山梨合宿報告

(1997/10/10-12)


 2週間後のYSGA第100回定例会を記念して、6年振りの合宿をYaGさんの尽力で行ないました。
 初日快晴下、朝8時長津田駅待合わせにて。電車で来たメンバーは時間通りに集まったが、インター附近の渋滞に巻き込まれたMiuさんが2時間近く遅れて、その間差し入れ&見送りに来た立謀さんと話す。Miuさん到着後、車3台に分乗して慌ただしく出発。相模湖の岸辺を通り、峠の食堂で昼食をとり昼1時すぎ現地到着。その間、MiuさんのSeraに同乗したSeB氏は髪が焼ける暑さに泣く。初日だけ参加の静岡Endohさんも程無く合流し、2階をゲームルームとして早速セットアップ開始。途中コンビニで晩のレトルト食品買出し、夕食を挟んで深夜1時まで対戦。この間、(COMMAND.33)The Great War in Europeと(コロンビア)積木の東部戦線ともに、1度投了され再戦と相なった。
 2日目、朝食後10時すぎからプレイ開始、昼Endohさん帰宅、昼飯SaTo副長手ずからパスタ8人前料理。結局買出し班3人を除いて1日屋外に出る者無し。晩飯兼飲み会後、疲労就寝者続出で、なし崩し的にゲーム終了。しかし夜半より(AH)Hannibal、We the People、(GJ49)信長最大の危機開始、深夜3時まで。
 3日目、三々五々起き出して昼までに片付け。家の前の河原で記念撮影後、日本三奇橋「猿橋」を観光し帰路につく。橋本到着3時過ぎ、遅めの昼飯をステーキ屋で摂り解散。帰りも渋滞で夜7時自宅着。

(COMMAND.33)The Great War in Europe
 今回のプレイでは、追加ルールの西部の塹壕戦やポーランド独立など全て取入れての対戦とした。

<第1回6人戦>
**西部戦線**
 これまで常にロシアを担当してきたIdiotenが西部独軍を担当し「シェリーフェン・プラン完遂」を呼号するも、南部の仏軍攻勢を恐れて史実の小モルトケがそうであったように、ベルギー突破兵力へ充当すべき兵力を単なる戦線維持にまわし、早くもシェリーフェン・プランはガタガタとなる。それに気付かぬ独軍は、騎兵の突進でイープルを占領して史実より前進したと一人悦にいるがMaubeuge要塞も陥とせず、アントワープのベルギー軍スタックを完全包囲する兵力にも事欠き、たちまち兵力不足露呈。こうなってはソンム河さえ遥か遠く、そして低比率での攻撃をたくさん行なって第1次大戦らしい消耗戦を目論むも、攻撃する独軍の損害のみうなぎ登りで、衝撃力を失った独軍に対して余裕の仏軍は南部での独軍攻勢の失敗により空いた戦線の綻びから逆突破、メッツ要塞を無血占領され、もはや独軍戦線南翼から崩壊す。これによって早くも合宿初日夜にてゲーム全体が崩壊。直接の原因を作ったIdiotenは「超・小モルトケ」(小モルトケを超える将器の小ささ)とのレッテルを貼られて、2回戦では欧州の果てロシア担当者に更迭された。

***東部戦線***
 これまで常に西部独軍ばかり担当していた当SG翻訳者のYaGさんが、ここの独軍を担当し、1泊参加のEndohさんはオーストリア・ハンガリー、初プレイのKonDさんがロシアを担当しての1戦。
 これまでのプレイでは、決まってロシアはやられ役に甘んじていたが、KonDさんの大胆な作戦(オーストリア方面は最低限の兵力で守り、残り全ての兵力をフルスタックで独軍集中攻撃に投ずる)により、独軍潰走に追込まれる。かくしてロシア軍、ダンチヒ前面に迫るも、西部崩壊で終了。

