歌劇《Die Entführung aus dem Serail》K.384 のタイトルについて*

改訂履歴

1.はじめに

歌劇《Die Entführung aus dem Serail》K.384を皆さんはどのような日本語の翻訳タイトルで呼んでいるであろうか。呼び馴れた定訳をお持ちの方でも、本を紐解くたびにまちまちな翻訳タイトルが使われていることに困惑した経験はないだろうか。一時は《後宮からの誘拐》が大多数を占めていたが、最近再び諸訳乱立の傾向が甚だしくなり、収拾がつかなくなりそうなところまで発展している。皆さんの中にも「誘拐」という言葉はこのオペラの内容にそぐわないし、物騒でもあると感じる人は多いことであろう。しかしこの際、なぜ「誘拐」などと言う言葉が出てきたのか、落ち着いて考えてみるのも無駄ではあるまい。我々がどのタイトルでこの曲を呼んだらよいのかの回答が見つかるはずである。

2.タイトル翻訳の変遷

まず、どのような翻訳があるかを見てみよう。ここ60年間の日本の事例と、各国の状況を調査した。

表1. 日本における歌劇 K.384の翻訳タイトルの変遷
No.翻訳タイトル出典備考
(1)《後宮よりの逃走》・服部龍太郎『モーツァルトの生涯』角川文庫1951
・木村重雄 『モーツァルト』(アテネ文庫256) 弘文堂 1955
・属啓成『モーツァルト 音楽写真文庫1』音楽之友社1959
 
(2)The Elopment from the Harem
(後宮よりの駈落ち)
・木村重雄 『名曲スコア OGT73』音楽之友社 1957
  の英語タイトル
 和文タイトルは「後宮
よりの逃走」
(3)《後宮よりの脱走》・吉田秀和『音楽芸術』1947
  (『モーツァルト』講談社 1970, p.233に再録)
・吉田秀和『芸術新潮』1956
  (『モーツァルト』講談社 1970, p.34に再録)
 
(4)《後宮よりの誘拐》・渡辺護『モーツァルトの歌劇』音楽之友社1956
・文部省検定『高校の音楽』音楽之友社1959
・吉田秀和『モーツァルトの手紙』講談社 1974
 
(5)《後宮からの逃走》・A.アインシュタイン著・浅井真男訳『モーツァルト』白水社 1961
・属啓成 『モーツァルト 声楽篇』音楽之友社1975
現代文では起点を表す
のにもっぱら「から」を
用いる。
以下同じ。
(6)《後宮からの誘かい》・海老澤敏『オペラ対訳シリーズ7』音楽之友社1966
・NHK番組表 2001現在
「拐」は当用漢字でない
ため平仮名としている。
(7)《後宮からの誘拐》・海老澤敏『大音楽家・人と作品3 モーツァルト』
  音楽之友社 1961
・モーツァルト研究所『モーツァルト全作品目録』
  中央公論社 1977
・柴田治三郎『モーツァルトの手紙』岩波文庫1980
・高橋英郎『モーツァルト』講談社現代新書 1983
・海老澤敏・高橋英郎『モーツァルト書簡全集IV』
  白水社1990, p.539
・海老澤敏『モーツァルトの生涯』白水社1991
・海老澤敏・吉田泰輔『モーツァルト事典』東京書籍 1991
・海老澤敏『モーツァルト全集』小学館 1993
・海老澤敏『モーツァルトは祭』音楽之友社 1994, p.208
 
(8)《宮殿からの連れ出し》・柴田治三郎『モーツァルト〜運命と闘った永遠の天才〜』
  岩波ジュニア新書1983
「後宮から誘拐または
逃走するといういかが
わしい筋書きではない」
という理由から。
(9)《後宮からの脱出》・海老澤敏・高橋英郎『モーツァルト書簡全集V』
  白水社1995
・海老澤敏・高橋英郎『モーツァルト書簡全集VI』
  白水社2001
VIの索引では「後宮か
らの誘拐(脱出)」と
なっている。
(10)《後宮からの奪還》・海老澤敏『モーツァルトとルソー』
  音楽之友社 2000, pp.95, 105
・H.C.R・ランドン著・海老澤敏訳『モーツァルト最後の年』
  中央公論新社 2001, p21
 
