量の日変化の計算」の後の方に掲載してある。
また、本章の次節にも、同じものを掲載してある。

13.4 打ち水の効果(涼しく感じる理由)

通常、水平距離10m~100m程度の範囲に打ち水(散水)しても、高度 1~2mの気温が1℃以上も下降することはなく、僅かである。 現実には、散水の有無にかかわらず、野外の時間的な気温変動は 0.5~2℃程度もあり、観測から打ち水による僅かな気温下降を 見出すことは容易ではない。

それではなぜ、昔から打ち水による冷涼感を体験してきたのか?

打ち水(散水)は、次の効果がある。
(1)地面温度を下降させることによって、地面からの赤外放射量が 小さくなる。
(2)打ち水によって太陽光の地面からの反射が少なくなる。

これら(1)(2)によって、地面からの放射量がいくら減少するかを見積 もってみよう。

地表面温度の上昇・下降は地表の水平面に入射する放射量、または 水平面から放出される放射、顕熱・潜熱輸送量に依存する。他方、人体の ような場合は、近似的に球に出入りする熱輸送量による。例えば、夕方の 場合、太陽の高度は低く地表面へ入る日射量は小さいが、人体は直達日射 量に感じ、夕方になってもその影響は極端に小さくならない。

そこで、この節では、(1)直達日射量、(2)散乱日射量、(3)大気放射量、 (4)地面からの反射光、(5)地面からの赤外放射量を計算した後、 次の節では球面(直径0.1mの黒球)に入る放射量R↓を求めることにする。

次の条件を設定する。
8月1日、北緯35.5°、快晴、日平均気温=30℃、日平均水蒸気圧=25hPa、 大気の混濁係数=0.1、周辺数km範囲のアルベド REF=0.15とする。
このアルベドは、日射が地表面で上空に向けて反射し、それが大気中で散乱 されて地表面へ入射する散乱光を与えるのに必要なパラメータである。 地表面へ入射する散乱光は太陽直達光が大気で散乱されてくる成分と、 地表面アルベドによって決まる成分を含んでいる。

路面アルベド=0.2(周辺数km範囲のアルベド REF=0.2 に同じ)とするが、 散水後の路面アルベド=0.1に減少するとする。

参考:晴天日の日射量(直達光、水平面日射量)
日射量の日変化の計算プログラムは「地表面に近い大気の科学」の付録 E に 掲載されている。
クリックして次の 「晴天日の放射量の日変化の計算」を参照し、プラウザの「戻る」を 押してもどってください。
晴天日の放射量の日変化の計算

上記の与えられた設定条件、8月1日の12時~18時について計算した諸量 のうちから、時刻(地方時)=16時の値は次の通りである。なお、簡単化の ために、路面の黒体度=1と仮定し、さらに
打ち水前: 路面温度=50℃、路面アルベド=0.2
打ち水後: 路面温度=40℃、路面アルベド=0.1
とする。

表13.1 打ち水前後の放射量の変化、単位は W/m
ただし路面条件は上述の通りであり、気温(=30℃)に対する黒体放射量= 479 W/m2である。

		           打ち水前   打ち水後       差
		直達日射量   I     665 W/m2      左に同じ      0
		散  乱  光   Sd     66           左に同じ      0
		大気放射量   Ld    412           左に同じ      0

		地面反射光   Su     89             45 W/m2    44 W/m2
		路面赤外放射 Lu    619            546         73


打ち水(散水)によって日射の地面からの反射と、地面からの赤外放射量が 共に減少する。 表13.1の場合には117(=44+73)W/m2が減少する。

この大きさは、微風の晴天夜間に「あづまや」にいるときと、そこから 出て天空を仰いだとき、われわれ人体に入る下向きの大気放射量の差(50~80 W/m2程度)よりも大きい。つまり、夜間の野外で人体が”寒い”と 感じる放射冷却より大きい値である。

