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98.11.03

果てしのない

 堀辰雄『風立ちぬ』を読んでいて、「果てしのないような」という言い方が出てくるのに気がつきました。

 私達の乗った汽車が、何度となく山を攀(よ)じのぼったり、深い渓谷に沿って走ったり、又それから急に打ち展(ひら)けた葡萄畑の多い台地を長いことかかって横切ったりしたのち、漸(や)っと山岳地帯へと果てしのないような、執拗な登攀をつづけ出した頃には、(『風立ちぬ・美しい村』新潮文庫 p.96)

 果てしのないような山麓をすっかり黄ばませながら傾いている落葉松(からまつ)林の縁を、夕方、私がいつものように足早に帰って来ると、(同 p.134)

 「別に違和感ないじゃないか」と思った人は正常な言語感覚の持ち主です。テレビでも、

そこには果てしのない未知の世界が広がっているのです。(NHKスペシャル「アマゾンの果てまでも」1997.09.15)

のように言っています。
 しかし、古典をみると、「果てしなし」に「の」の入るような言い方は出てこないんですね。
 古代から、「果てなし」という言い方はありました。それに強意の「し・しも」を入れると「果てしなし・果てしもなし」です。「しも」は、「必ずしも」「さしもの彼でも」などという「しも」と同じです。
 「必ずしも良くない」を「必ずしの良くない」と言わないのと同じで、こういうところに「の」だの「が」だのは入らなかった。
 ところが、中世の「日葡辞書」には「はてし(Fatexi)」という形が載っていて、このころまでには、すでに「果てし」という形が名詞のように使われていたらしいです。
 明治時代の小説では、「際涯(はてし)も知らぬ大海を」(幸田露伴「いさなとり」)とか、または

正にこれ、垠(はてし)も知らぬ失恋の沙漠は、濛々たる眼前に、麗き一望のミレエジは清絶の光を放ちて、甚だ饒に、甚だ明に浮びたりと謂はざらん哉。(『金色夜叉』新潮文庫 p.456)

というように、「はてし」に漢字を宛てており、まったく名詞と考えていたのが分かります。
 また、現代では、次のように「果てしがございませぬ」といった例もあります。

御遺骸(ごいがい)はすでにお引取りいたしました、あの立派なお人柄、さだめしお歎(なげ)きの種とは存じますが、それでは果てしがございませぬ(シェイクスピア・福田恆存訳『マクベス』新潮文庫 p.117)

 こうなると、もう元の「果てなし」の面影はほとんど薄れていますね。

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