「新しいアイデアは、初めはばかばかしいと非難され、次に些細なことだとしりぞけられ、それでも最後にはみんなが知っている事実になるのです。」
ウィリアム・ジェームズ
ヴィ:20世紀を通じて、臨終の患者を看取った医者と看護婦たちが、その詳細を語った本がたくさん出版されています。ダブリンの王立科学大学で物理学の教授を務めていたウィリアム・バレット(William Barrett)卿が、1926年に「Deathbed
Visions(臨終における幻視)」と呼ばれる小さな本を出版しました。その中に彼はこう書いています:
O:なんなの、いったい。要するに、死にかけた人が見る幻? 別にいいんじゃないの、そういうものを見たって。
ヴィ:この先の話を聞けば、この幻、と言っておきましょうか、その幻覚が無視できないものであることがわかります。
1960年代、アメリカ心霊調査協会のカーリス・オシス(Karlis Osis)博士は、後に一連の研究の指標となり、いくつかの異なる文化圏で確かめられることとなる、臨終における幻視の研究をしました。彼の調査結果は;
1977年、オシス博士と彼の同僚エルレンドゥ−ル・ハラルドソン(Erlendur Haraldsson)は「At the Hour of Death(死の瞬間)」を出版しています。この本はオリジナルの研究を拡張して、インドと合衆国の1000人以上の医者と看護婦から得られた報告を含んでいます。報告書には、合計で10万人以上の人々の死が扱われています。これらの調査研究は、他の研究書にもよく引用される、イギリスのロバート・クロッコール(Robert Crookall)博士が30年以上かけて作り上げた先駆的な研究報告と、相互に関連していることがわかっています。
医療スタッフから彼に提供された情報によれば;
メルヴィン・モース(Melvin Morse)博士の主張によれば、フランスの歴史家フィリップ・アリエス(Philippe Aries)が、死に逝く人々が神を見たり、以前に亡くなった人々を見たりする事実が紀元前1000年以上前にあったことを、確かな資料に基づいて報告しています。博士は、今日の医療では患者がこのような幻影を見ると、その「心配」をほぐすために麻酔剤や精神安定剤が処方されると不平を言っています。なぜなら、これらの薬は短い間の記憶を消してしまい、患者が見たかもしれない幻影を思い出せなくしてしまうからです。彼はまた、病院で亡くなる人々のおよそ90%が「ひどく鎮静させられ、果てしなく蘇生させられて薬で治療され」、そして医者は、臨終における幻視は投薬の副作用だとみなしている、という事実に不満を訴えています。
O:ヴィクター。死にかけた患者が幻覚を見るのが、意外によくある現象だというのはわかった。それで? いったい何が言いたい?
ヴィ:モースは自著「Closer to the Light - Learning from the Near-Death Experiences
of Children(光に向かって−子供たちの臨死体験から学ぶ)- 1993」の中で、臨終時の幻視は「生命の神秘的な過程において忘れられている局面」だと表現し、この現象は死に逝く患者とその家族の両方に、大きな慰めと癒しの効果を持つことができるという意見を提出しました。彼は死を迎えようとしている子供たちが、最後の数日間に死後の世界の幻影を見始めた事例を、いくつか詳しく述べています。子供たちは驚くほど素晴らしい色彩と美しい場所が見え、亡くなった親類が、ときには全くその存在を知らなかった親類縁者たちが待っているのを伝えてきます。
O:なるほど。要するに、臨終の幻覚を肯定することによって、終末期医療に光明が差すと、こう言いたいんだね。
ヴィ:少し違いますね。私が言いたいのは、臨終の幻覚が、単なる幻覚ではなく実在に基づくものだと言うことによって、終末期医療に光明が差すということです。
オシス博士は、これらの経験は死にかけた脳の生化学的な効果によって起こされる単純な幻覚だという仮定のもとに調査を始めました。しかしながら、調査後に彼は、これらの経験は患者の身体的状態や、薬物療法の効果として説明される類のものではあり得ないことを、完全に確信しました。
SPRの記録によれば、幽霊のように姿を見せた訪問者が、死を迎えようとしている人の枕許にいた他の人によって、時には複数の人に同時に目撃された事例がたくさんあります。
死の直前まで意識を保っている人たちの50から60%が、他界の幻影を経験するようです。
O:つまり、死に逝く人々だけではなく、それに付き添っている人々も、別離の悲しみのあまり同じ幻影を見るということか。
ヴィ:教授。自分の言っていることがわかっていますか。複数の人が同じ幻覚を見る?! そんな考えは非科学的だと思わないのですか。
O:全く思わないね。だいたい、全員が同時に見たという保証はないだろう。いいか。まず最初に一人がこう言い出すんだよ。「あそこの隅に死んだじいさんが見える。」それを聞いた他の人たちは、亡くなりそうな人の側にいるという異常心理のために、その「見えないはずの人が見える」ということを自己実現してしまうんだな。つまり、言われてみれば私にも見えてきたってやつだ。
ヴィ:教授のその言葉に理性ある人たちがついていくとは思えません。
O:テレパシー説でも説明できる。一人が、自分が見た幻像を周りに発信してしまうんだ。
ヴィ:私には科学から遠のいているとしか思えません。
O:じゃあ君は、死人が存在してそれが幻像として見えるというのが科学的だというのかね。
ヴィ:それが唯一、理性的で科学的な結論だと思えます。もちろん、これ以上に信頼できる結論が現れれば、私もそれを検討します、しかしながら、いいですか、教授。今までの事柄をすべて説明しようとすれば、死後の世界が存在するといった以上に論理的な答はあり得ないのです。