陶造地蔵菩薩坐像 1躯
品 質 陶造
法 量 総高49.7cm 像高40.6cm 髪頭頂-顎12.6cm 面幅8.4cm
面奥10.4cm 耳張9.7cm 耳長(右)6.4cm 耳長(左)6.5cm
肩張15.4cm 肘張23.5cm 袖張35.3cm 胸厚8.3cm 腹厚12.0cm
膝張29.6cm 膝奥16.9cm 裳裾奥21.5cm
銘文等 【台座底部口縁部内陰刻銘】
文政六癸未年仲春吉日筑前博多陶師宗七幸弘作之
【背面下部押印】
「宗七」(長円印・陰刻)「正木/幸弘」(方印・陰刻)
像 容 両手を胸前に掲げ、右手に錫杖(後補)を左手に宝珠を持ち、
右足を上にして蓮台上に結 跏趺坐する。
備 考 頭部の右半分ほどは透漆が落ちている。頭部背面に割れがある。
作 者 正木宗七幸弘
時 代 文政六年(1823)
承天寺の塔頭である祥勝院に安置されています。大正四年に地蔵堂敷地に埋もれていたのを工事中に発見されたと伝えられます。
作者正木家の祖は播州の瓦師正木仁兵衛です。黒田家に仕え、長政の筑前国移封に従って豊前中津から福岡に移り、福岡城の瓦を焼いたと伝えられます(『長政公入国より二百年町家由緒記』)。
仁兵衛から数えて四代目に当たる分家の初代正木惣七(延宝7年・1679〜明和3年・1766)が、瓦師から陶工師に転じ、黒田家の御用焼物師を勤めたのが「宗七焼き」の始まりとされます。以来六代にわたって技術の研鑽・工夫に努め、本像の作者正木宗七幸弘(安永3年・1774〜天保13年・1842)はその四代目にあたります。
「宗七焼き」の作品としては仏像のほか茶道具、香炉、面、床の間の置物など精緻を極めた高級品が残されていますが、その遺品は必ずしも多くありません。
本像は福岡市域には見られず、京都近辺のものかとも考えられる緻密で粘着力に優れた赤褐色土を素焼き後、彩色して焼成、その後全体に透漆をかけて仕上げたものと考えられます。手足に顕著に見られるように肉身部や金色の錆びた輝きを思わせる宝珠の色の仕上がりなどに優れた技巧が窺われます。
また、頭体部を内部に棚を設けて指し首で接合するなど当時の木彫仏に特有な技法が見られます。
遺品が稀である「宗七焼き」の技術や技巧の変遷や成長、またその全体像を知る上で本像は極めて高い価値を有するものです。