北炭楓鉱発電所と巨大ドライブイン



北炭楓鉱は明治35年に開鉱した歴史のある炭鉱です。北炭真谷地鉱に統合され昭和62年に閉山しました。

北炭楓鉱発電所は大正2年に完成した煉瓦造の建物です。発電所としての規模は小さく北炭清水沢発電所の完成に伴いその使命を終え、その後事務所として使用されましたが昭和63年、北炭真谷地鉱の閉山により炭鉱施設としての歴史を閉じました。その後一部改造が施され平成3年〜6年石炭ガラス工芸館として活用されましたが今では物置になっています。



外観は改造が施された面は残念ながら当時の面影を留めませんが、その反対側はほぼ原形を保っています。



発電所の東側に残る夕張市民生協登川3区店。現在は解体され更地になっています。



そして周辺の改良住宅。楓地区は夕張の地域統合の中で中心から離れたところにありながらも住宅の改良が進められ集落としても存続しています。これは歴史の重みと北炭真谷地鉱が夕張の北炭として最後まで残った炭鉱であること、幹線道路が隣接して通っていることなどの要因が絡み合った結果といえるでしょう。



発電所脇に楓炭山橋がありその向こうにホッパーの跡がありました。



その先の南側には登川神社があります。登川炭鉱開鉱時に建立された神社は真谷地炭鉱閉山時に一度は夕張神社に統合されたものの平成3年9月にこの楓鉱坑口神社の跡に再建立されました。



神社の脇にある鶴亀橋、下は川ではなく坑口に続く軌道跡。



写真左はホッパーの上にある添卸斜坑坑口。そして写真右は軌道の先にある本卸斜坑坑口。



そして少し奥には本卸水平坑口がありました。



ツルカメ沢を遡ると楓簡易水道の建物に出会います。そしてさらにしばらく行くと風洞卸坑口と扇風機風洞坑口が現れます。北炭真谷地炭鉱の坑口は閉山後の昭和62年11月にすべて密閉されてしまいました。



楓の集落内を縫ってはしる道路。国道が南の新楓駅側に付け替えられる前は幹線道路でした。写真右はその北側山手のかつての炭住跡で笹原の階段状になっています。



楓の集落内の楓生活館の脇には楓小学校の閉校記念碑がありました。実際の小学校はここから廃道を上った先にあり、橋の崩れた沢をひとつ越えると楓小学校の跡に達することができます。平地が広く基礎も大きく、当時の学校の規模が偲ばれます。ここに佇んでいると道路から車の音は聞こえてはくるものの全くの別世界でした。昭和61年3月閉校。



国道沿いにあるドライブインは北海道物産センター夕張店。石炭シュークリームや夕張メロンプリンなどの独自メニューも豊富ですが商品自体はもう一工夫欲しいのです。巨大な駐車場が壮観で多くの観光バスも立ち寄ります。この地にはかつて坑口からズリ山への搬送設備と炭鉱住宅が立ち並んでいました。



平成19年9月に訪問したドライブイン周辺。北海道横断自動車道の工事がかなり進行していました。橋脚に黄色いハンカチが掛けられているのが夕張風。


(地域別情報4-8-1.夕張周辺に地図と周辺案内があります。)

北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する 
北炭楓鉱発電所と巨大ドライブイン