最近行った映画(2000年)

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「愛のコリーダ 2000」

「阿部定事件を題材にした(形式としては)ハードコアポルノ」だということは 十々承知して見に行ったつもりだったのだが、 それでも3分に1度はあろうかというセックスシーンの連続には ぶったまげてしまったし、

「床入れ」を芸者の衆人監視の元で行なう(そんなんできるか?)

とか、

「愛し合ってる男と女はこうするのよね」と言いながら、 定の性器に刺身をつけて食べる(やっぱ刺身はわさび醤油っしょ?)

とか、

68才の芸者の前でセックスをしながら、定が「この人とやってみる?」 と言って本当にセックスをやらせる(やらせる方もやる方もどうかしてるで)

と言ったような、信じがたいシーンの連続であった。 吉蔵の性器を切り取るシーンの生々しさには、 女という生き物の恐ろしさを改めて強く感じずにはいられなかった。

それでも この映画は、 人間の性愛という 普遍性と特異性、個別性を合わせ持つ、 非常に重要かつ扱いにくいテーマを、 逃げることも照れもなく、真摯な姿勢で描き切ったという点でも、 それに色(特に赤)の鮮やかさ、 映像の中の女性の身体の美しさという点でも、 極めて高い水準に到達していたと思う。 それに、 定の狂気にも似た思いを、 吉蔵が全て肯定しながら受け止めて殺されていったという解釈は、 一種のカタルシスすら感じさせるものであった。

この映画について唯一残念に思うのは、 ズタボロにカット、 修正を加えられた24年前当時のバージョンも見ておいた上で、 今回のバージョンを見てみたかったということである。 当時は4才だったわけだから、当然かなわない願いではあるのだが。

(2000年12月17日観賞、20日執筆)


「年下のひと」

スキャンダラスな作品で物議を醸す、 奔放な女性作家ジョルジュ・サンド (後にショパンの恋人になるが、そのことはこの映画には出てこない) と、年下の詩人との間の激しい愛憎劇を描いた作品である。 とにかく目についたのは、 男の方がとんでもなく嫉妬深いことである。 反面教師として学ぶことは多かったかもしれない。 彼らの愛憎劇は、攻守がしょっちゅう入れ替わり、 しかも一度完全に終わったと思った二人の関係が復活したりと、 目まぐるしい展開を見せる。 男の方が旅先のイタリアでアヘン中毒になり、 療養のためにイタリアを一人去る時には、 これがラストシーンと思い込んでしまったのだが、 そこから二人の関係が復活する仕方は信じ難いというか、 「この男なんちゅう非人間的な奴や」と思わずにはいられないものであった (具体的にどのように復活したのかはここでは触れない)。 二人の関係の展開の常軌を逸した様は、 生半可な共感を拒絶するようなものにすら私には思われた。 非常に乱暴な一言で私の感想を総括させてもらうと、

「んなもん、これが『真実の愛』だなんて俺は絶対認めんぞ」

といったところであろうか。 あと、題名に挙がっているほどには、 「男の方が年下」 ということはストーリーでは強調されていないように思われた。 敢えて挙げれば、男の嫉妬深いわがままさを、 女の方が受け止められる時には ちゃんと受け止めているというところくらいだろうか。

それから前に「橋の上の娘」 を見た時にも思ったのだが、 おふら〜んすの奴らは本当にトークをかます時に あんなひたすらキザなセリフを言いまくっているのだろうか。 あまりの頻発ぶりにいちいち覚えていられなかったのだが、例えば

女「こんなとこだとシラミに食われちゃう」
男「君を食うシラミは幸せだよ」

男としてはこれくらいのセリフはしゃらっと言えないといけないんでしょうか? (って誰に聞いとんねん)

(2000年5月13日観賞、14日執筆)


「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」

一応知らない人のために簡単に書いておくと、 ジャクリーヌ・デュ・プレは、天才的な技術を持ちながら、 その絶頂期に難病に冒され、 若くして亡くなった伝説的な女流チェリストである。

この映画はジャクリーヌの親族(主に実の姉)が書いた本を元にしたもので、 公開されるや音楽関係者や音楽ファンの間で物議を巻き起こしたそうだ。 実際ジャクリーヌはまるでセックス中毒であったかのように描かれていて、 プロポーズされたと喜ぶ姉に 「これがあれば結婚なんてする必要がないのよ」 と避妊具を差し出したり、 愛が得られないと苦しむジャクリーヌに、 姉が自分の夫をセックスの相手としてあてがったりと、 とても本当だとは思えないようなエピソードの連続であった (この映画の後で原作本をぱらぱらと立ち読みしたのだが、 「これは真実だ」ということが最初の方でかなり強調されていた)。 確かにこれはセンセーションを巻き起こすのは当然やわな、 と思わずにはいられなかったのだが、 この映画の本質はそんなところにあるのではなく、 傑出した才能がその特異さゆえに 周りにあつれきをもたらし、 孤独を強いられる様を描くことにあると思う。 当事者の書いた本が元になっているので、 その辺り本当に客観的に正しいのかはやはり疑問の余地があるが、 それでも特異な人間がどのように特異な感情を抱くか、 というところは非常に丹念に描かれていたように思う。

あと、同じ時間の流れの中の出来事をジャクリーヌと姉がどう感じたのかを、 最初に姉の視点から描き、それが数十分続いたのちに、 ジャクリーヌの視点から描き直すということをしていたので、 少し頭が混乱するようなところもあった。 そういう意味では、ただの伝記映画とは言えない 凝った作りをしていたように思う。

これは後で知ったのだが、 ジャクリーヌは28才で引退を余儀なくされたそうだ。 今の自分と同じ年なだけに、 自分の来し方を思うと身につまされるものがあった。

(2000年3月11日観賞、??日執筆)


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