リカバリー・ルームにて

翌朝までの永遠

 どうやら手術が終わったようだ。すなわち、僕の胃はもうゴミ箱の中ということだ。それにしても10時間以上手術室にいた計算だ。大手術じゃないか、ほんとかよ。
 しばらくしてベッドごと移動する気配。「病棟に戻ったからね」と言われた時に、少しだけ目を開いたと思う。いつも身の回りの世話をしてくれるおばさんが見えた。
 この間、ずっと「イタイイタイイタイイタイ」と言いっ放しだった。いや、言っていた、と思い込んでいる。実際は、声を出すのさえ大変な労力を要するので、「声を出そうとしていた」だけかも知れない。
でも、部屋に着いた時点で多分痛み止めを注射されたらしく、なんとか「イタイイタイイタイイタイ」は止まって、しばらく眠ったようだ。
 翌朝、S2先生に「お早う、朝だよ」と言われる。僕は「分かってるよ」と思った。でも翌朝ではなく、翌々朝だと思っている。
つまり、混乱していたのだ。手術が終わってから翌朝になるまで、眠ったり目覚めたりして、その中で時間感覚がメチャクチャになっていたのだ。その後3〜4日は時間の感覚が妙だった。
 朝になるまで、ずっと、ラジオの深夜放送を聞かされていたように記憶している。「うるさい。なんで患者の安眠を妨害するんだ」って憤っていた。実際はラジオなんかこれっぽっちも流れていなくて、僕が深夜放送のDJだと思い込んでいたものは、液体が入った器具のゴポゴポする音だった。
 そしてその時間の長かったこと。永遠のようだった。一晩経過するのが、僕には二晩に感じられたのだ。
 その間、僕の心には無数の考え、思いが飛び交った。たとえば…。

神秘体験??

 次第に意識が戻る。リカバリー・ルームである。2日経ったように思ってるいるが実際は翌朝。「手術はうまく行ったからね」とS2先生。
 納得できない。第一、この体調というか、状態は何だ? 全然動けないじゃないか。この体力の落ち様は何だ? これじゃあ二度と歩けないじゃないか。そのくらい凄かった。そしてこの感覚だ。なんじゃいこれは。
 まずまっ先に思い出す感覚は腹と胸の痛みと熱さ。鈍痛という表現が近いのだろうか。でも「鈍」じゃない。激しく痛い。どうも日常の言葉にはないな。
その痛みそのものよりも妙だったのは「これは知ってるな」という思い。
なんと言ったら良いか、「この痛みは経験したことがあるぞ」という感覚。二度目だ、という確信
リカバリールーム・手術直後1 でも一度目はいつのことか覚えていない。何だか生まれ変わる前の体験、つまり前生の記憶のような。もっと残酷に言うと「前生の報い」のような…。
 僕は心の中で「そうかあ、こんなに痛かったんだねぇ。…分かったよ、分かったよ」と呟いていた。ちょっと泣いた。
 痛みはもちろんなのだが、麻酔の名残りや鎮痛剤のせいか、一種の心地よさも感じていた。湿っぽい暖かさというか…。
 胃の全摘手術を受けて、僕の内面のいくつかのものが変化した。かなり率直になったこととか、理不尽と感じる我慢をしなくなったこととか…。
しかし、もっとも劇的な変化は、他人には見えない。それは、前世を信ずるようになった、ということ。
僕は、死後の世界とか幽霊、お化けの類をほとんど信じない。それは今でも変わらない。しかし、「人は生まれ変わる」ことは信ずる。
いや、信ずるのではない。知っているのだ。それは宗教そのものだろう。理屈ではないのだ。ただ、知っている。
 こういうの嫌いな人がいることは知っているので、止める。

接続された男

 時間が経つにつれ、自分の状況が把握できてくる。体中チューブだらけだ。ニューロマンサーというよりジェイムズ・ティプトリー・Jr.の「接続された女」の男版だ。写真だと生々しいので絵を描いてみよう。
僕の体に挿入されているチューブの図
 (1)は鼻の穴に通っているチューブ。これは(かつて)胃の(あった)場所まで通じていていろんな汚い液体を吸い上げてくれる。口から入れるよりも違和感は少ないというが、ただ少ないだけだ。
 (2)(3)はバルーンと繋がっているチューブ。両方の乳首の外、下、5cmくらいのところに刺さっている。開腹/開胸手術そして麻酔というものは、肺をしぼませるらしい。このチューブによって肺を膨らませている。だと思うのですが、詳しい方いたらお教え下さい。
 (4)(5)は腹腔内部に溜まった汚い液体を排出するためのチューブ、ドレーン。この先にはポンプのようなものの他に、計測器械のようなものもついていた。
 (6)は、後で述べる予定の経腸栄養のチューブ。ここから「ごはん」を食べる。前もってつけておく用意周到さ!
 (7)は、おちんおちんに差し込まれている、垂れ流しチューブ。「あ、今出ている」という感覚はない。常に少しずつ排尿しているのか?
 そうそう忘れていた。既に開いている中心静脈栄養用の(8)
 これ以外にも腕からの点滴、酸素マスクがあり、僕はWired状態だった。この時運動会の障害物競走に出ていたら絶対ビリだったと思う。それじゃあ済まないか。
 Bの傷はもちろん胃を取った痕。問題はAだ。「何これ?」
実は手術の直前のCTの結果で、腹膜炎を併発していることが濃厚になり、開けられたという。
 聞いてない
 まあ今回はこの辺の事情には触れないことにする。このコーナーの主旨とずれてくるからだ。
 とにかく開けられた。しかし見てみると何の炎症もない。美しいぐらいのピンク(?)だ。結局何もせずそのまま閉じられた。
縫合痕だけが残った、ならまだしも、この傷、かなり痛い。数年経た今でも痛むのはこの傷だ。神経痛を起こすのだ。
季節の変わり目、雨が降る前、寒い日、キリキリと痛む。これ、一生もの。

