平成17年指定文化財

更新日 2013-03-03 | 作成日 2007-10-08

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紙本著色筑前・豊前国絵図屏風 六曲一雙

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有形文化財・絵画
福岡市早良区 個人蔵

概要

 肥前佐賀へ往還するかつての三瀬街道に面した次郎丸の石橋家に所蔵されるものです。伝来の経緯は明確ではありません。宅地内にある土蔵に保管され、ひよりを見て年に一度は二日ほど座敷に立て風を通しており、かびや虫食いもなく良好な状態です。

形態・法量 等

 形態 六曲一雙 紙本著色  
 法量 筑前の隻 縦157.9×横363.8cm
      紙継ぎ(上より)27.5cm、34.3cm、34.3cm、34.3cm、27.5cm
    豊前の隻 158.5cm×364.8cm
      紙継ぎ(上より)28.3cm、34.4cm、34.3cm、34.2cm、27.2cm
 画中墨書
    筑前の隻 向かって右より第一扇「筑前國之圖」、「西」、第五扇「東」
    豊前の隻 向かって右より第一扇「豊前國之圖」、「西」、第六扇「東」
 時代 江戸時代中期
 備考 画面に補修あり

描法等

 表具の紙が画面にはみだしている箇所あり。
  (例、豊前隻向かって左より第二扇の、第三扇側の縁)
 画中各所に地名や道路名を墨書、島名などは朱書する。
 道筋、海上の航路、郡の境界線などもかきいれるが、山や建物を展開図風に配することはなく、地面部分に金泥をもちい、海の所々に波をえがくことなどから、鑑賞に供するために制作されたと考えられる。
 山の稜線をかき、朱線の道筋をひき、そののちに山の彩色をおこなっている。山は、稜線を淡墨線か淡い褐色の線で下描きし、墨線で描き起こし、多くの場合緑青を、まま褐色をほどこし、所々に樹木をかく。
 樹々は、幹は墨と褐色の二種類があり、いずれも輪郭線はひかず、多くの場合一本の線であらわす、葉は緑青や、数は少ないが朱をもちい、ほぼ円形の点描や、楕円形の点描、横長にひいた線を重ねるものもある。
 建物は、民家とおぼしきものは墨線でかたどり、全体を白色あるいは淡い灰色でぬるが、神社では檜皮葺をあらわす褐色の屋根と朱塗りの柱を、寺院では瓦葺きを示して濃い灰色の屋根をあらわす。
 左右隻はほぼ同様の表現手法をとるが、いくつかの違いも認められる。
 小倉城は城郭を細かくえがくが、福岡城では堀、土塁、石垣をかくにとどめる。
 豊前の隻では山の麓に水平線をひくが、筑前の隻ではこの線はほとんどない。
 豊前の隻では国境に墨線をひくが、筑前の隻ではこれがない。

指定理由

 石橋家の所在するかつての次郎丸村は室見川(早良川)の東岸に位置し、対岸の橋本村には第三代福岡藩主黒田光之が誕生した橋本の別館がありました。肥前佐賀へ往還する三瀬街道がほぼ南北に村中を通り、石橋家はその旧街道に面して建っています。「新屋」と通称された一帯は次郎丸本村からの分家によって興された町並みで、石橋家初代は天明期(1781-1788)にこの地に移り農業に従事し、二代目が嘉永期(1848-1853)に質屋と紺屋を営み、屋号を「質屋」と称しました。御当主は六代目ですが、四代目が紺屋を、五代目が質屋を廃業したそうです。
 一帯の多くは「醤油屋」「酢屋」等の家号を持ち、隣家の石橋家の家号は「お成所」と称し、藩主がお狩場や遊漁に出向く際の着替えと休息所であったと伝えられています。対岸の羽根戸村・飯盛村・吉武村・金武村に「御猟山」があったこと、飯盛渡り瀬から福重村若宮社辺迄の室見川(早良川・橋本川)が「御留川」であったことは『福岡藩御用帳』に記録されています。「お成所」の石橋家では「福岡言葉」が伝えられています。
 本図の製作年代は山峡や地面部分を金泥で刷いた描法、顔料特に藍色の色合いから江戸中期を下らないと思われます。景観年代は福岡城大堀西岸に土手の有無、荒戸山々下の波止の有無、支藩「東蓮寺」(延宝3年(1675)直方藩に改称)、「御牧郡」(寛文4年(1664)遠賀郡に改称)等々の記載に従えば17世紀後半となります。

tikuzenfukuoka.jpg福岡城付近tikuzendazaihu.jpg太宰府天満宮付近buzenkokura.jpg小倉城buzenusa.jpg宇佐神宮付近

 筑前図は朱線で街道や航路、墨書で宿場名・国境の峠名、朱で浦・泊・瀬など詳細に記載されていますが、豊前図はこれらが画かれず小倉城・中津城・羅漢寺が名所図絵風に画かれているのが両図の著しい差異となり、筑前を主眼とした福岡藩側の絵師の手になるものと考えられます。
 木立に季節感を描写するなど全体的に絵画的鑑賞的な図ですが、当地次郎丸の歴史的環境からすればその伝来を首肯することもできます。屏風仕立ての絵画的な国絵図として美術的にもまた歴史資料としても他に例を見ることが難しい貴重な作品です。