ビスマルク追撃戦



1941年、戦艦グナイゼナウとシャルンホルストの二隻による11万t以上もの通商破壊戦による戦果は、ドイツ海軍に次の作戦を企図させるに充分であった。この二隻は英海軍の待ち伏せを察知し、フランスのブレスト港に入った。この二隻と呼応して世界最強の戦艦ビスマルクをも大西洋に出撃させようというのである。これが新鋭戦艦ビスマルクの最初の出撃でもあった。

しかし、フランスから悪い知らせが届いた。グナイゼナウは、先手を打った英空軍によって空襲され、この作戦には参加できないことになった。そしてシャルンホルストも、機関の調子が悪いと言うのだ。

「総司令官、少なくともシャルンホルストの機関修理が終了するまで見合わせるべきではないでしょうか。その頃にはティルピッツの慣熟訓練も完了していましょう」

「リュッチェンス君。それを待っていては夏になってしまう。それでは大西洋にでる機会は失われてしまう」

「確かにそうでしょうが・・・」

「最新の巡洋艦プリンツ・オイゲンを随伴させよう。今行けば、奇襲の効果は大きいだろう。地中海での作戦もある。ここで英軍の補給戦を脅かせねばならぬのだ」

こうまでいわれて、指揮をとることになっていたリュッチェンス提督は臆病風にふかれたと思われるわけにはいかない。しかし、グナイゼナウの不参加、そして、低速なために参加が見合わされたシェーアの不在は、結果的に大きな意味を持った。

一方の英海軍トーベイ提督は、5月20日に早くもデンマーク海峡で北上中のビスマルクを発見。緊張が走った。

「一体、ノルウェーで何をするつもりだ」
「大西洋にでてくるしかないだろう」
5月21日、ベルゲンを出撃した両艦の接触は途切れたが、トーベイの確信は揺らがなかった。時を移さずに、北海から大西洋へのすべての水道を警戒しはじめた。グリーンランドとアイスランド間のデンマーク海峡にはレーダー装備のノーフォーク、サッフォークの両巡洋艦。その後方には最新鋭艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦フッド。そしてブリテン島北には不沈艦キング・ジョージV世、巡洋戦艦レパルス。そして、空母ビクトリアスの本国艦隊主力の全てをこれにあてたのである。

リュッチェンス提督は、ベルゲンから一度北上し、そして西進。アイスランド東南で、随伴のプリンツ・オイゲンを切り離したのである。高速の巡洋艦プリンツオイゲンを先行させ、ビスマルクは別ルートで大西洋に出ようとしたのである。プリンツ・オイゲンは水道突破中に早くも警戒中の艦隊に発見されるが、ビスマルクは消えていった。

プリンツ・オイゲンは、大胆にも単艦で大西洋に出ると、高速を利して西進。接触した巡洋艦は、レーダーを持っていたにも関わらず、振り切られてしまった。日の出とともに偵察機も飛ばして捜索を開始したが、発見はできなかった。しかも、ビスマルク自体はベルゲンを出てから、ようとして行方は知れないのである。

「ドイツ艦隊、アイスランド南から大西洋に突破」

それを知った英海軍は、直ちに哨戒線を主に南に振り向け、後続するであろうビスマルクに備えた。単艦でビスマルクに当るのは危険である。しかし、一方で突破したプリンツ・オイゲンも正午まで発見できなかった。

「プリンツ・オイゲン発見!」

その報告が入ってきたのは、午後であった。大胆にもプリンツ・オイゲンは英海軍の裏をかき、地中海ルートのど真ん中、本土の真西に出現したのである。そして、その報を打電したのは、当の地中海行きの輸送船団WS8Bである。プリンツ・オイゲンは単艦ながら輸送船団に突入し、この船団は護衛もなかったために、壊滅した。貴重な地中海船団は失われ、ロンメル将軍の攻勢は支えきれないことになる。これによって、英軍は大いに落胆させられた。

さらに南下したプリンツ・オイゲンは、空母ビクトリアス以下の英部隊と遭遇した。煙幕を張り遁走を図るオイゲン。これに対し、ビクトリアスは距離を取って追尾しつつ艦載機で攻撃を図ったが、至近弾数発程度の損害しか与えられず、逆に振り切られてしまった。

これを知った英海軍はパニックに陥った。このままプリンツ・オイゲンが解き放たれたら、捕まらない可能性がある。さらに、ビスマルクはどこに。ベルゲンへ引き返したのか。アイスランドの北へ回っているのか。考えたくないことであるが、見つけもらしたのか。

