平成四年度指定

飯盛神社流鏑馬行事

福岡市西区大字飯盛609番地 飯盛宮当流流鏑馬保存会

 古代・中世以来、旧早良郡一帯に信仰圏を持った飯盛神社の10月9日(旧暦9月9日)の秋季大祭(くにちまつり)に、五穀豊穣、武運長久、無病息災を祈って行われてきた伝統行事です。この行事は、古くは、飯盛神社伝来の元亀四年(1573)の古文書にその徴証が見られ、また『筑前国続風土記』(元禄16年・1703藩主へ献上)をはじめとする近世の地誌類、天保9年(1838)の伝書も伝えられており、およそ400年にわたって継示されてきた行事だと考えられます。
 また、射手は、氏子中の騎射を業とする家が当っていましたが、この伝統は形を変えながも現在に引き継がれています。
 昭和52年(1977)、伝書に従って行事形態・装束が整備され、平成3年(1991)に保存会が発し、今後の保存・継承体制となりました。
 旧早良郡七ヵ村(飯事・吉武・金武・羽根戸・四箇・田村・野方)は中世期では飯盛神社の神領73町余を形成し、近世期にも豊かな農村地帯として藩財政にとって経済的に重要な地域でした。
 流鏑馬行事が奉納される飯盛神社はこの七ヵ村の惣社として信仰面での拠り所となった神社であり、その名残りは現在も継承されるかゆ占(県指定無形民俗文化財)の行事にもみられます。
 流鏑馬行事は牛馬耕が一般であった頃までは、持ち回りの当番の村から選ばれた神馬を駆って行われたもので、その遺風は現在も氏子中から騎馬ではありませんが神馬が出される点に残っています。
 また射手は氏子中の騎射を業とする家が務めたものでしたが、現在、流鏑馬の伝書を伝承し、射手の中心となっている榊家も既に3代にわたって流鏑馬を継承している氏子です。およそ400年の間には中断や行事形態の変遷もあったと考えられますが、氏子中からかつての惣社飯盛神社に奉納される基本的な形態が連綿として継続しているもので、地域に根ざした民俗行事として本市にとって貴重な文化財です。

写真は平成10年の流鏑馬行事を撮影したものです