モントルーのストラヴィンスキー |
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モントルーはジャズ・フェスティバルで有名ですが、ストラビンスキーやチャイコフスキーといった音楽家たちも好んで立ち寄っています。 ストラビンスキーはここで今世紀屈指の名作「春の祭典」を書き上げ、チャイコフスキーはバイオリン協奏曲をここで書き上げています。 ストラビンスキー通りというのもあります。ホテル・ヘルヴェチアからカジノに向かう通りがそうです。同様の名前の通りがモルジュにもあります。 |
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ここ、レマン湖畔の土地は音楽家が多く訪れ(チャイコフスキーやフォーレのように)長期に渡って滞在したり、(フルトヴェングラーのように)ここに住んだりしています。 ここではストラヴィンスキーのお話です。 この二人に、指揮者アンセルメが絡んでくると、そう、バレエ・リュス(ロシア)の活動とリンクしてくることにお気づきの方も多いと思います。傑作「春の祭典」は、パリでバレエ・リュスによって歴史に残るスキャンダラスな初演をし、「きつね」の構想を錬ったのです。「きつね」や「結婚」「兵士の物語」 そして、スイスの音楽界の大立者の指揮者エルネスト・アンセルメによって主要な作品が世に紹介されてゆきます。 アンセルメによるストラヴィンスキー全集がありますが、その中には彼が初めて世に紹介したストラヴィンスキーの名曲の数々が収録されています。「兵士の物語」「きつね」「詩篇交響曲」「結婚」「プルチネルラ」…。 このレマン湖畔にはモルジュという村があります。あの、オードリー・ペップバーンもこの近くに眠っているはずです。今は小さな博物館も建っているそうですから、レマン湖畔というのは実に文化的な環境を持っていると言えるのではないでしょうか。 やがて、クラランの小さな家からモルジュの湖畔の家に移ったストラヴィンスキーは「きつね」や「結婚」「兵士の物語」といったスイス時代の傑作の数々を作曲することになります。 このCDには日本のかつての名ソプラノ古沢淑子さんがアンセルメ指揮スイス・ロマンド管と共演して録音した「三つの日本の叙情詩」も収められていて、なかなか貴重であります。 さて、ストラヴィンスキーとアンセルメ、この二人は、ストラヴィンスキーがシェーンベルクらの十二音音楽(ドデカフォニー)へと作風を変えたことで、以前より「ドデカフォニーは音楽ではない」と考えていたアンセルメと決定的な亀裂を生じ、以後、この二人は絶交状態となってしまいます。 確か、八〇才を越えてからだったと思いますが、アンセルメの方から「もう喧嘩をするには年をとりすぎた」と言って、仲直りに行っています。しかし、ストラヴィンスキーは頑なであったそうです。アンセルメが行ったストラヴィンスキーの音楽の連続演奏会にもとうとう作曲家は姿を現さなかったのです。 スイスの地で作られたこれらの名曲を、今度スイスを訪ねる時には、知っておくと、その町の通り一つにも奥行きが感じられるようになるのではないでしょうか? |
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