大砲の王様


 「鐘の王様」に対抗してこちらは「大砲の王様(ツァーリ・プーシュカ)」。16世紀後半にブロンズで鋳造されたもの。口径0.9m弱、重量40トンとかだが、やはり一度も使われたことがないという。 

 前頁の「鐘の王様」とあわせてこの「大砲の王様」は、クレムリン見物に行くと必ず案内される。それは昨日、今日のことではなく18世紀に既にそうだったことがA.S.ゲルツェンの『過去と思索』の中の次のくだりからわかる。
 「モスクワでは − とチャアダーエフはしばしば語った − 外国人がくると、必ず大きな大砲と大きな鐘を見物させる。この大砲は射てないものであり、鐘のほうは鳴る前に落ちてしまったものである。愚劣なものを名物としている不思議な町だ。それとも舌のない大きな鐘は、自分たちが人間の言葉を持っていることをいぶかしく思っているかのように、自分たちをスラヴ人、、、、と名づけた種族の住む、言葉を失ったこの巨大な国を表現する象形文字なのかもしれない。」(金子幸彦・長縄光男訳,筑摩書房,1999年)

(左:1985年12月,中:1986年12月,右:2015年3月撮影)


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中心部鳥瞰


 「鳥瞰」と言ってもべつだんヘリコプターに乗って撮ったのではなく、あのあたりでは高層のホテル「インツーリスト」の非常用階段から撮影したもの。「鳥」は鳥でも雀くらいか。 左の写真の中央の平屋の建物が中央展示場。その向こうに見える水面はモスクワ川。その右手にある金色のキューポラを持つ建物がスターリンによって爆破されたという大聖堂。これも850年祭に間に合うように再建された。右の写真は言うまでもなくクレムリンで、壁の手前の緑地がアレクサンドロフスキー庭園。その手前の放射状に通路のあるのが再開発工事末期のマネージナヤ広場。 (1997年8月撮影)


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道路元標


 赤の広場から再建されたボスクレセンスキー門をくぐってアレクサンドロフスキー庭園の側に出た舗道の上にロシアの道路元票がある。碑になっていないので気づかずに通り過ぎる人も多いが、気づいて写真を撮る人でも、そばに立つ人、踏みつけて真上に立つ人、またぐ人などとさまざま。 (1997年12月撮影)


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アレクサンドロフスキー庭園


 クレムリンの城壁下のアレクサンドロフスキー庭園には大祖国戦争でのソ連兵士と英雄都市の奮戦をたたえ、犠牲者を慰め、平和を誓う「永遠の炎」がある。結婚したばかりの二人が花を捧げに来る習慣は今でも残っているようだ。レーニン廟の衛兵が廃止になった今、あらたにこの永遠の炎の両脇にロシア軍兵士が立つようになった。やはり交代の儀式を見に市民が集まるが、以前のレーニン廟の衛兵とは違って、アクリル板か何かでできた風防の中に立っているとか、立哨中の兵士の視線が定まらないとか、さらに決定的なのは交代の時にクレムリンの鐘の音が聞こえないとかで、以前の「儀式」を知る者から見ると今のはいくぶん見劣りする。 (上段:1985年8月,中段:2005年12月,下段:2019年3月撮影)

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