しかし、トーベイ提督は一人冷静であった。直ちに方針を変更。大西洋上の英本土に近い船団を直接護衛。これで時間を稼ぎながら、いずれは発見されるであろう両艦を主力で叩こうとしたのである。
これにはジブラルタルの空母アークロイヤル率いるH部隊も用意された。この部隊はビスマルク発見まで待機中である。ビスマルクはいずれ自ら姿を現すはずである。船団を攻撃するために。

大戦果を挙げたプリンツ・オイゲンではあったが、しかし、そこへ一つの報告が届いた。南下中の輸送船団がアイルランド沖を移動中。ここで西方へ突破していたら、恐らくは再び英海軍はこの艦の行方をつかむことは当分不可能になるであろう。何よりビスマルクに備えなければならないからである。しかし、プリンツ・オイゲンはこの魅力に抗しきれなかった。この船団を狩ってから、アフリカへ向かえばいい。先の大戦果に欲が出たのだ。

「船団発見!」

5月25日早朝、予想に違わず、船団はそこにいた。しかし、トーベイは一時的に船団を直接護衛方式にあらためていた。そしてそこにいたのは、先ほどのビクトリアスであった。もう逃がすわけにはいかない。煙幕を張りつつ退避するプリンツ・オイゲンに、巡洋艦二隻と駆逐艦戦隊が襲いかかる。優速の駆逐艦に回り込まれ、ここにきてはプリンツ・オイゲンも腹を決める他はなかった。

「砲戦開始」

双方の主砲が火を吹く。初弾から挟狭する英砲に対し、オイゲンの砲撃も正確であった。まずは追いすがる駆逐艦一隻をたちまち撃沈させ、次いでケニアに照準を合わせると、ケニアは大量の命中弾で速力がガタっと落ちる。オイゲンは回頭すると、ケニアを穴だらけにし、大破させた。一方の英軍は全艦が一度に同一艦を目標にしたために着弾観測が困難であり、命中弾がなかなか得られない。しかし、ここで駆逐艦の雷撃によってオイゲンは右舷艦首に被雷。ここにきてオイゲンは速力を15ノットにまで落とし、度重なる命中弾で砲塔の半数は沈黙してしまった。
だが、ここからまたオイゲンはしぶとかった。敵を討とうとするエルミオネに命中弾を与え続け、逆にとうとうエルミオネは水面下に沈んでいってしまった。次いで煙幕を使いながらビクトリアスへ肉薄。命中弾を与えた。

しかし、オイゲンの奮戦もここまでであった。駆逐艦に囲まれ、つるべ撃ちにされる。完全に沈黙し停止したプリンツ・オイゲンは、力尽きて沈んでいった。英軍もケニアは手の施しようもなく、処分するしかなかった。

片腕をもがれたビスマルクはその時、どこにいたのか。ビスマルクは、デンマーク海峡にいた。一度などは英空軍の偵察機が直上を飛んでいたのであるが、偶然、低く垂れ込めていた雲によって発見を免れていた。ビスマルクはプリンツ・オイゲンの戦闘と相前後してデンマーク海峡を高速で突破を開始。海峡の出口には南に誘引されて英艦隊はおらず、ビスマルクはゆうゆうと北大西洋に入った。プリンツオイゲンを囮にして丸1日半もかけてアイスランドを迂回して時間差をつけて突破。虎は放たれたのである。

一方の英海軍は、プリンツ・オイゲンを撃沈したことで逆に行方を知るドイツ艦を失い、再び手がかりを全く失っていた。再び大捜索が開始された。しかし、既に接触を失って一日以上。もしビスマルクが直進していて発見できなかったのであれば、北大西洋の中部にまで進出するのに十分な時間である。広い大西洋に全く手がかりが無い。その対応に忙殺された。

一方のビスマルクにも、弱味があった。片腕のプリンツ・オイゲンが失われた以上、英軍は全てをビスマルクに投入してくる。もしグナイゼナウが一隻でも中部大西洋に出撃していたら。 しかし、ビスマルクは作戦を継続した。デンマーク海峡を突破してくるならグリーンランド沿岸の最北ルートをとる、という英海軍の裏を付き、堂々と中央寄りを進んだビスマルクは南下を続け、今や完全に大洋に入ったのである。

だが、今までビスマルクに向いていた運が、ここでスルリと英海軍に抜けていってしまった。単艦となったビスマルクに対してU−ボートの支援を行おうと、暗号で海軍本部がU−ボートの集結を命令。これを傍受した英軍は暗号を解読。当然この集結場所近くにビスマルクはやってくると読める。当初の計画より、やや東を進んでいたものの、その位置は150kmと違わない。とうとうビスマルクはおぼろげながらながら、その姿を現したのであった。

