第111回定例会報告

(1998/09/27)


 当日は、外部からの参加2名も含めて計17名の参加で、以下の7タイトル7戦のプレイが行なわれました。

(GMT)バトル・オブ・ワーテルロー「キャトル・ブラ」シナリオ:16ターンまで
 仏軍指揮官の活性化値が低いため騎兵の機動力が活かせず、ネイの登場を待って一気に戦略移動でキャトル・ブラに騎兵だけで大迂回をかけるも、待ち受けるベルギー・オランダ兵に阻まれ、それでもネイ率いる槍騎兵がキャトル・ブラに隣接して強襲を敢行したが、背後に取り残した微戦力歩兵による方陣の除去に失敗した事もあって退路を断たれ一撃で包囲殲滅された(ネイは騎兵を失い、一旦は隣接する騎砲兵上に逃れるも、それも除去されて何等活躍するまでもなく捕虜となった)。
 その後、功を焦る仏軍は歩兵の逐次投入の愚を犯し、キャトル・ブラへ一歩でも近付こうと、突出しては「正面−側面」から攻撃されて、いたずらに損害を増やした。
 それでも仏軍は不確定増援(10分の1確率で登場)のデルロン第1軍団を受取って、平押しを続けたが、連合軍は精鋭英軍歩兵で銃列を引き、背後にウェリトンを配して有利な防御修正を得て、鉄壁の防衛線を堅持した。
 事前に読んだ段階では、ルールに例外が多く、指揮統制も理解し辛かったが、プレイしながら理解していくと、非常に面白かった。せっかくこの分厚い(日本文60ページ)ルールを憶えたのだから、次回の例会でもう1度プレイする事に決定。今度は立場を入れ替えて。

(GMT)インベンション:シシリー/全13ターン中8ターンまで。
 訳者がボリスの最高傑作だと絶賛するシシリー戦キャンペーン。当初ヘルマンゲーリング師団が橋頭堡1ヵ所に突入するなど積極防御を展開していた独軍だが折を見て山中に撤退。頑強な抵抗と地形効果によって英軍方面では中盤から一切英軍が攻撃を行なわれなかった(米軍は猛攻)。部隊の練度(ER値)が直接、戦闘に影響を及ぼすため、部隊への愛着も湧き、システム的にも両軍が、使えるルールの全てを駆使しなければ互角に戦えないという頭脳プレイが要求される為に対戦後、心地好い疲労感を味わっていた。戦局は英軍の消極性が祟ってかムッソリーニ失脚表でファシストが復活する始末。黒シャツ部隊の増援まで得た。
 今回これの和訳(日本文40P)を作ったYaGさんは、昔から「シシリーからできる連隊規模のイタリアキャンペーン」を夢想していたので(S&Tのイタリアンキャンペーンはシステムが馴染めなさすぎ)、GMT社の今後の展開に非常に期待しているようだ(一応、シリーズと銘打たれている)。でも1ターン3日で、(AH)アンツィオみたく43年〜45年までやると、250ターン以上かかるのでは・・。

(国際通信社)ビスマルク追撃戦YSGA独自ブラインドサーチ。
 3セット用意して、審判が状況を統轄するフルブラインド対戦。独軍担当者の詳しいリプレイは、別発言(超長文)にてアップします。

(国際通信社)第1次中東戦争
アラブ担当者は事前に4回ソロプレイしてきただけあって、作戦に無駄がなくサイの目にも恵まれて、エジプト軍大いに進撃す。これが初戦のイスラエル敗北。しかし慣れればイスラエルの勝率は急上昇するとの事。

(AH)ビターウッズ
選択ルールを折り込んで作った簡訳をお互い事前に読んでの対戦。米軍、南部の独軍の戦闘後前進(4Hex退却4前進)によって続く予備移動でバストーニュ早期陥落。一度開いた南部の突破口は防ぐ事ができず、開始3日目にはミューズ河を突破された。逆に北部では突破したSS 第1装甲師とスコルツェニー150旅団のフルスタックが包囲され、強力な米軍砲撃を喰らって全滅する悲劇が。このゲームの特徴として北部と南部の格差が大きいと言える。「(AH)81年バルジの正統な後継SGであり、道路移動率の大きさもそのまま」「81年バルジだとEXが致命的だったけど、ステップロス方式になって耐えられるようになった」「ただ81年バルジからずっと疑問なんだけど電撃戦CRTって、どんな時に使うの?」

(HJ)ビターエンド
独軍はシミュレイター誌で提唱された南方シフトを実行。

(AP)レイテ1944
米軍、チット引きに大いに恵まれ快進撃。対して日本軍は特攻で仇討ち。戦艦含め全艦除去の快挙。


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