<第2回6〜5人戦>
**西部戦線**
 西部独軍にいつものYaGさんが着任、「大モルトケの再来」と英仏軍は兜の緒を締める。先ほどの小シェリーフェン・プランとは打って変わり、ベルギー突破軍に大兵力が集結。開始と同時に騎兵が突進、戦闘前退却を活用して仏軍の延翼活動を妨害。また英軍を一叩きした後は、ひたすら仏軍をつけ狙い、相打ち以上の見込がある攻撃を継続して毎ターン大出血を負わせる。しかし仏軍もその度に戦線を立て直し、英軍の協力も得て、独軍の進撃をソンム河よりずっと手前で押し止める事に成功。以後ほぼ無傷の英軍が北部戦線を受け持つにつれ、独軍の攻勢は中央部へ移行。1915年4月(10ターン)には仏軍息切れの隙を突いてベルダン要塞を奪取。
これに対し英軍、大都市リール奪回の為、史上初の毒ガス(塩素)使用。これを期にダイス目最悪だった独軍、ダイス目好転し大突破、マルヌ河手前、パリ10ヘックスにまで進出。15年4月ブルガリア参戦、5月イタリア参戦。結局、時と共に塹壕が強化され、仏軍が不屈の闘志で戦線を維持し抜いた為、それ以上の進出は無理となった。何とか膠着しそうな戦局を打開しようと両軍ともチットで引き当てた航空部隊を次々投入して激しい攻防を以後15ターン(1915年10月)まで繰り広げた。

***東部戦線***
 古巣のロシアに戻されたIdiotenは、先ほどのKonDさんのロシア運用に感銘を受け、早速その方針で、独軍をフルスタックで圧倒、たまらず独軍Endohさんは要塞に師団を積み重ねつつ後退、ロシアは慌てずに取り残された東プロイセンの独軍要塞を一つずつ陥落させ、段々と増強されていく独軍に付け入る隙を与えない。
 面で押してくるロシア軍に、包囲の危険を感じた独軍はダンチヒを放棄、東に攻勢を続けるオーストリア・ハンガリー担当KonDさんは、それを見て「ダンチヒを失えばベルリンまで遮る物が無くなる」と、何とかダンチヒ死守に翻意させようと説くも、「独軍が圧倒されて退却を続けている時、オーストリア軍にロシア軍の横腹を突き上げてもらうよう要請したのに、兵力の分散を理由に頑として聞き入れなかったのは誰か」とこれを拒否。捨てられたダンチヒはロシア軍に拾われた。その後、東部の同盟軍全部を担当する事になったKonDさんは、オーデル河に戦線を張りロシア軍と対峙、コサック騎兵にベルリンを脅かされたりしながらもセルビアを征服し、イタリア参戦に伴い大兵力を派遣して鉄壁の戦線を構築、15ターンにサロニカに上陸した英仏軍にも大軍を派遣するなど西に東に駆けまわるも、ロシアは「ポーランドの独立」を宣言(ロッズとワルシャワを保持している側が可能)、為にロシア革命はほぼ起こり得ない戦況となった。
 一方、南のオーストリア・ハンガリー軍は、緒戦からロシアに大攻勢を敢行、一歩一歩ロシア軍を蹴散らしながらオデッサやキエフを目指すも、ロシアは1ユニットずつ敷き詰めて時間稼ぎ。そのうち他戦線への兵力抽出を受けカルパチア山脈まで引き返し、兵力が貯まると再び山を駆け下って攻め寄せるという山賊みたいな戦いぶりで、ロシアを苛め抜いていた。

(コロンビア)積木の東部戦線×2
 どうしても第1次大戦は馴染めないというYoshKさんとMiuさんとの連続対戦。
照明が暗かったので枕元を照すランプを点けてのプレイで、積木が、ほの明るい光に映えてアンティークな感じであった。
 2回目の対戦では、北方を諦めた独軍が、史実通り南方転回を敢行し、キエフを陥とされたロシア軍は冬を目前に大撤退、41年の冬はモスクワ前面で両軍が睨み合いを続けつつ、補充回復に務め、42年春に独軍が行なった第2次モスクワ攻勢が、不運なダイス目続きで消耗頓挫し、ほぼ完全戦力に達したロシア軍がこれから大反撃という所で、独軍司令部の消耗ルールを過大に適用していた事に気付き、終了となった。

(GJ49)信長最大の危機×4
 その場でルール説明してテストプレイ(数ターンしてやり直し)も含めての回数。主にThe Great Warの東部担当者同士と、積木ロシアを終えたMiuさんとがプレイ。あんまり面白いのでついつい本業のThe Greatがおろそかになるほど。特にMiuさんは相手が本業に忙しく手が離せない時でもソロプレイで続きをプレイする盛り上がりよう。2日目夜の飲み会後、エキシビションのつもりで始めたプレイも、劇的すぎる展開に深夜3時までもつれ込んだ。

(AH)Hannibal×2
(AH)We the People
 もはや定番ハンニバルに、いぶし銀の渋さWe the Peopleを深夜3時まで。
特にWe the Peopleは、最終ターンの最後の戦闘カードまで勝敗がつかないという緊迫した好対戦であった。


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