(11)《後宮からの誘惑》・海老澤敏『モーツァルトとルソー』
  音楽之友社 2000, p.178
時系列から見て「誘拐」
のミスプリントとは思
えない。

表2. 海外における歌劇 K.384の翻訳タイトル
No.翻訳タイトル言語圏出典
(11)The Abduction from the Harem
  (後宮からの誘拐)
英語・H.C.Robbins Landon: The Mozart Compendium,
  Thames and Hudson, London 1990
(12)The Abduction from the Seraglio
  (後宮からの誘拐)
英語・Marcia Davenport: Mozart,
  Avon Books, New York 1/1932, 1979
・Neal Zaslaw & William Cowdery: The Compleat Mozart,
  W.W.Norton & Company, New York/London 1990
(13)Il Ratto dal serraglio
  (後宮からの誘拐)
イタリア語・Sergio Durante編: Mozart, Il Mulino, Bologna 1991
・オーストリア国立図書館所蔵番号Mus. Hs. 5056には
  Il Ratto dal Seraglioと記載。
(14)El rapto en el serrallo
  (後宮における誘拐)
スペイン語・インターネットサイト
  <http://www.lobocom.es/~lgalvan/m13.htm>
  から。
(15)El rapto del serrallo
  (後宮からの誘拐)
スペイン語・インターネットサイト
  <http://www.liceodigital.com/tercero/musica3/gloclasi.htm>
  から。
(16)O Rapto do Serralho
  (後宮からの誘拐)
ポルトガル語・インターネットサイト
  <http://www.terravista.pt/PortoSanto/1090/musica/mozart.html>
  から。
(17)L'Enlèvement au sérail
  (後宮からの誘拐)
フランス語・Ouverture par Christophe Torricella, Wien, 1785
  (オーストリア国立図書館)
(18)Enleveringen ur Seraljen
 (エンレヴェリンイェン ウー セライェン)
  (後宮からの誘拐)
スウェーデン語・インターネットサイト
  <http://www.engelholm.se/~kenneth.holmqvist/amadeus.htm>
  から。
(19)De ontvoering uit het Serail
 (デ オントヴーリング オイト ヘト セライル)
  (後宮からの誘拐)
オランダ語・インターネットサイト
  <http://www.amthonie.nl/lexvandelden/dutch/archief/1949_09.html>
  から。
(20)Únos ze Serailu
 (ウーノス ゼ セライル)
  (後宮からの誘拐)
チェコ語・インターネットサイト
  <http://www.sidliste.cz/index.php?cid=191>
  から。
(21)Uprowadzenie z seraju
 (ウプロヴァドゼニエ ズ セラユ)
  (後宮からの誘拐)
ポーランド語・インターネットサイト
  <http://www.teatry.art.pl/filharmonie2/niedocenianyg.htm>
  から。
(22)Bortførelsen fra Seraillet
 (ボートフェレルセン フラ セライレット)
  (後宮からの誘拐)
デンマーク語・インターネットサイト
  <http://home4.inet.tele.dk/sindholt/kv384.htm>
  から。
(23)Bortførelsen fra seraiet
 (ボートフェレルセン フラ セライエト)
  (後宮からの誘拐)
ノルウェー語・インターネットサイト
  <http://www.media.uio.no/personer/andersf/musikk/komponisten/
  verker.html>
から。
(24)ポヒチェニー イース セラリャ
 (ポヒチェニー イース セラリャ)
  (後宮からの誘拐)
ロシア語・インターネットサイト
  <http://gromko.ru/done/showbook/article2802.html>  
  から。
(25)エー アパゴーゲー アポ ト セライ
 (エー アパゴーゲー アポ ト セライ)
  (後宮からの誘拐)
ギリシャ語・インターネットサイト
  <http://sfr.ee.teiath.gr/htmSELIDES/MOZART/Lebensl-gr.htm>  
  から。
(26)                      assarayafiikhtitaf
 (イフティタフ フィ アッサラヤ)
  (後宮における誘拐)
アラビア語・Mozart in Egypt, Virgin Classic 5 45311 2 のCD 1997 による。
(27)Ryöstö Seraljista
 (リュエステ セラリスタ)
  (後宮からの誘拐)
フィンランド語
(-staは「から」)
・インターネットサイト
  <http://tiira.cedunet.com/~tuomaive/tutkimus/mozart.html>
  から。
(28)フグングロブトエ ユグァイ
 (フグングロブトエ ユグァイ)
  (後宮からの誘拐)
韓国語
(〜ロブトは
「から」)
・Dear Amadeus, Sumi Jo sings Mozart. ERATO 0630-14637
  ワーナー・ミュージック・コリアのCD 1996による。
(29)サライダン クズ カチュルマ
 (サライダン クズ カチュルマ)
  (宮殿からの婦女誘拐)
トルコ語
(クズは「女子」
-danは「から」)
・インターネットサイト
  <http://perdetiyatrosu.ilkturk.org/klasik_muzik.html>  
  から。
(30)Szöktetés a szerájból
 (セクテテーシュ ア セラーイボール)
  (後宮からの逃亡幇助)
ハンガリー語
(aは定冠詞、
-bólは「から」)
・インターネットサイト
  <http://www.zeneforum.hu/hangversenyreszlet.asp?cat=main&ID=
  0483559C5E7A05F>
から。
  Szöktetésは「逃げる」の使役「逃げさせる」の名詞形。
  「やらせ」ならぬ「逃げさせ」という訳も考えられるが、
  まだ現代用語になっていないので「逃亡幇助」とした。
(31)ハウグング ヤウトウ
 (台湾ではホウゴング ヨウタオ)
 (香港ではハウグング ヤウトウ)