偶然にもその命令電はビスマルクにはとどかず、発見されたとは露とも知らなかった。今やここで輸送船団を狩るも、西へいくも、南へいくも。ビスマルクは自由であった。ビスマルクはすでに本国からの知らせでこの付近に3つの東西へ向かう船団が居るのを知っていた。まずはこれを襲撃し、しかる後にこのルートを辿りながら西進。しかる後に南下してアフリカへ抜ける方針を決めた。

一方の英海軍はビスマルクが北にある事を知り、全艦隊の集結を命じた。襲撃が予想される船団には護衛を配し、戦艦キング・ジョージX世、巡洋戦艦レパルスを中心とする打撃部隊を編成し、ビスマルクへ向かった。英海軍にはビスマルクの一時的な位置は推測したものの、その後の行方は未だつかめていない。直接、その目で見たわけではないのだ。西へ行くのか、このまま南へ来るのか。ビスマルクは発見されたことを知らない以上、最短の南へ来る。 トーベイ提督は正確に予想していた。

5月26日正午、ビスマルクはルートのちょうど中心線にまさにいた。主目標は、東へ向かっているHX船団。その他に分かっているだけで2つの西へ向かう船団が辺りにいることが知られていたが、リュッチェンは提督はまず一度この船団を叩いて南へ抜け、旋回して再び西へ向かい、もっと西方で再び捕えたかったのである。
一度船団の前に姿を現す以上、そこへ英海軍が殺到してくるのは火を見るより明らかであったからである。

ここでは、最後の運がドイツ軍に向いていた。偶然にも敵船団HXを求めて行った回頭によって空船の西へ向かう船団を抜け、100kmと離れていなかったキング・ジョージV世とレパルスの打撃部隊の横をすり抜け、そこにいたのは目指すHX船団だったのである。

水平線上に姿を現したビスマルクが敵艦を射程に収めたのは5月26日、朝の10時を少し過ぎていた。南方へ退避する輸送船団の前に、勇敢にも一隻の艦が立ち塞がっていたのである。旧式巡洋戦艦ラミリーズであった。R級巡洋戦艦はネイバルホリデー前の艦齢であり、カタログ上の砲撃力はともかく、装甲、耐久力、速力、全てがビスマルクに凱歌が上がる。特にラミリーズの装甲の薄さは致命的で、弾火薬庫を貫かれた巡洋戦艦の脆さは第一次世界大戦で実証済みであった。しかし、ここでラミリーズが逃げては、船団は壊滅した上に、ビスマルクは広い大西洋上へ再び放たれてしまう。

輸送船団に加え、戦艦まで戦果に。リュッチェンス提督にはその幸運が信じられなかった。しかし、その顔が蒼くなるまで時間はさほどかからなかった。輸送船団へ進路を取りながら進撃するビスマルクを必死で阻止しようと、同航戦に持ち込み、果敢に砲撃を加えるラミリーズ。だが、ビスマルクの砲撃は峡叉を繰り返すものの、不思議と至近弾に終わるものが多い。なかなか致命弾を与えられない。逆にラミリーズの砲撃は正確を極めた。徐々に速度を落すビスマルク。しかし、距離が縮まるに従いとうとうラミリーズにも強烈な砲弾が大量に命中し始める。
前甲板を貫いた一発や、後部に着弾した砲弾などは、ほとんど火薬庫のすぐ近くで炸裂している。だが、必死で食い下がるラミリーズは、あくまでも逃げずに食い下がった。ボコボコに殴られ、もはや上部構造物の大半を消し飛ばされながらも、奇跡的にも残った砲塔が反撃を続ける。

リュッチェンス提督は既に顔が真っ青になっていた。旧式のラミリーズごときにここまで損害を受けるとは考えてもいなかったのである。運の悪いことに、命中弾の多くが、偶然にも致命的な部分に命中している。確率からすると、信じられないことであった。ラミリーズはさすがに奮戦していたが、性能の差は如何ともしがたく、上甲板の前部のほとんどを水に浸し、浮力の全てを失って沈んでいった。しかし、最後の斉射、すでに砲塔の半分以上が沈黙していたが、それは後部に至近弾を与え、ガタガタになっていた装甲に亀裂を生じさせしまった。

ビスマルクはラミリーズを始末して即座に輸送船団砲撃に移った。たちまち火を吹く輸送船団は大半が失われ、残りは壊走した。しかし、この時浸水はさらにひどくなり、とうとうノロノロと進むだけになってしまったのだ。そして後部砲塔が火薬庫の注水で使い物にならなくなっている。最大で14ノットしか出ないビスマルクに、早くも英空軍の攻撃が襲い掛かる。これは微損害であったが、すぐ近くにはキング・ジョージV世とレパルスが無傷の状態で向かっていたのである。
 かくしてビスマルクはその短い生涯をアイルランドとニューファンド島のちょうど中間地点で終えた。


