例会報告

(1998/02/08)


 夕方頃、観戦に来られた2人を含め17人で以下の7タイトル9戦が行なわれました。いつもながら朝、来場と共にさっそく地図盤をひろげてプレイに取り掛かる活発さに、私の記録/展開聞き取りも追い付かず、自分の参加したASL以外は、簡単な報告となってしまいました。



(AH)ASL太平洋/大規模シナリオ:Leatherneck13 Saito's Farewell Order

1944年7月7日サイパン島における日本軍最後の払暁総攻撃を、日本軍分隊104個、操作班6個、指揮官28人、中機6丁、軽機12丁、擲弾筒10丁、爆雷10個、火炎放射器2台、97式中戦車2輌が、4枚の地図盤の上端から登場し、各地に点在する米軍機銃座、砲兵陣地、大隊司令部に殺到するという、数あるASL太平洋シナリオ中、最大のものに太平洋シナリオ初体験の5人で挑戦!!
 登場する日本軍を日本軍担当の3人が、それぞれ右翼左翼中央に分け、津波のごとく一列となって侵入。対する米軍の2人は地図を東西に分けて担当し、星弾を撃ち上げられるだけ撃ち上げ、照し出された日本兵に対して猛烈な機銃火を浴びせてスタックごと打ちのめす。しかし夜間の為に狙撃兵ナンバーが最大値の7に達している為に、米軍も次々と斃される(機銃座を指揮していた9-2指揮官が初弾で眉間を撃ち抜かれて戦死するなど)。
小針氏揮下の日本軍左翼は、米軍の熱意溢れる機銃掃射(ダイス絶好調)により特に損害多く、手持ち兵力の全てを枯れ谷の底に退避させ、他部隊の進展を伺う。中央の日本軍Fred.牛さんは、チハ戦車と歩兵をスタックさせて慎重に道路を移動、両側からの機銃火を物ともせず、中央突破の構えを見せる。右翼のAoNさんは揮下兵力の殆どがC級歩兵(現地徴集及び軍属、敗残兵)であるのを理由に米軍の視線内には一切入らず、死角から死角へと群をなして移動。続く米軍ターンの射撃戦で更に多数の日本軍分隊が死傷するも、分隊数自体はそんなに減少せず、逆に擲弾筒によって米軍の前哨線を、殆ど潰走させ、2ターン目の日本軍移動では遺棄された米軍兵器を捕獲すべく前進する始末。機銃火を浴びて狂暴化した日本軍将校は分隊を率いて突撃を開始するも、隣接防射によって薙ぎ倒される。凄じい射撃戦の応酬で混乱した米軍蛸壷陣地に、爆雷を抱えた挺身斬込隊員が突入するも、敵指揮官を負傷させただけで、死を命じた日本軍担当者を慟哭させる。それでも中央部のFred.牛さんの活躍により米軍戦線が綻び始め、これに力を得た両翼部隊も積極攻勢に転じ、遂に1枚目の地図における米軍崩壊。 この間、中央の道路では縦隊をなした日本軍がチハ中戦車2輛を先頭に立てて、2枚目地図中央の米海兵隊砲兵陣地へと進撃。これにより夜間視界が4ヘックスに増加、更に風変化チェックによって視界増加が発生して3ターン目には視界5ヘックスとなって、夜間の効果は薄れる。
 2枚目の海兵陣地では、弱腰の砲兵指揮官(Idioten)が配置時に105ミリ砲3門をトラックに繋ぎ、日本軍の2枚目地図侵入と共に3枚目地図へと脱出させた為、史実の様な105ミリ砲零距離射撃という見せ場もなく、押し寄せる日本軍に対して士気の高い(でも火力は4)海兵隊が、弧軍奮闘する羽目に陥る。これを観た日本軍側から「(大隊長が逃げたぞー、ならぬ)砲兵隊が逃げたぞぉー!!」という昭和25年版「映画:きけわだつみの声」のクライマックスを髣髴とさせる揶喩が飛ぶ。本来なら105ミリ砲3門が、チハ中戦車を木端微塵にし、日本軍歩兵を叩き潰していたものを・・・。
日本軍戦車の道路移動を防ぐため砲兵陣地前の道路上に堀切りされた塹壕には、逆ににじり寄った日本軍歩兵スタックに占拠され、ますます不利になった海兵隊も、戦車砲や擲弾筒による銃砲火にもめげず道路上の日本軍を機銃掃射、次々と赤帯付き(ステップロス)に変えてゆく・・といった3ターン終了と共に時間切れ。