  (後宮の逃亡幇助)
中国語
(繁体字圏)
・Kerst & Krehbiel編 潘保基 訳:『莫札特其人其事』
  世界文物出版社 1995。
・『古典與浪漫的傳奇』學英文化 1998。
  中国語も日本語も「誘拐」は同字だが、この曲には「逃
  げることに導く」という言い方を採用している。「放」は他
  動詞「逃がす」。「誘逃」は使役「逃げさせる」。cf:「誘発」
(32)ホウゴング ヨウタオ
 (北京ではホウゴング ヨウタオ)
  (後宮の逃亡幇助)
中国語
(簡体字圏)
・インターネットサイト
  <http://www.libnet.sh.cn/music/cdxp/mzt1.htm>
  から。

ハンガリー語・中国語を除く各国語では「誘拐」のみがごく自然に使われており、日本はきわめて特殊で複雑な状況にあることが分かる。

原題 "Die Entführung aus dem Serail" のEntführungは辞書を引くと「誘拐」、「乗っ取り」、最近の時勢では「ハイジャック」などの意味とある。やはり直訳は「誘拐」なのである。このオペラのタイトルは原作者ブレツナーの台本 "Belmonte und Constanze, oder: die Entführung aus dem Serail"に由来しており、シュテファニーによって改作されモーツァルトに提供された台本も題名はそのままに受け継がれている。仮にブレツナーの原作とシュテファニーの改作とで内容が異なり、タイトルがふさわしくなくなっていたならば、他でもないシュテファニー自身がタイトルを変更したであろうから、あくまでもオペラのタイトルは直訳で《後宮からの誘拐》というのが正しい。

