1999年7月19日

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皇帝の城(プラート) ツアー最終日となる7月19日、バスでプラートに出かけた。

バスは、Lazzi社を利用する。例のSita社とは違って、切符売りの人も運転手も愛想がいい。フィレンツェの駅前から30分程の道のり。皇帝の城が見えてきたところで、バスを降りた。
皇帝の城と呼ばれるこの城は、皇帝フリードリッヒ2世が建てたもの。
北イタリアで彼の建造物が見られるのは珍しく、さっそく観に行ったのだが、中に入って拍子抜けしてしまった。外から見るとなかなか立派な城。でも中は空っぽ。屋根はなく、演劇や映画の屋外上映のスペースとして使われているようだった。
城のすぐ傍には、丸い屋根が乗っかったサンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会が建っている。かわいらしくも、落ち着いた雰囲気の建物。ルネッサンス期のもので、やはり、当時の人々のセンスの良さに感心させられる。

サンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会 さて、プラートという街は、マキャベッリ・ツアーとはあまり関係がない。ただ、マキャベッリが政庁書記の職を追われたきっかけは、1512年のプラートでの攻防戦だった。スペイン軍によるプラート攻撃におそれをなしたフィレンツェ政庁が、メディチ家の復帰を認め、ソデリーニ共和政権は崩壊することになった。マキャベッリは、当時の政庁指導者たちの優柔不断さを嘆いている。事前にメディチ派を押さ込む手立てを打っていれば、そうはならなかったと言う。
フィレンツェ市民が恐怖につつまれたというプラート陥落。いや、大した出来事でもなかったと言うマキャベッリ。
ややこじつけの感もあるが、実際に出かけてプラートとフィレンツェとの距離感をつかみ、街の城壁などを見ておきたいと思った。

プラートの街中 とは言え、美しい城と教会があって、小ぎれいな街並みの残る街。そんな昔の戦争の記憶などあるわけがない。マキャベッリ・ツアーはとりあえず忘れて、美術鑑賞に力を入れる。
プラートは、ルネッサンスの巨匠であるリッピ親子(フィリッポ・リッピ、フィリッピーノ・リッピ)ゆかりの街でもある。ドゥオーモ付属美術館と、サン・ドメニコ教会の傍の美術館(移転した市立美術館だと思う)で、これまた数々の名画を観ることになった。
ここのドゥオーモ付属美術館は、作品が充実しているだけでなく、雰囲気もいい。というのは、整理や修復がまだ作業中のためか、何となく雑然としているところがあって、それが心地よかったのである。硝子のはまったような、きちんとしたチケット売場もなく、中に入ると作業用の工具や塗料缶が散らばっている。いかにも田舎の美術館風で、手作りの感じがある。それでも、見せつけられる美術品は超一級品ばかり。中を行ったり来たりしながら、かなりの時間を過ごした。

フィレンツェに戻ってからは、ひたすらお土産探し。
それで、最後まで買うべきか迷ったのが、フィオリーノ金貨のレプリカ。この金貨は、まさにマキャベッリが生きていた時代に流通していた通貨で、フィレンツェ黄金時代の象徴でもある。一応金製ながら、レプリカであるためそんなに高くはない。1万円程度のものが売られていた。財布の中もその程度の余りのリラがあったため、マキャベッリ・ツアーの記念に、一枚買おうかと思った。
しかし、冷静に考えてみると、全く実用性なしの代物である。資産価値としてはあまり評価できない。部屋に飾るには小さすぎる。誰かに見せて自慢するにはマイナー過ぎる。…なんて悩んでいたら、ある店先にフィオリーノ金貨が山積みされていた。見れば、一枚200リラ(約15円)。金貨チョコレートより安い!
で、買いました。材質不明の金属に金色が塗ってあるフィオリーノ金貨もどき。
ちなみに、その店の名は”レオナルドの工房”。マキャベッリの生家のほとんど目の前にある。あの天才の工房を標榜するお土産店であった。

ニセ金貨 かくして、私のマキャベッリ・ツアーは、ニセ金貨の購入をもって最後となった。
今、この金貨は、金貨チョコレートのように食べられることもなく、大判・小判のように額縁に入れられることもなく、私の机の上にゴミと一緒に散らばっている。



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