13.5 打ち水効果を黒球温度で測る

人体の熱に対する反応は複雑であるので、ここでは単純化して、頭や手を 直径0.1mの乾いた黒い球(黒球)に見立て、その温度が放射量に どのように反応するかを考えることにしよう。 黒球は熱伝導のよい金属で作られており、その温度は一様分布であるとする。

球から出て行く顕熱と赤外放射は、球の全表面積4πrから 放散されるのに対して、直達光 I は球の断面積πrに入射し、 その他の成分(Sd、Ld、Su、Lu)は半球の面積2πrに入る。

簡単化のために、散乱光(天空光)などその他の成分は方向によらず 一様分布と仮定すれば、球の単位面積当たり に入る放射成分は次式で表される。

R↓=I/4 +(Sd+Ld+Su+Lu)/2

打ち水前のR↓=665/4 + (66 + 412 + 89 + 619)/2=759 W/m2
打ち水後のR↓=665/4 + (66 + 412 + 45 + 546)/2=701 W/m2

気温30℃に対する黒体放射量との差:R↓-σT=759-479=280
同、打ち水後(路面温度が10℃下降):R↓-σT=701-479=222

有効入力放射量(R↓-σT)による黒球の温度上昇(=黒球 温度-気温)は計算によって求められる。

黒球の温度上昇の計算は「研究の指針」の 「K17. 暑熱環境と黒球温度」に説明してある。

計算は2つの方法があり、その1として、 黒球の温度上昇の近似計算法
その2の逐次近似法として、黒球温度の 逐次近似計算プログラムが掲載されている。

ここでは前者の近似計算法で求めた結果を説明する。
前記の条件、すなわち夏の晴天日、時刻16時(地方時)における放射量 のもとで、打ち水前と打ち水後における黒球の温度上昇と風速の関係を 図13.6(左)に示した。図示の風速範囲における温度上昇は5~18℃である。

黒球の温度上昇
図13.6 黒球の温度上昇と風速の関係(打ち水による地表面温度の 下降=10℃の場合)。
(左)打ち水前(赤丸)と打ち水後(青四角)の比較、 (右)打ち水前と打ち水後の温度上昇の差。


右図に示すように、風速が0.4~9m/s の範囲では、打ち水前と打ち水後の 温度上昇の差は1.3~3.8℃である。これは黒球に入る放射量の差が 117 W/m2(黒球に対する有効入力放射量の差=280-222=58 W/m 2)のときの差である。

理論式によれば、 温度上昇は有効入力放射量の差(R↓-σT)に比例する ので、温度上昇の差も同様である。 (「K17. 暑熱環境と黒球温度」の式(5)参照。)

黒球は表面が乾いており、潜熱輸送量はゼロとしている。人体表面には汗腺 があり発汗する。発汗量は人体の様々な条件と外部条件によるので、 人体の表面温度の計算は複雑になる。それゆえ、ここでは黒球温度で 代表している。

人体の冷涼感、つまり人体は何度の気温変動に敏感だろうか?

筆者の試験によれば、ほぼ一定の状態にしている時(安静時)、人体は 約1℃の温度変化に感じる。このことに関する短文が本ホームページの 「所感」の「8. 体験した病室内の気象」 に掲載されている。

上記の図13.6(右)は夏の夕方16時の日射条件を想定したもので、黒球の温度上昇 の差は1.5℃~4℃であり、人体は打ち水(散水)の効果を感じるとみなして よいだろう。

13.6 涼しい都市の景観

昔のソウル市内には清渓川(チェオンギェチョン)が流れていたが、 この川を暗渠にして、その上に高架の高速道路を通してしまった。ところが 2005年秋に、高架道路を撤去して清渓川を復元する工事が完了した。 これは都市のヒートアイランドの緩和、その他の目的で行われたものである。 復元後の川幅は両側の緑地など含めておおよそ50mである。

筆者は2003年の秋に、この復元によって川の周辺の気温がいくら下降するか、 その基礎となる熱収支について集中講義に出かけた。その際に、気温下降 量の空間的な平均値は小さく、観測誤差0.5℃より正確に求めることは 難しい、と話してきた。

