1999年7月16日午後

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キャンティクラシコ・マキャベッリの看板 サンタンドレア・イン・ペル・クッシーナに向かって、私の乗ったバスはトスカーナらしい丘陵地帯を走る。いくつかの丘を越え、これまた何度も川を渡り、何ともわかりにくい道を行く。バスの便が確保できなければ、自転車で行こうと考えていたのだが、その計画が無謀だったことを思い知る。よほど詳細な地図がなければ迷っていただろう。
やがて、サンタンドレアの標識が目に入り、しばらく行くと、写真で見たことがあるマキャベッリの山荘が見えてきた。と思ったら、バスはどんどん先へ行ってしまう。その先に家の建ち並ぶ集落があり、バス停があったのだが、それも通り過ぎる。SITA社ならではの不親切な運転手さんであった。サンタンドレアに行くと言ってあったのに…。「止まらないんですか!?」と叫び、降ろしてもらった。

山荘の向かいにある居酒屋 バスを降りてから、道を歩いて戻ると、マキャベッリ印のワインの看板が立っていた。マキャベッリの山荘を相続したセリストリ伯爵家は、かなり大々的にワインを製造していて、銘柄もいろいろある。そのうち、最上級のキャンティクラシコ(D.O.C.G)には、マキャベッリの銘が付けられ、ラベルには彼の横顔が描かれている。このワインは一度日本で手に入れたことがあって、この看板のデザインは馴染みのものだった。
さらに歩いて、マキャベッリが「君主論」を書いた山荘に到着。
しかし、入口は閉まっている。キャンティクラシコ製造者の組合事務所がこの建物の中に入っているのだが、それも閉まっていた。
実は、山荘のマキャベッリ博物館の”開館時間”については、一度英文のガイドブックで読んだことがあった。そのガイドブックによると"rarely open"。めったに開いてなくて、向かいの居酒屋の"friendship"によって"open"されるだそうだ。やはり、向かいの居酒屋と交渉しなければならないようだった。

居酒屋にて とりあえず、"friendship"の第一歩として、居酒屋のドアを開け、食事を頼むことにする。若いウェイトレスが出てきて、気さくに応対してくれた。
さて、席に着いて、メニューを渡されたのだが、値段を見てちょっと驚く。この店は居酒屋と呼ぶのが慣例になっていて、私は結構安い店を想像していた。しかし、店の造りも立派で、渡されたメニューも立派。フレンツェ市内の中級店並のお値段なのであった。
とは言え、何しろ"friendship"が肝要である。散財する覚悟を決め、前菜とパスタを頼む。そして、ワインである。この居酒屋もセリストリ伯爵家のもので、ワインの直販店にもなっている。ワインは省略不可と心得た。もっとも、フルボトルを昼間から一人で飲むわけにも行かず、ハウスワインや小さいボトルはないものかとお願いしてみたが、そういうものはありませんとのこと。仕方なく、マキャベッリの山荘の別称でもある"Albergaccio"という銘柄を頼むことにした。
そのうえで、ウェイトレスに”博物館の開館時間はどうなってますか?”なんて聞いてみる。さりげなく、必死になってやって来た感じを悟られぬように。奥で聞いてきます、とのご返事だった。店の奥の方で、ゴチャゴチャと話し声が聞こえる。ウェイトレスが私の様子を説明しているらしい。どうなることやらと思っていたが、食事が終わったら見せて下さるとのこと。やはり、食事から入ったのが正解だったようだ。
かくして、"friendship"を壊さぬよう、料理がおいしいなどと言いながら、1時間ほどかけてワインを飲み続けた。フルボトル、ほとんど完飲。

台所 そんなわけで、食事が終わった頃には完全に酔った状態となっていた。やや足もとに不安を覚えながら、博物館のご案内をお願いする。ウェイトレスが博物館の鍵を持ってきて入口を開けてくれた。後はご自由にとのこと。見終わったら店にまた来てください、そしたらまた鍵をかけます、と言い残して彼女は店に戻って行った。
入口から右に行くと、竈のある部屋がある。家族が食事をしたりした部屋なのだろう。そして、一番奥に、彼の書斎だった(と思われる)部屋があった。マキャベッリが執筆に使用していた(と思われる)机と椅子が置かれていた。「と思われる」のは、塩野七生氏が「わが友マキャヴェッリ」で書いている山荘の様子と違っているからだ。塩野氏が訪れたときは、机椅子は置かれていなかったようなのである。
ともあれ、ここでマキャベッリは、官服に着替えて「君主論」や「政略論」を書いていた。およそ500年前のこと。
書斎の机と椅子 地下やら庭先やらあちこち歩き回り、また書斎に戻ってきては感激にひたり、かなりの時間を山荘の建物の中で過ごした。あまり私が出てこないのを心配してか、さっきのウェイトレスが様子を見に来てくれた。そこで、ほどほどに見学を切り上げ、居酒屋に戻ってワインを2本買った。

さて、こうして見学も終わり、居酒屋での食事もワインの買い物も終わってしまうと、何もすることがない。帰りのバスまでは、かなりの時間があった。私はゆっくり歩いてバス停まで戻り、そこで2時間くらいバスが来るのを待った。
バス停には、屋根と椅子がある。ここに座ってタバコをふかしながら、通り過ぎる車や周辺の家々の人々の様子を眺めていた。車で訪ねてきた友人とおしゃべりをしている人。洗濯物を取り込む人。外に椅子を置いて本を読んでる人。庭の手入れをする人。イタリア的なゆったりとした時間が流れていた。私の方は、ちゃんとバスが来るのか心配で、そんな優雅な時間を楽しむ余裕がなかったけれど、村の人々の暮らしを垣間見ることができた。


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