3.日本ではなぜ「誘拐」を避けたがるのだろうか

この問いに答えるのは非常に面白い。なぜかと言うと私自身にも経験のあることを語ればそのまま答えになると思われるからである。このことは「モーツァルトと日本人」を研究する場合の一つのテーマともなるかも知れない。

このオペラのあらすじは「キリスト教徒の貴族ベルモンテが、トルコの太守の宮殿に奴隷として囚われている恋人コンスタンツェを救出にやってくる。彼は、従僕ペドリッロやコンスタンツェの侍女ブロンデの助けを借りて、彼女を連れて逃げようとし、宮廷の番人オスミンに妨害されて捕まり、処刑されそうになるが、太守の英断により放免される」(『モーツァルト事典』から)というものである。ここから、私はこのオペラの《後宮からの誘拐》というタイトルに違和感を感じてきた。コンスタンツェを誘拐したのはオペラの始まる前であり、しかも太守ゼーリムがコンスタンツェを誘拐したのではないかと(海賊から買い取ったとしても誘拐には違いない)。オペラはそのコンスタンツェの救出作戦がテーマではないか。だからと言って《逃走》や《脱走》では救出者の協力なしにコンスタンツェが一人で逃げ出すようで、これもしっくりこない。思い悩んだ末に私は《後宮からの救出》というタイトルでしばしばこのオペラを呼んだものであった。

ここで注意しなければならないのは、私だけでなく多くの日本の仲間も同じように悩み、タイトル探しをしていたという事実である。どうやら日本語ではタイトルが中身と一致しなければならないという強迫観念があるようなのである。しかし、一方では、翻訳において意訳がどこまで許されるかの境界については他言語以上に甘いようである。自らの戒めとして言うが、これは、あたかも西洋文化の伝播が日本で終わり、もはや次に伝える必要がないため、自分らでこじんまりとした消費文化を形づくってしまおうという無意識の伝統があるからではなかろうか。世界に向かっての文化の発信、あるいは再発信という責任があると考えればもっと慎重にならざるを得ない。実際、台湾や韓国では少なからず日本の本が読まれているのであるし、21世紀になった今、日本語のグローバル化を成り行き任せにはできまい。

4.誰が誰を誘拐するのだろうか

太守ゼーリムがコンスタンツェを誘拐したことが「誘拐」の表題になっているのではないとすれば、誰が誰を誘拐するのだろうか。シュテファニーが台本の中で「誘拐」という言葉をどの様に使っているのかを見てみよう(原文引用は海老澤敏『オペラ対訳シリーズ7』《後宮からの誘かい》音楽之友社1966による)。

第3幕第6場でオスミンが

Die niederträchtigen Christensklaven entführen uns - die Weiber. Der Große Baumeister hat deine schöne Konstanze entführt. (下劣なキリスト教徒の奴隷どもが、我らの女どもを誘拐したのです。(中略)あの大した建築技師めが、あなた様のお美しいコンスタンツェ様を誘拐してしまったのです。)
と報告し、ゼーリムが
Konstanze ? Entführt ? (コンスタンツェが?誘拐されたと?)
と驚く。

コンスタンツェを誘拐したのは他ならぬベルモンテなのである。

従来、ある翻訳ではオスミンの台詞を「連れて逃げる」、ゼーリムの台詞を「駈落ちしたと?」と訳していた。しかし、「駈落ち」は事態を良く飲み込めないゼーリムの第一声にしては深読みし過ぎた訳と思われる。

遡って第2幕第2場ではブロンデがこう言っている。

Wie bald kann Ihr Belmonte mit Lösegeld erscheinen, oder uns listigerweise entführen? (もうすぐあなた様のベルモンテさまが身代金を持っておいでになるか、それとも策略を用いて私たちを誘拐してくれるでしょう?)
ここで「誘拐」は少し変だと思う人もあろう。そのような人から、すべての台詞及びタイトルを同一の訳語で統一する試みとして「連れ出し」という訳が提言されたことがあった。なるほど、オスミン、ゼーリム、ブロンデすべての台詞に一見ぴったりである。しかしオペラのタイトルとして《後宮からの連れ出し》はどうであろうか。後述するが「連れ出し」もやはり妥当ではないのである。

