平成八年度指定

奈多の志式座  1棟

福岡市東区大字奈多字宮山1238番地の2

 志式神社の一の鳥居をくぐった右手に、本殿に対し北西に面して建つ村舞台である。「志式座」と通称される。
 正面通し1間、背面2間、切妻造、桟瓦葺、正面と両側面に出桁庇を付ける(桟瓦葺)。背面と両側面下屋1間張り出し(桟瓦葺)。向って左前方に花道(桁行3間、梁行1間、切妻造、桟瓦葺)を付ける。

平面図

 舞台裏及び左右が楽屋と道具置場となり、上手に太夫座、下手に常設の花道を有する。
 およそ25.0×22.5mの観客席があり、盛土をして傾斜をつけ、後方にいくに従って1m程高くなる。
 明治28年(1895)、猪野大神宮(粕屋郡久山町)の境内にあったものを移築、昭和23年(1948)茅葺きを瓦葺きに葺替えた。昭和61年(1986)にも葺替えし、この時太夫座の正面腰高窓を板壁で塞いだらしい。
 現在4月1日(以前は10日)の41歳になった氏子の厄落としの祭りである初老賀の祭りと、7月19日・20日の奈多祇園祭で使用されている。

 天明4年(1784)、疫病と飢饉の退散・平癒を祈願したところ、効験著しく、その報賽として芦屋の大蔵組をよんで「おどり」を奉納したことが奉納芝居の始まりと伝えられる。以後、「万年願」と称して一年も欠くことなく、「おどり」(芝居のこと)の奉納がなされてきたという。
 以前は組立式の仮設舞台であったらしいが、猪野の舞台を譲り受け、常設舞台「志式座」として現在に至っている。
 猪野からの移築後、両側面の楽屋を拡大し、太夫座・花道を設けるなどしている点から、往時の「村芝居」の盛んな様を伝えている。こうした農村舞台(農山漁村にある歌舞伎や人形芝居を上演する営業用でない舞台のこと)は、小呂島(西区)、西浦(西区)、唐泊(西区)、姪浜(西区)、箱崎(東区)にもあったが、現在本市に残る農村舞台は「志式座」のみである。「芝居」の字義にふさわしく後方を高くした見所(観客席)とともに、「村芝居」の実際の環境を今に伝える貴重な遺構である。

参考文献