平成14年指定文化財

更新日 2013-03-03 | 作成日 2007-10-08

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樹下婦人図 2面

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有形文化財・絵画
福岡市中央区 個人蔵

【法 量】竪188.0 cm 
     横(向かって右)146.6 cm
     横(向かって左)146.0 cm
【材 質】杉(杉戸)
【技 法】油彩
【銘 文】(画面向かって右下)明治戌申三月 三造
【画 題】紙谷家では「天平のひと」と呼んでいる。
【その他】前所有者河内卯兵衛(かわちうへい)没後、
     紙谷公之介氏(明治41年生)が購入したもの。

 明治41年(1908)製作。作者は和田三造(明治16年・1883-昭42年・1967)。
 和田三造は兵庫県生野町(朝来郡生野町)に生まれ、兄宗英が大牟田市の鉱山業に従事したため、13歳の時、一家をあげて福岡市に移転しました。大名尋常小学校を卒業、県立修猷館中学校に入学しますが、16歳の時、修猷館を退学。上京して黒田清輝邸の住み込み書生となり、18歳で東京美術学校西洋画科選科入学、明治40年、24歳の時、第1回文部省美術展覧会(文展)で「なんぷう南風」が二等賞(最高賞)を受賞します。翌年の第2回文展でも「いくん鉢燻」(焼失)で二等賞(最高賞)を受賞。同年3月、文部省より初の美術留学生として海外に派遣されました。フランスを中心としてヨーロッパ各国を巡歴、洋画とあわせて工芸図案の研究に従事しました。大正4年(1915)32歳の時に帰国しました。
 本作品は第1回・第2回文展で最高賞を受賞し、留学生としての派遣が決定された頃、帰福した和田三造が河内卯兵衛(明治9年・1876-昭和38年・1963、後の第14代福岡市長)のもとで歓待・激励を受け、併せて留学中の滞在費用の援助を請うた際に画かれたものと言われています。
 本作品は、当時洋画界において新たな分野として制作が試みられた神話や歴史に画題をさぐった歴史画の一端をよく物語るものであるとともに、個別的には東京美術学校時代の師藤島武二の「天平の面影」や同級生青木繁の影響も認められる作品であり、綿密な考証と構想のもとに制作されたものと考えられます。
 帰国後、デザインと色彩研究に進み、また日本画への関心を深めていった洋画家和田三造の作品は、関東大震災、東京大空襲の罹災焼失と相俟って、多くが残されているわけではありません。
 和田三造ゆかりの地である本市には、かつて三造が通って稽古にはげんだ明道館の「虎之図」や、福岡玉屋に入った帝国ホテルを飾った「博多繁盛の図」「西都政庁の図」などが残されていますが、本作品はそれら戦後のものとは違い、文展に華々しく登場した「南風」「鉢燻」時代の知られざる作品です。
 本作品は和田三造の渡欧前の作品として稀少な価値を有するばかりでなく、近代美術史における作例としても貴重な価値を有するものであると考えられます。