第2回 トレモロについて




 敢えていうことになりますが、トレモロはマンドリンの最大の魅力の一つであると言えます。
 誰でもよく知っているこのテクニックを敢えて定義するならば、同じ音を細かく反復することによって持続音的な効果を得る技法ということになります。これはマンドリンならではの非常に特徴的な奏法といえます。
 しかし、最初のうちはみんな一生懸命練習するのですが、ある程度なめらかに弾けるようになってくると、ただ右手を同じように動かしているだけで簡単なことをしてるような気になります。実際に、ゆったりとした単旋律をトレモロで弾くのは、芸のない感じで気がひけることもあり、要するに演奏者の立場としていえば、トレモロのゆったりとした部分は、華やかな技術の見せ場ではないわけです。しかし複雑な曲の間に、シンプルなトレモロの曲をぽつりと入れると非常に効果的な場合があります。

 ところで18世紀的にいえば、トレモロは長い音符を演奏するときに間を持たせるための手法の一つで、ボルトラッチなどに言わせると、トリルや即興的な変奏の替わりに使う初心者的な手法と言うことになっています。もっとも近現代的な意味でのトレモロはニュアンスが違い、バイオリンやフルートなどの奏でる持続音と同様に聴くことが暗黙の約束となっています。
 しかし、実際には持続していない反復音を持続音として認識するのは非常に人間的な感覚に依存したものであり、従ってその暗黙の約束を無効とする人たちも存在します。それももっともなことだと思いますが、私に言わせれば、目の細かい布も目の粗い布も一枚の布には違いないだろうということで、うまく演奏されたトレモロは十分美しく音楽的であると思います。美しいトレモロが聴く人の心を奪うことはしばしばあると思うのですが、弾く人にしてみれば、先に述べたように少し弾けるようになってくると、軽く考えてしまうことが多いように思います。

 従って、トレモロだけのゆったりした曲は、ときに人を油断させます。「なんだ、簡単に弾けるじゃないか」と思ってしまうのですが、実際はそういうシンプルなもので人を感動させたり、独自性を発揮することはなかなか難しいのです。
 一般に人は自分が難しいと思うことに取り組んでいる時に充実感を感じやすいものですが、自分が初見でも弾けそうな簡単な曲に向かい合った時こそが肝心です。これはもう単に技術の問題ではありません。音楽性と言っても良いかもしれませんが、要するにどれだけ深く大きな世界を見ることができるかということです。
 時々、大した技術がいらないということで完璧になめてかかったのが分かるような演奏に触れることがあります。そういう心無い演奏に触れると本当に悲しくなってしまいます。むしろそういう簡単なものほどごまかしが利かないのだ、自分の音楽的な素養や人間的な深さが問われるのだということを十分認識して、謙虚に音楽に取り組んで欲しいと思います。

 具体的な注意点をいえば、トレモロで演奏する場合、一つの音符で書かれた音は原則的に一つの音としての輪郭を与える必要があります。つまり、どう立ち上がって何処でピークを迎え、どう衰退してどう終わるのかということをイメージして表現することが大事です。意味もなく真ん中が膨らむ演奏はよく耳にしますが、最も避けたいことの一つです。
 経過的な音にはあまり神経質になる必要はありませんが、フレーズの終わりの音、つまり終わり方には特に神経を払わなければなりません。常にぶっつり切れていては雰囲気も何もありません。柔らかく自然に終わる場合は若干のディミヌエンドを伴い、右手の反復運動が終わった後すぐに左手を離したりせず、いわば音の尻尾が残るようにします。



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