私はブロンデの台詞としても「誘拐」は決しておかしくはないと思っている。それは「誘拐願望」がブロンデにあるということなどではなく、後に起こる事件がまぎれもない「誘拐」であり、ブロンデは受身形で「誘拐されることになる」ということをただ述べているにすぎないからである。

5.なぜ「連れ出し」ではだめなのだろうか

マルシア・ダヴェンポートはその著書『モーツァルト』の中で「タイトル《後宮からの誘拐(The Abduction from the Seraglio)》は筋を充分に説明している」(p.167)と述べている。なぜだろうか。翻訳の問題以外にこのタイトルが筋を充分に説明していないと考えた人がいたということなのだろうか。台本に沿って見てきた我々には奇妙に思える記述だが、翻って「なぜこのタイトルなのか」を考察する必要があることを示唆してくれている記述であるとも言えよう。考察の手掛かりとしてオペラのタイトルにはoderとかossiaに続いて副題がついていることが多いことに着目しよう。表3に例を挙げる。

表3. モーツァルトのオペラのメインタイトルとサブタイトル
K.メインタイトルサブタイトル出典
344後宮父、娘、息子の奴隷状態
での思いがけない出会い
・セバスティアニーニ作詞、フリーベルト作曲の
  テキスト(1779年)
366クレタの王イドメネーオイーリアとイダマンテ・ボンのジムロックから出版された初版
  (1805年)
384ベルモンテとコンスタンツェ後宮からの誘拐・ブレツナー作の原作台本
・K.384初演当時の筆写スコア
  (ヴィーン国立図書館)
492フィガロの結婚狂おしき一日・プラハ上演時の台本
  (ヴィーン市立図書館)
527罰せられた放蕩者ドン・ジョヴァンニ・プラハ初演時の台本
  (ヴィーン楽友協会図書館ほか)
・ヴィーン上演時の台本
  (パリ国立図書館)
・モーツァルト自作品目録
588コシ・ファン・トゥッテ恋人たちの学校・ヴィーン初演時の台本
  (ヴィーン市立図書館)
・モーツァルト自作品目録
注:
(1) K.344:《ツァイーデ》はヨーハン・アンドレ出版の総譜につけられたタイトルである。
(2)K.366: ミュンヒェン初演時の台本、ミュンヒェン初演時の筆写譜にモーツァルトが記入したタイトルは《イドメネーオ》のみ。
(3)K.384: シュテファニーの台本のタイトルは《後宮からの誘拐》のみ。
(4)K.492: ヴィーン初演時の台本(アメリカ議会図書館ほか)、モーツァルト自作品目録のタイトルは《フィガロの結婚》のみ。

以上から、メインタイトルとサブタイトルの間には表4のような関係があると言えるだろう。すなわち観客に二つの層(あるいは派)を想定し、それぞれの立場の観客が興味を引きそうなタイトルが準備されているのである。

表4. タイトルが捕捉する観客対象
メイン/サブタイトルメインタイトルに同化する観客サブタイトルに同化する観客
クレタの王イドメネーオ王を主役として観劇する立場。 
    イーリアとイダマンテ 恋人たちを応援する立場。
ベルモンテとコンスタンツェ恋人の救出を応援する立場。 
    後宮からの誘拐 後宮への幽閉を正当化する立場。
フィガロの結婚フィガロ、スザンナを応援する立場。 
    狂おしき一日 召使の画策に迷惑している立場。
罰せられた放蕩者冷静さを維持する常識者の立場。 
    ドン・ジョヴァンニ 非常識者の体験を共有する立場。
コシ・ファン・トゥッテ仕掛け人と共に興じる立場。 
    恋人たちの学校 恋人たちの過ちを教訓にする立場。