今回は、英軍を副会長のSatoh氏、独軍を私、KonD。そしてレフリー役にAoNさんという二方とプレイしました。作戦級海戦ゲームの最高の形であるレフリー役をAoNさんが率先して引き受けてくださり、しかもそのための独自追加ルールを忙しい中、作ってくださいました。今回のビスマルクが発見されたのも、その追加ルールのせい(?)です。
そのため、完全にこちらは発見されたのがわからず、しかもその位置も微妙に違う位置(今回はあまり影響はありませんでしたが)が英軍に知らされる、という素晴らしく面白い結果がでました。
もしあそこでビスマルクが発見されたとこっちが気付いていたら、英軍が危惧したようにビスマルクは西ヘ迂回してしまったでしょう。こんな劇的な展開のありえるルールを作ってきてくださったAoNさんに感謝です!

また、Satoh氏も対戦してくださって、感謝です。こちらが徹底的に序盤はビスマルクの位置を秘匿する作戦に出た為に、非常に苦労していたようです。また、索敵の失敗や追尾の失敗(青野さんのダイスのせいですね)もあって、いきなりWS8Bの20vpをプリンツ・オイゲンに奪われ、挙げ句、そのオイゲンに鬼目をだされて軽巡二隻を巻き添えにされ、序盤はダイスにたたられたようです。ただ、中盤からは的確に守られてしまいました。ビスマルクの針路を読まれ、そこへ艦隊を集結されていたようです。

予想通りビスマルクが大西洋に出た時は哨戒線を後退させたようで無傷で密かに大西洋上に出ることができたのは成功のようです。ただ、こちらの機動が偶然にも微妙に敵を躱し、最後は最悪の形で船団に突っ込まれてしまった辺り、まだこちらに運があったようなのですが・・・。
しかしラミリーズの砲撃では今までの目の悪さを取り返されたうえ、ビスマルクの目がかなり悪く、ビスマルクを大破させられてしまいました。

結果的に今回の「先にオイゲンを出し、ビスマルクは待機し、ビスマルクを発見し逃した可能性を考えて哨戒線を下げさせる作戦」は、結果的に成功したようです。ただ、オイゲンの突破自体には追尾の失敗と言う僥倖があり、オイゲンも突破は1ターン待って夜間ターンに行うべきだったのかもしれません。

今回のプレイでは、レフリー制が完全に活かされました。ビスマルクが隠されたことによって、全く位置が分からない英軍は、ダミーシステムよりもかなり苦労させられたようです。AoNさん、ありがとう!!

システムについての感想ですが、やはりレフリー(パソコンによるものも含め)がいると、いいですね!ただ、ドイツの立場からいえば、シナリオ1だと2隻しかおらず、分割したから2艦隊になりましたが、オイゲン沈没以後、かなりヒマでした。やっぱグナイゼナウくらいは欲しいと思いますが。だけど、グナイゼナウがいると、英軍はさらに苦労するでしょうが。少数のドイツ水上艦隊でも、広大なシーレーンをもつと、その脅威が分かりますね。

あと、輸送船団は一部しか発見できず、さらにその半分がダミーというのは、かなりドイツ軍を制約していると思います。発見されていない艦が半分の確率でダミーで発見されてしまうのですから。なので、一部しか発見されていないのであれば、ダミーの確率をもっと減らして欲しいと思いました。1ターンに約1・5vpが輸送船団の出現によって自動的に英軍に増えるので、合計で40vp以上をドイツ軍が奪って、さらにビスマルクは生き残る必要があるので、結果的にVPのある船団を英軍に守られると、苦戦すると思います。つまり、VPのある船団自体が少なく、さらにその半分以下しかわからないのでは、ダミーと併せてオリジナルよりかなりドイツがVPを得にくくなっているようです。

逆に、英軍はもっと洋上哨戒能力、特に沿岸航空隊の哨戒力がかなり増えるべきでしょう。ダミーマーカーを確認するためにあの能力なのでしょうから。思い切って、レフリーがいるのならば、基地からの距離で自動的に発見確率を作っても良いかもしれません。今のだと、哨戒基地沖200kmをゆうゆうと通る可能性があります。そのせいで、佐藤氏も結局は、ビスマルクの直接発見はできませんでした。

しかし、総論として、とてもとても楽しめました。以上の提言も、勝つのに不具合だというだけで、楽しさ自体には文句はありません。またレフリーを交えて、またはパソコンブラインドのシステムを流用してやってみたいと思います。


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