マネージナヤ広場


 モスクワの中心部にあって、四方をアクサンドロフスキー庭園、中央展示場、モスクワ大学旧館とホテル「ナツィオナリ」、ホテル「モスクワ」で囲まれた広場はかつては「10月革命50周年広場」と呼ばれていたが、ソ連崩壊後はマネージナヤ広場という名前に戻された。この広場では850年祭に向けて大掛かりな工事が行われ、地下には大ショッピング街、地上はプロムナードに変身。この写真を撮影した8月28日には地上部分はもうかなり完成に近く、写真のように一部は既に市民に開放されていた。上段左の写真の正面はホテル「モスクワ」。
 今までの感覚だとこれがモスクワの中心部とはちょっと想像もつかない。すぐ上段中央の写真はプロムナードからこれも850年祭を機に一部再開されたという歴史博物館(奥の木立ちの間に見える茶色の壁がこの博物館の外壁)の方向を見たもの。上段右は同じくクレムリン方向(奥に見える塔はトロイツカヤ塔)を見てもの。右の写真は、まだ工事中の噴水。  (1997年8月撮影)

 工事中の写真を撮ってから4ヶ月後に再訪したときには馬の噴水はもちろん完成していた。しかし、夏の訪問時以上に驚いたのはこのマネージナヤ広場の地下にできた大ショッピング街。東京の中心部の地下街と少しも変わらないどころか、こちらのほうがずっと高級感がある。寒さの厳しいロシアでは、建物の入り口は重々しい二重扉というのが相場だが、ここではエア・カーテンだけ。そのかわり一見物腰の柔らかそうな、しかしどことなく眼光の鋭そうな私服の男性があちこちにいてゆっくりウィンドウ・ショッピングという気分には浸りにくい。 (1997年12月撮影)

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ルビャンカ広場




 ソ連時代にはジェルジンスキー広場と呼ばれた。左の写真は、右の写真は、その広場にある、スターリン時代の粛正犠牲者を追悼する碑。 (2009年8月撮影)

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勝利公園



 大祖国戦争の記憶を失わないために建設された新しい広場。市民の憩いの場になっている。 (2003年8月撮影)


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凱旋門



 対ナポレオン戦争の勝利を記念する凱旋門。クトゥゾフ大通りにある。 (2003年8月撮影)


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バリケード型のモニュメント



 シェレメーチェヴォ空港から市内に向かう際、道路がレニングラード街道と合流してまもなくのところで見ることができるバリケード型のモニュメント。1941年のモスクワ防衛戦の最前線が市内からこんなに近いところだったということを示す。ソ連時代、このあたりには何もなかったが、モスクワ市が郊外に膨張して、いまやモニュメントは新築の集合住宅だの大型ショッピングセンターにすっかり囲まれてしまっている。   (2005年12月撮影)


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ゴーリキー公園


 古いアメリカ映画に「ゴーリキー・パーク」というのがあるらしいが、アメリカまでその名を知られた「ゴーリキー名称文化と休息の公園」。たっぷりの緑の中に大小2つの観覧車がゆっくりと回り、池には白鳥が遊ぶという素敵な公園だったが、近頃では日本各地の遊園地にあるようなやたらとけたたましいだけの遊具が導入されたりですっかり雰囲気は壊されてしまった。写真は観覧車の上から公園内を撮ったもの。  (1995年8月撮影)


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コローメンスコエ




 モスクワの南東、モスクワ川沿いにある広大な公園。古い石造りや木造の建築物を集めてあるが、そうした博物館としてよりも市民の憩いの場として愛されている。 (最上段の2枚は1982年12月、上のは1988年8月、左は1995年8月撮影)

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コローメンスコエ


 日本でもそうだが、いつでも行けると思っている所は意外に長い間ご無沙汰しているもので、都心からそう遠くないコローメンスコエもしばらく行ってなかった。





 久しぶりに訪ねていちばん変わっていたのは、下の写真のように園内随所に立派な庭園や花壇が作られ、しっかりと手入れされていたことだ。  (2007年8月撮影)


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マースレニッツァ (コローメンスコエ)


 コローメンスコエの広い敷地の中に、各種イベントのための広場がある。そこで開かれていた「シローカヤ・マースレニッツァ」と呼ばれるマースレニッツァ週間最終日のお祭り。マースレニッツァは、ロシア人がキリスト教を受容する前からあった春の到来を祝うお祭りで、長く重苦しい冬を耐えてきたロシアの民が春の到来をどんな気持ちで迎えたかは想像に難くない。ここでは、地面に藁をたっぷりと置いてあって、大人も子どももそれを投げ合ったりしていた。大きな人形は、最後に焼かれて、「冬さん、さようなら」というわけだ。ブリヌィ、シャシリク、茹でトウモロコシなどの屋台も沢山出ていて、日本の縁日と同じだなぁとおもったものだ。 (2016年3月撮影)



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