このように見ていくと《後宮からの誘拐》のタイトルには元来『君主よいしょ』が潜んでおり、「後宮に囲った女を誘拐にくるとんでもない輩が登場し君主を困らせるが、最後には君主の大裁量で無罪放免してやる」という立場の解釈が優先される。そうであればこそ、オスミンが太守ゼーリムのもとでベルモンテをマークし、最後に現行犯で捕まえたときの罪状報告が「誘拐罪」なのであった。太守ゼーリム、オスミン側から見れば、「連れ出し」などの罪では生温く、厳罰に処す罪状である「誘拐」がぴったりなのである。しかもベルモンテはコンスタンツェだけでなく、ペドリッロ、ブロンデをも誘拐した。「駈落ち」も罪ではあるが3人を連れての駈落ちはありえない。「逃走」、「脱走」もコンスタンツェ、ペドリッロ、ブロンデへの罪状にこそなれ、ベルモンテへの罪状にはならない。

一方で《ベルモンテとコンスタンツェ》のタイトルはこのオペラを恋人たちの救出劇と見る観客のために用意されたタイトルである。日本でタイトルを「逃走」、「連れ出し」、「脱走」、「脱出」、「奪還」と呼ぶ人は実はこの立場に立ってのことであったろうと推察される。従って、このように立場ごとのタイトルが丁寧にも準備されているのであるとすれば、日本語のみが勝手な意訳、否、異訳を振り回して良いわけはない。《ベルモンテとコンスタンツェ》というタイトルではトルコ音楽への期待を一言で表現している「後宮」という言葉がなくなるではないか、と言うのであれば、原題の忠実な翻訳《ベルモンテとコンスタンツェまたは後宮からの誘拐》と呼ぶしかなく、このオペラには以上3種類のタイトルしか選択肢はないのである。

6.《後宮からの見せかけの誘拐》(=偽装誘拐)

もう一度台詞を復習してみよう。翻訳のブラシュアップも試みる。
Blonde: Wie bald kann Ihr Belmonte mit Lösegeld erscheinen, oder uns listigerweise entführen?
ブロンデ:「あなた様のベルモンテ様が身代金を持っておいでになるか、計略通り偽装誘拐(で私たちを逃が)してくださるか、もうすぐですね?」
身代金による解決か、強硬手段による解決かを事前に打ち合わせていたわけであろう。強硬手段とは目には目をで、ゼーリムに誘拐されたのをゼーリムから誘拐し返す作戦である。2人の間では当然ベルモンテが主語になっているが、作戦では誰かが男女4人を誘拐したように見せかける誘拐完全犯罪を計画。

Waren wir die ersten Frauenzimmer, die den turkischen Vielfrasen entkämen?
「私たちはトルコの女喰らいから逃げ出したはじめての女性となるのではありませんか?」
第三者から見れば「誘拐」だが、自分の立場から見ればentkommen「逃げ出す」のであるのだと言っている。あたかも将来の日本で「逃走」や「脱出」がタイトルとなることを見越しての発言のごとくである(ここで「救出」されたとか「連れ出」されたと言っていないことに注意。ブロンデは「助け出された」のではなくて「自ら逃げた」と言いたいのである。このようにブロンデの予想を的中させてやった日本人ならばこそ、今後はオスミン、ゼーリムの立場を思いやっても良いのではないだろうか)。

オスミンを眠らせ、船が迎えに来るまでの間にペドリッロはブロンデの部屋に入って行くが、この間に誘拐現場の狼藉跡を残しているものと考えられる(4人とも自分の部屋に争いの跡などを残したと思われる)。

