1999年7月18日

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ピサの城壁 フィレンツェを出て、ピサにでかけた。
体調が悪かったため、動き回るのはどうかとも思ったのだが、やはり、マキャベッリ・ツアーとしては、ピサを外せないと思った。書記官時代のマキャベッリにとって、ピサ問題の解決は重要任務の一つだったからだ。

ピサは、中世の四大海運共和国(あとの3つはヴェネチア、ジェノバ、アマルフィ)の一つとして栄えたが、次第に衰退し、ルネッサンス期にはフィレンツェの支配下にあった。ところが、1494年のフランス王シャルル8世によるイタリア侵入を機に独立し、反旗を翻す。その支配権を取り戻すことが、当時のフィレンツェ政庁の重要課題となっていた。
ところが、これがうまく行かない。
フィレンツェが大金を払って雇っていた傭兵隊長は、ピサ攻略の好機を得ながら、攻撃を止めてしまう。勝ってしまうと、仕事がなくなるからである。フランス王は軍事援助を約束しながら、フィレンツェに金を払わせるだけで、ピサに軍を向けようとしない。傭兵隊長やフランス王との交渉を書記官マキャベッリがやっていたのだが、そのときの経験が彼の政治論にかなり影響を与えていると言われている。まあ要するに、何もかもうまく行かず、今までのやり方ではダメだと悟ったわけである。
彼が考え出したのは、国民軍構想。フレンツェ領内の農民から兵を募って祖国防衛にあたらせようというもの。これは、マキャベッリが愛した古代ローマの軍政をまねたとも言える。
マキャベッリが組織した国民軍は、1509年、ピサ攻略に成功した。そして、その戦後処理も彼の担当となった。
そこで、勝者となったマキャベッリが、宿敵ピサに対してマキャベリズムを実行した…、と思いきや、むしろ逆のことをやっていたそうだ。籠城戦で疲弊したピサ市民に食料などを配ったとのこと。マキャベリズムの創始者は、意外にも敗者に優しかったのである。

ピサのドゥオモ広場 私が訪れたこの日は日曜日。ドゥオモ広場あたりには、たくさんの観光バスが続々とやってきていた。おみやげ店もずらりと並び、さすがは世界的観光地という感じがする。
イタリアでの都市観光というと、ごみごみしていて古ぼけた建物を巡るのが常だが、ここは違う。広々とした空間の中に、真っ白なドゥオモや斜塔が聳えていて、すがすがしい。こうした建物群を11世紀から12世紀頃に建ててしまったのだから凄い。ピサ人の美意識は、かなり先進的なものだったのだろう。
斜塔が傾いてしまったのは施工ミスからだが、こうして見てみると、傾いていた方がしっくりするような気がする。ドゥオモの背後に、植物のように傾きながら伸びている塔が見える。この感じがいい。真っ直ぐな塔では、全てが直線的で、つまらない風景になってしまう。もっとも、逆方向に傾いていたとしたら、風景としてはバランスが悪かったかも。

ドゥオモ内部 建物の内部もなかなかのもの。マキャベッリ時代のフィレンツェは、これだけの建築物を残し、自分たちの歴史に誇りをもっていたピサ人を支配しようとしていた。マキャベッリが苦労するわけである。
それにしても、ピサの中心部は海にそれほど近いわけではない。港がない。それでも海運国をやっていけたのは、アルノ川を利用していたからだとか。ちなみに、この川の上流にあたるのがフィレンツェ。
街を流れるアルノ川は、確かに船の往来はできそうだけれど、大河という感じではない。この川一本で海運国としてがんばり、ヴェネチアあたりと張り合っていたのだから凄い。

駅までの帰り道、タバコを切らしてしまった私は、タバコ屋を探しながら歩いていた。ところが、日曜日のせいもあって、どこも開いておらず、バールでもタバコを売っているところがなかった。
ようやく探し当てたのが自動販売機。
と言っても、閉まっている店の販売機で、機械は格子状のシャッターの向こう側。一人のおじさんが、シャッターの格子の間から手を伸ばしてタバコを買っていた。でも、様子がおかしい。突然びっくりしたように手をひっこめて、その拍子にお金をシャッターの向こう側に落としてしまった。それを拾うのにまた一苦労。伸ばした手をまた突然ひっこめたりしている。
私はその後ろで順番待ち。お金の回収に成功したおじさんが去った後で、ようやく私の番が来る。
で、わかった。私も途中で手をひっこめて、お金を落とす羽目になったのだ。何と、シャッターに肌が触れるとしびれるのである。どうやら、シャッターに電流が流れているらしい。イタリア式防犯システムなのか、漏電なのかわからないが、何ともびっくりさせられた。
私には、お金を拾う根性はなかった。何とかタバコだけはゲットし、1000リラ札にさよならを言って駅に向かう。

サンタマリア・デッラ・スピーナ教会(ピサ) フィレンツェに戻ると、その夜は、奮発して名物のステーキを食す。
本来のビステッカ・アッラ・フィオレンティーナは巨大な肉の塊で、とても一人では食べ切れないが、私が入った店では小さなサイズのものを出していた。
ワインもたっぷり入って上機嫌だったところに、隣の席に日本人夫婦がやってきた。このご夫婦、イタリア語と英語の二つのメニューをもらい、両者をつき合わせながらメモをとっている。私から声をかけると、イタリアに入って2日目くらいだそうで、メニューがよくわからず苦労しているとのこと。
話を聞いて、私からメニュー解読用の辞書を差し上げることにした。これは、アルファベット順に食べ物関係だけの単語が並べられている便利な辞書で、ガイドブックに載っていたものをコピーしたもの。
いたく喜ばれ、上機嫌で店を出る。



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