最近行った展覧会など(2003年)

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アンディ・ウォーホル展
(渋谷パルコミュージアム)

(2003年6月21日観賞)


荒木経惟 花人生展
ディジタル・イメージ2003【デジタル・アートの交響】
「20代作家の挑戦 IN&OUT」日本・韓国
(東京都写真美術館)

荒木経惟の展覧会は、 2年前 にメイプルソープとの2人展を見に行って以来である。 その時は点数も多く、それぞれの写真に強烈な印象を受けたが、 今回は前回より 点数がかなり少なく思えたことに強い不満を抱いた。 上質なものの割合が前よりも少かったのもマイナスポイント。

前回と違うことについて書いておくと、 まず今回はスライド上映(アラキネマ)を行っていた。 ポジだけでなくネガも使っていて、 かなり奇異なネガの色彩には強い印象を受けた。 しかし、色の再現という点では、スライドはどうしても 完璧と言えない弱さがあるのではないかと思う。 また、花のポラロイド写真 約3000枚を壁3面に張り付けた様は圧巻であった。 全部はとても見られんわなあと思いつつ壁に近づくと、 女性のヌードや緊縛写真が時々混じっていて、つい写真を張ってある全面に 目をやってしまった。荒木経惟の策に見事にはめられたのか。

新しいと思われる写真としては、 絵の具を溶いて花にかけて撮影したものがあり、 絵の具の湿り気が、何とも言えないエロティシズムを発散していた。 ただ、違う原色を同時に使うのは、 使い方としてはどうなのかなという感もないではなかった。

また、荒木経惟自身の手になる絵画も数点展示されていたが、 私には稚拙なものとしか思えなかった。 映画「HANABI」で見た北野武の絵画に抱いた違和感と同じものが、 私の胸をよぎった(北野の絵の方がはるかに手が込んでいるが)。 才能のある人間は、 自身が才能を発揮できない方面をきっちり見切ることも必要なんじゃないだろうか。

最後には、 ポラロイドが表紙にある特製の写真集を20点ほど並べていた。 絵画もそうだが、こんなものを並べるくらいなら 一流の写真をもっと並べてほしいものである。

最初に書いたことの繰り返しになるが、 今回の展覧会は企画の内容という点で極めて不十分で甘いもののように思えた。 2年前に見た展覧会が非常に充実したものであっただけに、 残念に思えて仕方がない。

まだ時間があったので、 同じ美術館の別のフロアでやっていた ディジタル・イメージ2003【デジタル・アートの交響】 を鑑賞することに。 いきなり裸眼立体視のディスプレイに出迎えられるなど、 普通の展覧会とかなり違う雰囲気が漂っていた。 デジタルによる平面作品のみならず、 立体作品、映像作品、 さらにはこちらが何らかの操作をできる インタラクティブな作品など、 かなり面白く見ることができた。 特に面白かったのは、 机の上で手などを動かすと、 それに応じて、大きな液晶ディスプレイの映像だけでなく、 2chのスピーカーから出てくる音声までも変化する作品である。 また、何点かあった有名人の写真のパネルのなかで、 長谷川京子がやたらに可愛かったことが、 デジタルアートとは何の関係もないこととして印象に残った。

この展覧会は荒木経惟のものよりもはるかに面白かったが、 芸術のセンスの発露というよりも、 優秀なソフトウェアとある程度の根気の結果と 感じられる作品も少なくなく、 デジタルアートという形式の展望については、 まだしばらく見守る必要があるのではないだろうか。 芸術の新しい形式が登場する時は、 当然玉石混淆になるのだから、 このような状況は新しいものの誕生に立ち会っているということの証左だと思う。

まだ時間があったので、 無料で見ることが出来た 「20代作家の挑戦 IN&OUT」を覗いてみた。 題名の通り若い学生の作品を集めたものであり、 東京都写真美術館では日本の、別の会場では韓国の学生の作品が展示されている ようであった。 若い学生の作品ということもあり、 こちらも様々なテーマ、手法の入り乱れたものであった。

(2003年6月7日観賞、8日執筆)


メトロポリタン美術館展
(Bunkamura ザ・ミュージアム)

この展覧会は結構話題になっているらしく、 しかも週末だったので、 かなり混んでいて驚いた。 それでも、2001年の MoMAの時よりははるかにましではあったが。

パンフレットによれば、19世紀末から1930年代頃までのパリの 美術の潮流に焦点を当てているらしく、 アカデミズムとは対極にありながらも、 比較的見てわかりやすい絵が多かったように思う。 混んでいるのもうなづける内容であった。 言い方を変えれば、無難な内容ということでもあるが。

印象に残ったことの一つはピカソの様々な変貌ぶりである。 青の時代の2枚 「盲人の食卓」(手元に作品名がないので、うろ覚え)と「アルルカン」 を見て、 前者は抑制された色彩の使い方と構図に 何とも言えない緊張感を覚えたのに対し、 後者は人物の白い顔がいまいちしまりがないように思え、 前者の方が圧倒的によく思えた。 にもかかわらず、 チケットにもパンフレットにも載っていたのは後者で、 正直かなり釈然としないものがあった。 その後はバリバリのキュビズムの絵。 ブラックもそうであるが、 キュビズムの中でも、 セピア色の抑えた色遣いと縦と横の線中心の絵は、 何が描かれているか全くわからなくても、 空間の解体と再構築への強靭な意思をひしひしと 感じさせる緊迫感にいつも強い印象を受ける。今回もそうであった。 さらに、写実主義的な「白い服の女」を見て、 ピカソのあまりに広範なその活動ぶりにただただ唖然とするしかなかった。

その他に印象に残った絵と言えば、モディリアーニの「横たわる裸婦」 と、ユトリロの風景画であった。 「モディリアーニもユトリロも、実は案外見たことがないよなあ」と 改めて認識させられた。

それでも、前の MoMAの時と同様、 「メトロポリタン美術館って、 もっといいものを持ってるんじゃないのか?」 という疑問がぬぐえなかった。 バルテュスにしても、もっといいものがあっても良さそうに思えたし、 キリコが凡庸な自画像一枚しかないというのは納得が行かなかった。 それ以上に、「いくらマティスでも、こんなんタダでもいらんわ」 と思うような肖像画があったことには、驚きを隠せなかった。 「超一流の美術館から超一流の作品が来るはずがない」 ということは頭では分かっていても、 どうしても希望が先走ってしまい、その分失望を禁じ得ない。 やはり超一流の美術館には自分から出向かないといけないのだろう。

(2003年2月22日観賞、27日執筆)


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