Osmin: Die niederträchtigen Christensklaven entführen uns - die Weiber.
オスミン:「下劣なキリスト教徒の奴隷どもが、我らの女どもを誘拐したのです」
オスミンがベルモンテとペドリッロの現場をつかまえた時点で「誘拐」の匿名性はなくなった。
Der Große Baumeister hat deine schöne Konstanze entführt.
「あの大した建築技師めが、あなた様のお美しいコンスタンツェ様を誘拐してしまったのです」
一つ前で男2人が女2人を誘拐したと言っておきながら、とりわけベルモンテがコンスタンツェを誘拐したと言えるのはこの二人がくっついていたからである。
Selim: Konstanze ? Entführt ?
ゼーリム:「コンスタンツェが?誘拐されたと?(いや、そうではあるまい。駈落ちに違いない)」
疑問符がゼーリムの否定的疑いを示していると考えられる。偽装された誘拐の意味を見抜いたからである。
Ah! Verräter!
「ああ!裏切り者め!」

ハンガリー語や中国語における《後宮からの逃亡幇助》について言えば、コンスタンツェが常日頃逃げようとしていたとゼリムが認識していたとすればこの時点で「幇助」だけが罪になるが、コンスタンツェが逃げると思ってもいなかったのなら、「逃亡」も「幇助」も両方罪になる。最後の科白から後者が正しいと思われるが、そうだとすれば「逃亡」の罪はコンスタンツェ、ペドリッロ、ブロンデに、「幇助」の罪はベルモンテにというように分散されるので煩雑である。また、トルコ語の《宮殿からの婦女誘拐》はこのジングシュピールの舞台となっている国の選んだタイトルであるがゆえに注目に値するであろう。まず、「後宮」でなく「宮殿」としたのは「宮殿」としても全く筋書きに齟齬が出ないためであろう。トルコの宮殿と言えばすぐに後宮と称されることへの抵抗もあるに違いない。しかし、Serailの訳語としては「後宮」が妥当である。また、誘拐に「婦女」が付いているのは、偽装誘拐の段階で誰かが男女4人を誘拐したように見せかけることであった可能性を排除してしまうことになるため首肯できない。

このジングシュピールの略称にも触れておきたい。海外では"Entführung"(《誘拐》)、日本では《後宮》が多いが(岩波文庫の『モーツァルトの手紙』だけが例外的に《誘拐》と呼んでいる)、これも《誘拐》のほうが妥当である。なぜならモーツァルトにはもう一つ後宮ものの未完の歌劇《ツァイーデ》K.344があり、そちらの方の原題が"Das Serail"《後宮》だからである(単に頭の単語を略称に使えば済むというものではないのである)。

ただ、各国のモーツァルト・ファンが以上のことを先刻承知の上でタイトルを呼んでいるかといえば、そうとも思えないのもまた正直な感想ではある(それ故、例外的にメーリケが小説『プラハへの旅路のモーツァルト』の中でさりげなく《ベルモンテとコンスタンツェ》と呼んでいるのを知るのは嬉しいことである)。

7.モーツァルトにも罪がある?

表1の翻訳例の中で異色なのが、《後宮からの誘惑》であろう。この例は当該本の中で「モーツァルトが記念帳をしつらえ知人たちに記入を勧める」というくだり、「最初の記入者がオスミン役のフィッシャーで、調和の女神に呼びかけつつ、友情を謳う」箇所で出てくる。ちょうど甘美な言葉が文の流れの中で納まりがよく、ここに「《後宮からの奪還》」という語句の挿入は不似合いであり「《後宮からの誘惑》」がまさにぴったりなのである。

このようにご都合主義とも言える翻訳も本来は使うべきではないであろう。しかし、この場合だけは矛先が鈍らざるを得ない。なぜならモーツァルトも同じことをしているからである。

