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シチリア王国の歴史 <History目次へ>

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グリエルモ2世
Gugliermo U


シチリア王(1166-1189)

美少年の王子様は、やがて”善王”になった。



父は”悪王”だったが、その息子2世は”善王”というあだ名が付いている。これまた、何が”善”であったのかはよくわからない。
ただ、グリエルモ2世のデビューは、人々に善き王という第一印象を与えたことは確かだったようだ。
何しろ美少年だったのである。王子様、王女様という存在は、やはり美男、美女でなければ物語が成り立たない。グリエルモが王位に就いたのは13歳のとき。戴冠式のパレードで、この金髪をなびかせた美少年の姿を目にした人々は、父の”悪王”とは違った治世を夢見たのだった。

実際、グリエルモ2世の時代には王国が安定に向かい、繁栄を取り戻すことになった。
当初は、王宮内部でお決まりの権力闘争のごたごたがあり、暴動も起きたけれど、グリエルモが成人して親政を開始した後は、目立った混乱は起きなかった。
その繁栄を象徴するのが、モンレアーレの修道院である。独特の建築様式、金ぴかのモザイク、イスラム風の美しい回廊、どれをとっても見る者を圧倒する凄さがある。
加えて、あまり知られていないが、華やかな離宮がいくつも建築されている。父王の時代に建築が着手された”Zisa”が完成し、広大な人工池の中に建つ”Cuba”や、”Cubla”といった離宮が次々と建築された。
いずれもイスラム様式を取り入れた豪華なもので、これらの離宮を見ると、ヨーロッパの王というよりは、アラブの王様といった感じがする。

グリエルモ2世の時代には、父1世の時代よりも、官僚による統治システムが強固なものとなった。
そうした官僚の頂点に立つ王国最高顧問団には、アラブ人もメンバーに加えられている。シチリア王国は、ルッジェーロ大伯の代から数えて4代目になっても、アラブ人を権力の中枢に置いていたのである。

王国内のイスラム教徒は、反乱などが起きると、混乱の中で攻撃の標的になってしまうことが多い。そのため、難を逃れて島を出ていったイスラム教徒も多く、かなりの外部流出がみられた。しかし、それでもまだ多くのイスラム教徒がシチリアで暮らし、グリエルモ2世時代の繁栄を享受することができた。
アラブ人旅行家のイブン・ジュバエルは、グリエルモ2世のイスラム教徒への態度を伝えるエピソードを『旅行記』に書き記している。
シチリアで大きな地震が起きたとき、グリエルモが王宮の様子を見て廻っていると、侍女や小姓たちがイスラムの神に助けを求める声が聞こえてきた。彼らは王にそんな姿を見られて驚いたが、グリエルモはこう言ったという。「おのおのが信じる神に、加護を祈るがよい」と。


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