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98.10.08

おそろしい光る

 「すごくうまい」という代わりに「すごいうまい」という言い方について、以前に書きました。
 初めて聞いたときは、違和感がありましたが、関西で「えらい忙しいですなあ」(「えらく忙しい」でなく)といった言い方もあり、それと関係があるようにも思われました。「えらい」の影響をうけて、「すごいうまい」という言い方ができたという推測は不可能ではないでしょう。
 しかし、東京でもこのような言い方は、昔からあったようです。その例をいくつか。一つは、言文一致体のさきがけとしてたびたび引用する二葉亭四迷「浮雲」です。

〔女房のお政は〕瑕疵(きず)と言つてはただ大酒飲みで、浮気で、しかも針を持つ事がキツイ嫌いといふばかり、(「浮雲」第一編・初版 1887 p.22=文字遣い改める)

 「きつい嫌い」は、「ひどく嫌い」ということでしょうから、ふつうなら「きつく嫌い」とでも言いそうなところ。別のところでは「きついお見限りですね」とも出ています。
 「嫌い」「お見限り」を名詞と考えれば、「きつい刑罰」というのと同じで、べつに変わった言い方でもないのですが、形容動詞相当と考えると、やはりイレギュラーでしょう。江戸時代でも山東京伝の洒落本「廓大帳」(1789)に「きつい情のねえこったの」とあります。
 もう一つは尾崎紅葉の「金色夜叉」の冒頭。資産家の富山が指にダイアモンドをはめてカルタ会の席に登場したところで、出席者が口々に言います。

〔前略〕
「見給へ、金剛石」
「あら、まあ金剛石??」
「可感(すばらし)い金剛石」
可恐(おそろし)い光るのね、金剛石」
「三百円の金剛石」
 瞬く間に三十余人は相呼び相応じて紳士の富を謳へり。(新潮文庫 p.15)

 文脈からいって、「恐ろしい。光るのね」の誤植ではないでしょう。「おそろしく光るのね」の意味で言っていると思います。「福翁自伝」にも「其時は恐ろしい暑い時節で」とあります。これも文脈上「恐ろしい時節、暑い時節」ということではなく「おそろしく暑い」の意味だと思われます。明治時代には少なからず使われていたのでしょう。東京で「すごいうまい」が生まれる素地は、もともと東京にあったと考えたくなってきます。
 こういう言い方がなされる理由について、以前に以下のように書きました。「すごくは連用形で、下へ続いていきますから、意味の重心が下に移ってしまいます。すごいはそこで終わることもできますから、強い感じを与える(陳述の役割を担わすことができる?)のでしょう」と。
 この「陳述の役割」について補足しますと、こういうことです。「ばかなお父ちゃん。」と言うよりも、「ばかだね。お父ちゃんは。」というほうがキツい印象を与える。また、「お父ちゃんのばか。」というより、「お父ちゃんはばかだ。」というほうがマジで言っているように聞こえる。この「〜だ。」とか、「まあ、すごい。」の「〜い。」というところ(正確にはそのさらに後ろ)が、話し手の態度を表す、すなわち陳述を担うと考えていいと思いますが、それと同じ形を「すごいうまい」「きつい嫌い」「おそろしい光る」のように修飾部にもってくることで、「本当にすごいんだよ。」「じつにきついんだ。」「まったくおそろしいわ。」といった気分を出しているのではないかと思うのです。
〔追記、この考えは後に改め、もっと簡単に考えるようにしました。「ぼっけえ、きょうてえ」の末尾参照〕


関連文章=「大したたまげた」「ぼっけえ、きょうてえ」「「膝栗毛」程度を表すことば

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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