Carthage/Puniques(ポエニの時代)

Musee de Carthage
カルタゴ博物館
アフリカ宣教会の神学校を利用した博物館。中庭にモザイクが展示(置いてあるだけかも)してあり、中は時代別にカルタゴの出土品が展示されている。構造がわかりやすいトフェの復元模型もある。写真はカルタゴの復元想像図。軍港と商港の様子が描かれている。
Acropole de Byrsa
ビュルサの丘
カルタゴ博物館を含む丘。ご覧のようにカルタゴから海の向こうまでを一望できる。だからこそ、カルタゴ時代には神殿をはじめ住居が集まった中心地となっていた。またローマ時代においても、バシリカやフォーラムが建てられていた。ローマの神殿跡と思われる中心に、今は寂しげに記念碑が建っている。
景色がよいのでのんびりしたいところだが、非常に日差しが強くて油断ならない。


ポエニ時代の住居
BC2世紀ごろ、ポエニ時代の後期に造られ、第3次ポエニ戦争で破壊されたフェニキア人の街。10日間以上燃え上がり、廃墟となった街を鍬でならして、塩をまいたという場所がここ。雨水をためる水槽、水路、庭のモザイクなどが残っている。数階建ての住居が道路沿いに建っていたと言われている。シンプルなモザイクが残っている住居もある。それらの住居の上に積み重なるように、ローマの巨大な建造物が造られたようすがわかる。
この一帯はカルタゴ博物館の敷地内で、近道して丘を下ろうと思っても、いったんは博物館の門間で戻らなければ出られない。


Ports Puniques
ポエニの軍港
海洋国家であったカルタゴは、ポエニ風の軍港と商港を造り、地中海貿易で富をあげた。BC4〜3世紀に造られ、中央のシェルターにはドックが設けられていた(写真上)。
すぐ隣に商業用の港があり、どちらもポエニ風に堤を築いて造られたもの。現在は丸い池と細長い池が隣り合わせにあるお散歩コースで、のんびりと釣り糸をたれる人、ピクニックをする人など、のどかな雰囲気。


Tophet
トフェ
タニト神(写真左)とバール・ハモンがまつられた聖域。カルタゴには子供を生け贄にしたという伝承がある。が、それはギリシャとローマの創作で、実際のところは謎。トフェは、乳児を生け贄にしたといわれるエルサレム近郊の谷の名前。ここから子供の墓が多数発掘されたことで、そう呼ばれている。
聖域といわれている小さな洞窟は、まず蠅の大群を追うことから始まる。トフェの入り口で待ちかまえていて、ほっといてくれ!と言っても言ってもつきまとうガイドが、いきなりシャツを脱ぎ、それを振り回しながら洞窟に入る。墓のせいなのか、ここだけ湿度が高いのか、とにかく1歩入れば数万(大げさ)という蠅がびんびん騒ぎ立て、聖域をじっくり見ることなど、ましてや写真を撮ることなどできなかった。が、しっかりチップは取られた。

Quartier Magon
マゴン・クォーター
ポエニ時代前期、BC5世紀ごろのポエニの街。当時の王の名前マゴからその名が付いた。海に面した壁と塔の跡などが発掘されている。