リカバリー・ルームでのそれからの出来事

 それから完全に一般病室に戻るまで、いろんな事件があった。麻酔の副作用の幻覚、その他の「気持ち悪〜感」。ぶり返す痛み。手足の「名状し難いいやな感覚とどうしていいか分からない気持ち」
幻覚については、気持ちのいいものではないにせよ、「これは幻覚だ」と理解できるし、半分楽しんでいる感もある。
幻視と幻聴だったけれど、よく言われるように「目覚めて夢を見ている」感覚というのが近い。
とうとうとその様子を実況中継で述べる僕を、キーちゃんは気味悪がった。
●最も悩まされたのが、これ医学用語にあるんだろうか、手足の「イジイジ感」。もうどうしていいか分からないほど堪らないのである。痛いのではない。くすぐったいのでもない。痺れに似ている。正座した時のあの痺れ。あれを100倍した堪らん感。手足自体が苦しいのだ。発狂しそうになる。
僕はこれにだけは、一度泣き叫んだ。泣き叫ぶどうしようもない自分と、それを冷静に見ている自分が同居する。不平を言いながらも、「ごめんなさい」と詫びている。「変だよね〜」「すみません、うるさくて」と言いながら泣き叫んでいる。これは二度と経験したくない。
 この症状は多分、酸素不足からくるものだろう(後述)。抹消の血管のところが悲鳴をあげているのだと思う。
余談だが、上でも触れたように、僕は酸素マスクをしていた。結構気持ちがいい。マスク自体が少し邪魔臭いのだけれど、酸素は、いい。
はっきり数値を記憶していないのだけれど、僕は途中で酸素の濃度を上げられた。その理由も後で分かる。
●全身麻酔をすると肺に痰が溜まる。特に開腹・開胸手術をするとひどい。これを頑張って出せ、という。無理かも。
というのは話すのさえ大変な大事業だからだ。僕は腹筋を切られていたし、右の横隔膜あたりにもメスを入れられた。力むということが無理なのですよ。最初2,3日は筆談だったもの。
それを「ゴホン」と痰を出せって、あんたそりゃあ無理でしょう。それでもなんとか「ゴホン」とやってみると腹に激痛。涙が滲む。でも痰は出ない、これっぽっちも。
痛み。リカバリー・ルームでの痛みの経験は、はっきり言ってよく覚えていない。痛みははもちろんあった。数回鎮痛剤を注射したから。どこが痛いのか、というと、「傷が痛い」のである。体の外の傷。
それから上の図のAの傷は、ちょっと太めの神経も切っているので、それが繋がろうとして努力する。これも一種「痛い」のである。痛熱い、というべきか。
リカバリールーム・手術直後2  そんなこんなで2日が過ぎ、それから数日間はときどき、それも昼間だけ、666号室に戻れるようになった。
ちょっと気になったのは、頻繁に採血しにくること。日に数回、一回に3,4本取って行く。それにはちゃんとした理由があったのだが…。
おいおいただでさえ血を流したんだから、もう取らないでおくれ。頼むから。採血されると精神的にさらに弱る。
 どうしてそんなに頻繁に採血していたのかというと、僕の血液の中の酸素の値が、下がったままだからだ。肺の機能が快復しないのだ。
担当の先生方がベッドの両脇で相談しあっている。「ニューモニア起こしてるのかな?」
 M医科大学では、英語を使う。そして僕は英語が得意なのでその単語も知っていた。「肺炎」である。肺炎の併発はご存知のとおり、かなり危険だ。
 「肺炎、起こしてますか?」 焦りまくる医者二人。
 「心配しなくていい。たいしたことないから…」 んー、ほんとかなー?
 そして、なんとかウトウトしかけた深夜、C先生がベッド脇に駆け込んでくる。