平成八年度指定

江月宗玩筆墨蹟之寫 49冊

福岡市博多区千代四丁目7番79号

 「墨蹟之写」40冊、「聚光院什物墨蹟写」1冊、「断簡」7冊、「大僊院什物墨蹟写」1冊、以上49冊からなる。墨付2257丁。法量は各、縦約30.7cm、横約23.4cm。

 昭和25年(1950)夏、崇福寺を訪れた玉村竹二氏、今枝愛真氏により、輪蔵から発見され、学会に紹介された。昭和51年(1976)、竹内尚次氏によって元和九年分(20冊分)までが『江月宗玩 墨蹟之寫 禅林墨蹟鑑定日録の研究上』(国書刊行会)として公刊されている。

 崇福寺中興の祖、江月宗玩(天正2、1574〜寛永20、1643)が筆録した、慶長16年(1611)秋38歳の時から、寛永20年(1643)70歳の示寂に至るまで33カ年にわたる「禅林墨蹟鑑定日録」とも評される記録である。

 鑑定された墨蹟は宋元墨蹟、大徳寺・五山諸寺什宝・大名物から洛中・大坂・堺・奈良・博多・江戸の町衆の秘蔵品におよび、披見した墨蹟(禅画・古文書も含む)を写し、持参者・所蔵者・表具・法量・真偽・伝来等につき記されている。

 採録点数は膨大であり、現在では散逸した墨蹟等も多数記録されているものと考えられ、禅宗史・茶道史・美術史上ひいては広く中世文化史研究に欠くことのできない史料価値を有する。