チューリッヒ湖畔の町ラッヘンは、19世紀ロマン派の作曲家ヨアヒム・ラフの生まれた町である。ある音楽出版社の出している音楽人名辞典では、ドイツの作曲家としてヨアヒム・ラフは紹介されていて、更にドイツのラーヘンに生まれると書かれてあった。実は、ずっとこれを信じていた私は、それ以上調べようともせず、大学を出てからも長くドイツの作曲家だと信じていた。
ラッヘンがドイツにあるはずはなく、ようやく見つけてここにたどり着いた。小さなチューリッヒ湖畔の町にヨアヒム・ラフの名前はなく、どこが生家かわからず、町並を見て回ったに過ぎない。生まれた国ですら辞書で間違えられているくらいだから、彼の正確な評価など望むべくもないのかも知れないが、最近は滅多に聞けなかった交響曲の全集が複数出て、ずいぶん変わってきた。本当に作曲活動をしたのはたった20年ほどだったが、膨大な作品を残した彼は、リストの助手などをして交響詩「タッソー」などのオーケストレーションをしている。そうした下積みを長くした彼は、作曲家として十分に成熟してから活動を始めているのだ。
スイスに滞在して作曲を行ったブラームスが、落ち着いた環境を求めて来たのがこのリシュリコンである。彼が滞在したのは上の右から2番目の木組みのガストホフではないかと考えているが、これはまだ未確認である。
この町で、あの第1交響曲の作曲がはじまった。
チューリッヒ湖を行く船の旅はこのリシュリコンに行ける。右の写真は、リシュリコンから見るチューリッヒの町である。
上はチューリッヒ大学に登るケーブルカーである。上がったところの大学校舎、そしてそのテラスから眺めるチューリッヒ市街という次第。ここはチューリッヒに来て、最初に行ってどういうところか、ざっと見てみるところ。
フルンテルンは行ってみると大変広い。チューリッヒのトラムでユトリベルクと反対側の小高い丘の上にある動物園のあたりである。トラムはほとんど登山列車と行って良いほどの急坂を登って行く。トラムの開通がいつだったのかは判らないが、ここもまたブラームスが滞在していた。朝五時に起きて、十時まで作曲し、その後チューリッヒャー・ベルクの森に散歩に出て、お昼には市内のレストランに姿を現していたというが、ここから市内まで歩いて行くとしたら、かなりの健脚でないと大変だろう。
ドイツの作曲家ゲッツは、招かれて長くスイスに住んでいた。ここでほとんどの作品を書いている。スイスの詩人ヴィートマンの台本による歌劇「じゃじゃ馬ならし」や交響曲など、様々な作品を書いているが、興味深いのはブラームスとの初めて会ったのもこのゲッティンゲンにあったゲッツの家でのことだった。あまり親しく交わることもなかったが、ブラームスはこの若い才能を見抜いていた。
若くしてゲッツが亡くなった時、その死を悼んで合唱作品を書いて、その妻に送っている。ちなみにブラームスはトーンハレのこけら落としの指揮もしているし、長期滞在の他にも頻繁にチューリッヒを訪れ、地元の優秀な合唱団体などを指揮している。写真はチューリッヒ郊外、フルンテンに行く途中からトラムに乗り換えしばらく行ったところのゲッティンゲンにあるゲマインデハウス(地域の公民館のようなもの)での春のお祭りの集まりである。
左の写真はフルンテルンに上がる途中、クンストハウスのトラム駅の近くにあるイェックリンの本店。私はここで何枚かのCDを購入した。日本のレコード店でもスタンプ・カードがあり、スタンプが貯まると値引きしてくれるのだが、ここでもそうらしく、私はそのスタンプ・カードを持っている。(笑)

この会社はMGBやGALLOなどと言ったレーベルのおかげで我々はスイスの貴重な作曲家の作品を聞くことができるのだ。シェックの歌曲の全集など、歴史的に意義のあるものが少なくない。日本のレーベルでもかつてはそうしたパイオニア的な事業を行っていた。今は、せいぜいナクソスが担っているだけで、デンオンなどのメーカーはもう文化的な役割は止めてしまっている。悲しい限りだ・・・。

上は旧ヴェーゼンドンク邸で、現在博物館となっているところの写真である。かなりの坂道を私はピアニストの津田さんと、今回の取材の助手を勤めてくれたN島君と3人で登っていった。森の中を行く道は「まるで上野の森ですね。」と津田さんに言うと笑っておられたが、昨日の雪が一日でほとんど融けて、日陰に残っているだけだった。
ヴェーゼンドンク邸は工事中で、全景の写真は不可能。アングルをそれらしくするのに大変だったが、まぁとりあえず撮った。中の階段のところでよく演奏会が開かれるというが、かつてヴェーゼンドンクが暮らしていた時代からの伝統のようだった。
後にルツェルンのトリブシェンでのジークフリート牧歌の話にこれが繋がるのだ。面白いことだと思う。津田さんもそのヴェーゼンドンク邸でのコンサートに出演したことがあるそうだ。
中の展示も見てみるとなかなか興味深い。津田さんの話によると、かつて館長をしていた方とお友達で、その方はヴィラ・シューンベルク(旧ワーグナー邸)に住んでおられたという。ということは今も住んでいる人がいるのだろうか?
写真右端がそのワーグナーが住んでいた家である。ヴェーゼンドンク邸とは道を一つ隔てての隣だ。中には人気がなかった。今はだれも住んでいないのだろうか?テラスからはチューリッヒの町と湖が一望できるに違いない。だから、眺めの良い別荘などと名前をつけたのだろう。