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98.10.23

「綴方教室」の文体

 1937(昭和12)年、葛飾区に住む尋常小学校4年の少女が書いた作文集『綴方教室』が刊行されました。少女は豊田正子といい、貧しいブリキ職人の娘です。
 翌年には、山本嘉次郎演出・黒澤明製作主任で映画にもなりました。僕も見ましたが、きわめて忠実な映画化です。娘の高峰秀子のけなげな演技が印象に残りました。
 もっとも、実際に原作の文章を目でたどると、にわとりを絞める話とか、野犬捕獲の話とか、神経に異常を来したおばさんの話とか、暗い印象を与えるものが多く、僕は好きになれません。ただ、当時の東京の北東部〜埼玉で使われていたらしいことばをリアルに描き出していて、貴重といえます。たとえば、父親が自転車を盗まれて言い訳をするところ。今の小学4年ならこうは書かないでしょう。

〔前略〕父ちゃんは、「おれがな、平田さんの家へいったら、あいにくと、だんながお湯へいっているすなんだよ。あのだんなと来たら、とってもお湯はなげえんだから。で、おらぁ、おうせつしつへいって、ストーヴであたりながら、おくさんとくだらねえせけん話をしてたんだ。そうして、一時間ばかりたつと、だんながかえって来たからよ、かんじょうをもらってさ。げんかんの戸をあけて見たら、おらァ、ぎくっときたな。もう、自転車がねえんだ」といった。(岩波文庫『新編 綴方教室』p.120-121)

 豊田正子の文章には、「です・ます」を使う丁寧体と、それを使わない普通体が混在しています。これは指導の大木顕一郎の助言によるものらしい。大木は「私は作者を呼んでであります。でありました。――と、そうばかり書かないで――であった。である。――というようなところを交えて書いてごらん」と、そのような註文をしている。」と解説を付しています(文庫 p.86)
 しかし、この指導はどうでしょうね。理由もなく丁寧体と普通体を混ぜると、文章が稚拙な印象を与えるのです。事実、正子の綴り方で気になるところはそこです。丁寧体の中に普通体を混ぜるのは、独白に近い雰囲気を出すためとか、叙景に臨場感を与えるためであって、単にごちゃ混ぜにすればいいというものではないでしょう。
 もっとも目立つのは逆説を示す「が」です。

お父さんが、箱の中をほうきでがら\/やって、「さあ、わらができたから、うさぎ入れな」といったから、工藤さんと二人で、ほごしたわらを平べったくして、その上にうさぎを入れてやりました。うさぎは、ちょっとの間、きょろ\/していた、やがて、小さな木と木の間からくびをだしました。(文庫 p.54)

父ちゃんが、〔略〕「正子、大木先生がきたよ」といいました。私は、大木先生がきたときいて、何んだかうれしくなるように思った、なぜそんなこと書いたんだと、大木先生に、しかられると思うと、こわくなりました。(文庫 p.71)

四日すぎてから、いくども、いくどもいった、おなじことばかり言っていて、〔勘定を〕なか\/くれないそうでした。そのかんじょうは、一月一ぱいたってもまだくれないのです。(文庫 p.134)

といった具合。こういう「が」が、数カ所出てきます。
 丁寧体で書こうとすれば、「いましたが」「思いましたが」「いきましたが」となるはず。また、今の小学生なら「いたけど」「思ったけど」と書くのが自然じゃないでしょうか。
 ちょっと、今の感覚ともずれているようです。当時はこれで普通だったのかな。それとも、方言が混じっているのかしら。


関連文章丁寧体の中の「が」

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