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99.11.16

固定的に考える私

 日本語は語順が比較的自由な言語だといわれますが、まったく規則がないわけではありません。野球中継を聞いていたら、語順の規則から外れていると思われるような不自然な発言がありました。

非常にさわやかなこの方も監督さんですよねえ。(NHK 1999.08.14 17:40ごろ)

 これは、高校野球の桐生第一高校と仙台育英高校の対戦で、仙台育英の監督を評してアナウンサーが語ったせりふです。
 どこが不自然かというと、この語順では「非常にさわやかなこの方」が「監督さん」なのだ、という意味に取られてしまいます。しかしほんとうは、アナウンサーは、「この方は非常にさわやかな監督さんです」ということを言いたかったのです。
 では、読点(「、」)を打っていったん区切ればいいかというと、そういう問題でもない。

非常にさわやかな、この方も監督さんですよねえ。

 やっぱりおかしい。点で区切ることによって、かえって「非常にさわやかな、」の係る先が分からなくなっている感じ。
 「非常にさわやかな」は「監督さん」だけに係る連体修飾語ですが、「この方も」は連体修飾語ではなく、「非常にさわやかな監督さんです」全体の題目となることばです。題目は、連体修飾語(「非常にさわやかな」)と被修飾語(「監督さん」)の間に割って入ることはできないという規則が存在する。
 ところが、放送を聞いていると、こういう言い方をしばしば聞くのですね。特に、国会中継などで聞く。小渕首相が次のように言っていました。

(野党との協力を考えているかとの質問に対し)まあ、あらためて固定的にものを考える私は必要はないかと思います。姿としては二党による連立政権ではありますが、従って与党という立場になりますが、そうなりますと野党という立場の各政党がございます。(NHK「衆議院予算委員会総括質疑」1999.01.25)

 小渕首相にかぎらず、国会議員はなぜか「私は」を文の中に入れるのが好きで、しばしば、へんなところに「私は」が顔を出します。
 この例もそうで、「固定的にものを考える必要」というのはひとかたまりでなければならないはずなのに、そこに「私は」が割って入り、「固定的にものを考える私は」となっている。小渕さん自身がものを固定的に考えていることになってしまう。
 つまり、先の例と同じように、「私は」という題目が、連体修飾語(「固定的にものを考える」)と被修飾語(「必要」)との間に入っているからおかしくなるのです。
 ただ、不思議なことには、これでも耳で聞けば理解できてしまうのですね。おかしいと思うのは文章語としてのことであって、じつは、口頭語では、題目の「〜は」や「〜も」は連体修飾語・被修飾語の間に割って入ることさえできるほどの自由度をもっているのかもしれない、という気もします。


追記 尾崎紅葉「金色夜叉」に、この手の語法がありました。

「それそれさう云ふ無考な、訳の解らん人に僕は与することは出来んと謂ふんじや。一体さうした貴方は了簡ぢやからして、始に間をも棄てたんじや。不埒です!(「続金色夜叉」新潮文庫 p.300)

もちろん「貴方はさうした了簡ぢやからして」の意。すると、書かれた文章としても、連体修飾語・被修飾語の間に主格が割って入ることは昔からあったようです。(1999.11.23)

関連文章=「僕は……僕は

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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