HOME主人敬白応接間ことばイラスト秘密部屋記帳所

「ひとりごと」目次へ
前へ次へ
きょうのことばメモへ三省堂国語辞典
email:
99.11.11

ぼっけえ、きょうてえ

 岩井志麻子さんの第6回日本ホラー小説大賞受賞作『ぼっけえ、きょうてえ』(角川書店、1999.10)を読みました。
 明治半ばの岡山の女郎屋で、女が客に聞かせるおそろしい寝物語。作者の故郷の岡山弁を駆使して、民間説話のような雰囲気を出しています。題名の「ぼっけえ、きょうてえ」は、見返しに書いてあるように「岡山地方の方言で「とても、怖い」の意」。実は、僕はこの題名にひかれて本を買いました。
 「きょうてえ」は、「きょうとい」が訛ったもので、もともとは「けうとい(気疎い)」。古典では「不愉快だ、うとましい」という意味で使われますが、現在、多くの方言では「おそろしい、気味が悪い」というときに用いられることば。
 一方、「ぼっけえ」は、形容詞の「ぼっこい」が訛ったものですが、方言では多く程度を表す修飾語として使われるようです。
 この作品中、「ぼっけえ」は、何度か出てきていて、次のように使われています。

〔小桃という女郎は〕あれはちいっと顔は可愛いかしらんけぇど、ぼっけえ阿呆じゃったけん、他の妓みなに笑い者にされとった。
 妾も……ぼっけえ嫌いじゃったわ。ほんま、大嫌いじゃった。(p.31)

梁から吊されて松葉燃やした煙で燻される、あれはぼっけえ苦しいもんじゃ。死んで楽になりたいと本気で願うで。(p.32)

「うちの家はほんまはぼっけえ分限者なんじゃ。世が世ならお姫さんなんじゃ」が口癖で。(p.33)

「女郎がなんで極楽に行けるんじゃ。なんもええことしとらんが。地獄に決まっとる」と誰かが怒ったら、ぼっけえ怯えとった。(p.35)

 もともと地獄にぼっけえ近い所に生まれ育ったんじゃしな。(p.38)

 これらの例を見ると、「ぼっけえ」は、「苦しい」「怯える」「嫌いじゃ」などの用言(動詞・形容詞など)も修飾するし、「分限者」のような名詞も修飾していることが分かります。いわば、一つの形で、副詞と連体詞を兼ねている。
 これはちょうど、「すごくおいしい」「すごい人」と使い分けずに、「すごいおいしい」「すごい人」と、両方とも「すごい」で兼用してしまうのと似ています。このことについては、何度も書きました。「すごい・えらい・きつい・おそろしい・たいした」などをご参照くだされば幸い。
 また、「きょうてえ」も、岡山市ではやはり程度副詞的にも使われ、「きょーてー厚かましい奴」と言えるようです(『日本方言大辞典』)。つまり、「きょうとい厚かましい」と言っているわけですから、「ぼっけえ」と同じく、連体形で連用的なはたらきをしていることになります。
 このように、程度をあらわす語の連用形・連体形が同一に帰する現象については、僕は「陳述がうんぬん」と解釈しました。しかし、やはりどうも理屈っぽすぎるようです。
 もっと単純に考えることもできます。程度をあらわすとき、連体修飾と連用修飾を区別するのがメンドクサくなった、その結果、同じ語形に統一し、その際に、よく使われるほうの形が採用された、といったようなところが正解かもしれません。

*   *   *

のの」について悩んでいる編集者が居られることを知りました。金原巴緋朗(きんぱらぱぴろう)著『日本語道場』(五月書房、1999.09)の中で触れられています。国語の問題集を作成していて、

「の」といえば、一つだけ出題しなかった例がある。それは、
「わたしのを使って」
 というときの「の」だ。連体修飾をあらわす「の」と、「もの」とおきかえられる「の」だったら、ほんとうは、
「わたしののを使って」
 というべきところではないかと思うのだ。文法の学者がどのように解釈しているのか知らないけれど、これはきっと右の例が、
「わたしんのを使って」
 と進化してきたのではないかと思っていたのだが、自信がないので出題できなかった。
 これについてはいまだに僕のなかでは謎のままだ。(p.33-34)

とあります。日本語史の上では「私のを」は、「わたしのものを」の「もの」が省略されたと考えられます。ただ、金原氏の出身地静岡県では「わたしのを」の形を使うかもしれません(前の「の」は格助詞、後の「の」は準体助詞)。また、「ンノ」の形も、大野小百合氏の論文によれば現代の方言にはあるようです。

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

「ひとりごと」目次へ
前へ次へ
きょうのことばメモへ ご感想をお聞かせいただければありがたく存じます。
email:

Copyright(C) Yeemar 1999. All rights reserved.