台本をはじめて父親に紹介した1781年8月1日の手紙でモーツァルトはタイトルをBelmonte und Constanze, oder; Die Verführung aus dem Serailと呼んでいる。つまり《後宮からの誘惑》、《後宮の魅力》である(この手紙部分を正しく翻訳している日本の本にはいまだにお目にかかったことがない。これも一体どうしてなのだろう)。モーツァルトの間違いや、勘違いであるとは思えないため、モーツァルトが自分の作曲心をそそるタイトルに勝手に仕立て上げて父親に報告したものと私は考える。その後の手紙ではタイトルを言わずとも何の曲かお互いに分かるため「オペラ」とのみ書いており、度重なるオペラへの言及があるにもかかわらず、なんとモーツァルトは手紙の中でついに1783年12月6日までEntführungという表記を書くチャンスがなかったのである(白水社の書簡全集にはこの点で苦言を呈したい。モーツァルトが「オペラ」と言うたびに本文を何の断りもなく「後宮」と置き換えてしまっているのである。これも岩波文庫の『モーツァルトの手紙』が「オペラ(《誘拐》K.384)」としているのと比較すると翻訳の正確さにおいて雲泥の差が生じている)。

8.まとめ

K.180(173c)はサリエーリのオペラ"La fiera di Venezia"の第2幕フィナーレ主題によるクラヴィーアのための6つの変奏曲 ト長調 である。サリエーリのこのオペラは1970年代まで《ヴェネツィアの野獣》と翻訳されていた。「フィエラ」には「野獣」と「市(いち)」という両方の意味があるのだが、有名な作品に《美女と野獣》があることでもあり、誰もが疑問に思っていなかった。しかし、その後リブレットを調べると「市(いち)」が正しいことが判明したので慌てて《ヴェネツィアの市》と呼び変えた経緯がある。

今からでも遅くはない。《後宮からの誘拐》、略して《誘拐》と呼び直すことに躊躇は不要である。

*本稿はインターネットのメーリングリスト「モーツァルティアンJP」における榎本悌次郎氏からの問題提起に基づきまとめたものである。


Sound

歌劇《後宮からの誘拐》のモーツァルトによるクラヴィーア用編曲

オペラの初演から5か月ほど経った1782年12月28日、モーツァルトはレーオポルト宛の手紙でこう語っている。「ぼくはオペラのクラヴィーア編曲も終えようとしているところです。これは間もなく出版される予定です」

それからさらに2年以上経った1785年3月12日、レーオポルトはナンネルに次のように書いている。「《後宮からの誘拐》のクラヴィーア用編曲について私に言えることは、あのトリチェッラが製版しているということだけです。お前の弟が編曲したのですが、まだ完全には終わっていません。多分、第1幕だけしか完成していないでしょう。確かめてみます」

1785年12月16日になってもまだ編曲は完成していなかったらしい。レーオポルトはナンネルに再び書いている。「ところで、もう前から息子に言っていたことが、とうとう起こってしまいました。《誘拐》のクラヴィーア用編曲がアウクスブルクの本屋シュターゲで、7グルデンと何クロイツァーかは忘れましたが、その値段で売られています。参事会員のシュタルクが、この曲をクラヴィーア用に編曲したのです。これはマインツで製版され、アウクスブルクの新聞で、かの有名なフォン・モーツァルト氏についての多くの賞賛の言葉を連ねて宣伝しています。トリチェッラがお前の弟自身の編曲の大部分の製版を終えているとしたら、大変な損害でしょう。――それにお前の弟は、3幕で終わる曲の2幕分の編曲に費やした時間を無駄にすることになるのです」

完成されなかったのは残念であるが、モーツァルトのクラヴィーア用編曲への努力の一端を窺うことが出来るいくつかが残されている。

  1. 序曲のクラヴィーア用編曲(トリチェッラ出版の印刷譜、1785年。オーストリア国立図書館)
    ♪ Overture
  2. 第11番コンスタンツェのアリアのクラヴィーア用編曲断片(自筆譜。スイスの個人所有)
    ♪ No. 11 Aria (準備中)
  3. 第12番ブロンデのアリアのクラヴィーア用編曲断片(自筆譜。カリフォルニア、スタンフォード大学図書館)
    ♪ No. 12 Aria(準備中)

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作者:野口 秀夫 Noguchi, Hideo
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(作成:2001/2/18、改訂:2010/5/4)