入院そして検査

内科か、外科か、それが問題だ

 近所のI先生に、M医科大学病院に入院する旨を告げる。先生は、今までの結果を送る用意をしてくれる。さらに紹介状をその場で書いてくれるのだが、何か迷っている。
「内科がいいのか、外科なのか判断が難しいところです」
「…」
「でも出血の状態から見て、外科にせざるを得ないでしょうね」
 つまり、「切るか切らないか」ということである。今日では、胃潰瘍での胃切除は珍しいと聞く。ほとんどが薬で治ってしまう。切るのは100人に1人ほどの割合だそうだ。ほんとうに僕は変な奴である。今どき切るなんて。貴重な存在として誇りを持とう。
 ここでもし僕が、もうちょっと知識があったのなら、内科か外科かでI先生と話し合ってもよかっただろう。少なくとも、「切らないで治る可能性はないですか」くらいは訊いてみても損はない。
 しかし、知識はなかった。当時はインターネットもまだ普及してはおらず、情報源は知り合いの経験者2〜3人のみ。後悔?
 この日記には「後悔」の文字はない。へへへっ。

入院、そして検査

 1992年、8月25日、僕はM医科大学病院に入院する。第2外科。つまり、「切る」のだ。

8/25(火) 入院。第2外科病棟、666号室。不吉、いやガッツが湧く数字だ。
8/26(水) 鎖骨の下にある中心静脈(体の中で一番太い静脈)にカテーテル(体腔または胃・腸・膀胱などにたまった液体の排出や、薬品などの注入に用いる管。大辞林より)を挿入する。消化管の中をきれいにするため、手術の前後までは食事を取れない。そのために、必要な栄養等一切を点滴に頼る方法である。この日は取りあえずカテーテル挿入のみ。
 レントゲン、呼吸機能、心電図の検査もする。
8/27(木) 栄養点滴開始。病院の風呂に入る。暗い、寒い…。午後、バリウム検査。
8/28(金) 脂肪点滴をする。カロリーの確保用らしい。
8/29(土) ちゃんと風呂に入りたくて外泊許可もらう。キーちゃんは社員研修でいない。上京している父親のみ在宅。
8/30(日) 夜に病院に戻る。
8/31(月) CTスキャン。腕の静脈から入れた造影剤が漏れる。かなり痛い。
9/1(火) 2度目の内視鏡。前よりは少し慣れたがやはり苦しい。
9/2(水) 剃毛。つまりあそこの毛を剃る。男はこの事態に直面すると様々な憶測を巡らすらしいが、ちっとも心配なし。ただちょっとヒリヒリする。それと何よりも、グロテスクだ。かつみっともない。そして、剃ったあとは、恥ずかしい
9/3(木) 血管造影。大量の造影剤を注入して内臓の様子を見る方法。これ、手術の際と同じように「念書」を書かせられる。たまに不具合が起こるかららしい。
 これも中心静脈栄養法と同じく、太い静脈から入れる。今回は内股の静脈。造影剤が入って来た途端にかなりの違和感。熱い。ひどい疲労感。病室に戻ってベッドにへたり込む。

食べる欲求、飲む欲求、味わう欲求

 さて、それから手術まではまだいろんなことがある。たとえば「浣腸」だ。もちろん、もう食事はできない。手術の数日前からは水を飲むことさえ不可となる。それでも腹の中にはしつこく便やらなんやらが残っているらしい。これを搾り取るのだ。まるで極悪領主だ。
でも手術したら胃の中からカレーライスやカルビやタクアンが出て来たらちょっとぞっとしない。許す。
 栄養点滴をしていると食欲(感覚的には「口にものを入れて噛み、飲み下す欲求」)はすぐになくなるのである。今までなんであんな面倒な欲求があったんだろう、とさえ思えてくる。
 あとで出てくると思うけど、この「欲求の消失感」は、ある意味「活動性の喪失感」でもある。長期間に渡って栄養点滴を受けている患者は、生きる意欲が減ってくる、と僕は確信している。
 水の欲求はちょっとしつこい。点滴で水分を補給していても、口が水を欲しがる。喉は乾いていない。水の感触に対する欲求である。これもいずれ消失するが…。
 僕にはもうひとつ悪い欲求、喫煙欲がある。が、これもすぐになくなった。まったく苦痛でない。すごく吸いたがっていた人も同室にいたが、僕は大丈夫だった。  思うに、手術前のいろいろな処置は、様々な欲求を剥ぎ取っていく作業ではないか、とさえ感じられる。

小便小僧のあだ名におびえる

 飲食を一切しなくなっても、便は出る。特に小便は以前にもまして出るわ出るわ。病棟のトイレには、各入院患者の「小便袋」が展示されている。検査用なのだが、患者自身にとっては、展示である。全部に氏名が振られているからだ。
 だから、誰がどのくらいの小便をしているか、どんな色かさえ分かってしまう。この袋には通常、自分で専用の容器に排尿してから入れ直す。その容器は500mlしか入らない。普通の人はそれで十分だ。しかし僕には足りないのだ。当然2度にわけてやる。これが結構いやな作業。なにしろ小便を途中で止めるんだよ。気持ちが悪いことこのうえない。
 そして、袋である。僕は一日の小便の量が甚だしく多い。他の数十人の患者さんは、みんな「小便袋」が一個ずつなのに、僕だけ二個あるのだ。僕の氏名がはっきり書かれた展示品だけ、二個あるのだ。目立つ。
 どこかで誰かが、僕のことを「小便小僧」と呼んでいたかも知れない。いやぁ、そうに違いない。絶対呼んでいた。
 とはいえ、「これが尿か」という色で、ほんのちょっとしか溜まっていない袋もある。明らかに異常なのである。それに比べれば良いか、とも思う。

 こうやって僕は、クライマックスに向かって行く。