そのかわり、周辺一帯の市民に対して、”清渓川の復元によって快適になった か?” などのアンケートを行うことを勧めてきた。気温の下降がわずかでも、 市民が快適さを感じるならば、この事業は成功とすべきだろう。 これに関する短文が本ホームページの「所感」の 「7. ソウル市民の選択」 に掲載されている。

都市景観
図13.7 夏の心地よい景観・環境の模式図。
日射で熱せられた高層ビルや路面からは高温の赤外放射がくるので、これは 少ないほうがよい。日陰や緑地、水辺があれば涼しい赤外放射がくる。 目に見える青空や良い景観、風は心地よく感じる。

前節では例として、散水前後を比べたとき放射量の差が117 W/m2 (黒球に対する有効入力放射量で 58 W/m2)の場合、黒球の温度 が1~4℃程度も変化することを示した。ただし、放射量と有効入力放射量の 関係は時刻などに依存する。

日本の風習として、夏のそよ風で鳴る風鈴が愛用されてきた。ほかに、 冷涼感は澄んだ青空の色や周辺の色彩によっても出せるし、景観によっても 左右されるだろう。風の通り道を造るなどして圧迫感のない、広く感じる 空間を残すことも大切だろう。

あとがき

最近は、夏の「打ち水」や「屋上緑化」が報道されることも多く、 聴く者にとっては取り組み易く感じられるのか、あちこちで大学生・院生が 研究対象に選ぶようだ。

しかし、打ち水(散水)によって生じる路面温度の変化は夜間の放射 冷却などに比べて急速で、しかもかなり複雑で高度な熱収支問題である。 そのうえ、人体の感覚にも関わることを含んでおり、初心者にとっては、 もっとも難しい研究課題となる。 そのために、十分な理解もなしに終っているのではなかろうか。 そこで、この章では、ごく基本的なことがらについて説明した。

熱収支問題でもっとも簡単な「放射冷却」は微風の晴天夜に顕著になる現象 であり、地表面の放射収支と地中伝導熱、および地中の熱的パラメータ のみに支配される。顕熱と潜熱輸送量は無視してもよく、地温の時間変化も 緩慢なことから取り組みやすい。 また、アメダス等により、地温を除き1時間ごとの気象データが インターネット上で公開されているので手ごろな問題となりうる。

それでも熱収支問題の初心者にとって、「放射冷却」は難しく感じるだろう が、この問題で熱の流れと地温変化の関係が理解できれば、顕熱・潜熱 輸送量も含む他の現象についての基礎ができる。筆者は、初心者が打ち水に 取り組む前に「放射冷却」のデータ解析を行うことを勧めたい。

この章では乾いた黒球で打ち水効果の目安を示したが、発汗のある 人間の感覚とは少し異なる。打ち水を行えば、その近傍でのみ冷涼感を 味わうのだが、大気中の水蒸気量が増加し、それによって周辺では不快感が 生じることに注意すべきだろう。 このような場合については表面で蒸発の起きる新型の黒球(仮想黒球でもよい) を用いて検討しよう。

一般に、気候の改変は良かれと思ってしたことが、別の人たちにとっては迷惑 になることがある。環境問題に取り組む場合、こうしたことにも配慮 して欲しい。

参考文献

近藤純正、1982:大気境界層の科学、東京堂出版、pp.216.

近藤純正、1987:身近な気象の科学、東京大学出版会、pp.189.

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学、朝倉書店、pp.350.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学、東京大学出版会、pp.324.

Kondo, J. and N. Saigusa, 1994: Modeling the evaporation from bare soil with formulation of vaporization and water vapor diffusion in the soil pores. J. Meteor. Soc. Japan, 72, 413-421.

Kondo, J. and J. Xu, 1997: Seasonal variations in heat and water balances for non-vegetated surfaces. J. Appl. Meteor., 36, 1676-1695.

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