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Carthage カルタゴ ●地中海に面したリゾート住宅地 ●宗教・主にイスラム 言語・アラビア語、フランス語 ●チュニスよりTGMで30分(0.6TD=約\55)1999年10月現在 ●カルタゴ海岸遺跡共通チケット5.2TD(1日有効) |
カルタゴの歴史
●ポエニの時代 ギリシャの伝説・・・・・・・・ティロス(現在のレバノン)の王ピュグマリオンは、妹のエリッサ(ディードー)の夫アケルバースが財産を隠匿したことに怒り、彼を暗殺した。逃げようと考えたエリッサたちは、兄の船隊を手に入れ、隠し財宝とともに海へ乗り出した。そしてカルタゴを建設した。・・・・・・・・ 航海技術、商業にたけたフェニキア人は、すでに地中海に植民地をいくつも建設していたが、紀元前8世紀ごろから新たな首都を探し求めていた。そして北アフリカに、故郷ポエニと同様の地形を持つ岬を見つけた。そこを新しい都市という意味のカルタゴと名付け、ポエニ風の街を造り上げた。 繁栄し続けるカルタゴに対し、イタリア半島で勢力を増してきたローマは、264年から戦争を起こし、カルタゴの支配地であったシチリアを占領した (第1次ポエニ戦争)。 カルタゴは、スペイン南部と銀山を手に入れ、ローマへの賠償金を捻出し、国力の回復をはかった。 後にイベリア半島での領土争いが起き、ローマのこれ以上の侵略を許すまじと立ち上がったのがハンニバルである。彼は戦象を含め巨大な軍隊を率いてスペインを北上した。ピレネー、アルプスで大半の軍を失いながらも、イタリア半島に入ったハンニバルは次々と勝利を飾った。が、ローマの執政官スキピオがカルタゴ本土を攻撃し始め、帰国を余儀なくされたハンニバル軍はザマで敗北し、カルタゴの領土は北アフリカのみに縮小された(第2次ポエニ戦争)。 しかし、戦後10年たつと、意外にも早くカルタゴは国力を回復し、賠償金を一括で払いたいと申し出たうえに、和平条約に基づいてイタリアへの輸出を大幅に増やしていた。その底力をおそれたローマは、ヌミディアと組んで次々とカルタゴの領地を奪い取り、無理な要求をのませた。そしてついにはカルタゴの武器をすべて提出させた後、住民に海岸線から18キロ以上遠くへ立ち退くよう求めた。それでもカルタゴ住民は激しく抵抗を見せた。が、戦力の差は大きく、ビュルサの丘の神殿に立てこもったローマ人捕虜は、投降すれば磔になるとわかっていたため自ら火を放ち、それが10日以上燃え上がった。最後に住民の降伏を願い出たカルタゴに対し、スキピオが命の保証を認めると、餓死寸前の状態で5万人が現れたという。ローマは強力なカルタゴが復活しないようにと呪詛をかけた上、廃墟の上から塩をまいた(第3次ポエニ戦争)。 |
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●ローマの時代 |
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