●感想●
非常に盛り上がった。案ずるより生むが易しで、太平洋シナリオもやってみれば大して難しいものでもなく、かえって混乱もしない、包囲もされないという点ではやりやすい。今回のシナリオでは払暁という事もあってか、夜間の特別ルール(迷走、完全隠蔽、同士討ち、ダミースタック)は否定され、盤外砲撃も余り使えない状況になっているので、作戦(戦術級だけど)に集中できた。
 教訓として、夜間のジャングルでは、隣接するジャングルとの間で視線が引けない為に、あたら日本軍の肉薄を見過ごす羽目となった。米陸軍相手の戦闘では士気の低さを利用して、射撃グループによる大火力射撃を加えて士気チェックを強要、それでも駄目なら波状肉薄移動を行なって緊急防御射撃(による士気チェック)を迫る。このシナリオは全15ターンなので、日本軍は慎重に行動し、最後の地図盤にある米連隊司令所での決戦の為に兵力の温存に務める。今回のプレイでは、この原則を守って日本軍3人衆は、分隊規模での「万歳突撃」は一度も行なわなかった(僕は観たかった!)。それでも日本軍の指揮官9人が戦死し、除去分隊数も、およそ21個にのぼった(ステップロス方式なので実質的にはこれ以下。
 YSGAでASLに関わる者全ての念願であったシナリオとは云え、いきなりは無謀との声もあったが、大成功であった。3ターンしか進まなかったけど、YaGさん曰く「ASLは1ターンでも楽しめる」の通り、手に汗握る白熱の展開で、対戦者全員がシナリオを満喫して1日を終えたのでした。

(AH)Breakout:Normandy×2セット同時4人プレイ
当SG初体験の2人に対して、ベテランの2人がルール習熟プレイ。橋の奪取/保持ルールがちょっと複雑なのでルール完全理解には、もうすこし場数を踏まなくてはならないとはいえ、Breakout初心者の2人は、それぞれ連合軍を担当して教授連を圧迫。
上陸4日目にして一方ではカーンを包囲し、もう一方ではサン・ローを陥とすなど、観戦者を驚かす奮闘ぶりを見せつけた。せっかく憶えたルールを忘れないために、次の定例会では初心者同士で再戦する事に決まった。

(MiH)イースト・ウォール
第1ターンに独軍が最初に動ける事に目をつけた独軍担当のYoshKさんが、独軍を全力で撤退させ、赤軍が追い付けないうちにドニエプル河を渡河して鉄壁の防衛線「東方の壁」を構築。YoshKさんの戦略撤退は徹底しており、ヴォータン要塞線には目もくれず、あくまでドニエプル西岸に撤退。赤軍はクリミアの入口を確保して、短シナリオの勝利条件まで後1点と迫るも、その後、築いた赤軍ドニエプル橋頭堡は全て独軍戦車に叩かれ、砲兵、空軍を投入しても低比率しか立たないという膠着状態に陥る。
 確かに独軍には戦略総撤退の選択肢はあったとは云え、当時の総統命令等考えると、第1ターンは赤軍側から開始するべきではないだろうかと話合われた。

(XTR)ライオン・オブ・エチオピア
米国COMMAND誌4号に付いたWW2直前の伊軍エチオピア侵攻キャンペーンSGを、念願のK藤さんと篠さんで対戦。
 毒ガス空中散布もあって、エチオピア部族軍を次々除去していく伊軍であったが、山岳部に入ると大いに苦戦。首都アジスアビバを目前にして、大激戦が繰り広げられ、ゲームも後半に入った時点で伊軍13個師団が全滅、グラッツァーニ将軍まで戦死する始末。しかしエチオピア軍の損害も堪えきれないほど大きく、首都に対する毒ガス戦で、遂に陥落。伊軍が、どうにかこうにか勝利を収めた。


(日本版COMMAND4号付)ビクトリー・イン・ノルマンディー×2戦
朝から初めて昼飯時には既に49ターン目を終え、全3時間ほど対戦して最終ターンを迎えた独軍は、連合軍に大突破を許して敗退。続けて(AD)壬申の乱をプレイして、それが終って再びこれを対戦。実は先ほどのプレイではルールを間違えていたらしく、再戦では侵攻海岸で長らく膠着戦となっていた模様。好ゲームである事には違いないらしい。

(AD)壬申の乱
2時間ほどの対戦でオオミノ(?)皇子が勝利を収めた模様。

(EP)戦国大名4人戦
Breakout:Normandyを終えた4人が久しぶりにプレイ。戦国時代好きには、武将のランダム引きだけでも胸踊るマルチであり、1時間でも残り時間があると、必ずといっていいほど奥から引っ張り出される定番マルチ。


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