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98.08.27

「吾輩は猫である」再読

 数日前から漱石の『吾輩は猫である』を読んでいて、今日読了したところです。
 最初に読んだのが中学1年か2年のときで、その後も部分的に読み返してはいたものの、通しで読んだのはこれで2度目。だいぶブランクがあります。
 昔読んだときの感想は、「面白いけれど、筋がなくてよく分からん小説だなあ」というようなものだったと思います。一般的には『坊っちゃん』のほうが人気があるようだけれど、たぶん『猫』の「筋のなさ」と「ことばの難しさ」が、やや苦戦の原因になっているんじゃないでしょうか。
 でも、今回は、その「筋のなさ」と「ことばの難しさ」を素直に楽しんで読むことができました。いやぁ、やっぱり名作ですよ。面白い。
 前は、漱石はエッセイふうにだらだらと書き進めているんだろう、ぐらいに考えていました。しかし、こんどは「筋がないんじゃない、筋を単純に進ませず、読者をじらしているんだ」と感じました。
 唯一の筋らしい筋というのが寒月君の恋愛事件なのですが、そこに泥棒事件があったり、中学生グループの嫌がらせ事件があったりして、読者は「ところで寒月君はどうなったのかね」と不安になりつつ、それらの挿話を読む。読んでみると、じつは本筋に関係のある挿話もあれば、関係ない挿話もあって、「やられた」と思ったりしながら読む。
 しまいには、当の寒月君が、ヴァイオリンの稽古を始めた話を延々とやりだすから、一体これはただの無駄話なのか、何かの伏線なのかと思ってどきどきしながら読む。漱石も、腕によりをかけて読者をじらします。その直後に意外な形で恋愛事件の結末が示され、物語自体も終わるという仕掛けです。周到に計算して書かなければこうはいかないでしょう。
 また、「ことばの難しさ」は、つまり「回りくどさ」なんですね。筋の回りくどさと同じで、これもそのつもりで読めば、やけにおかしい。たとえば「この鏡は主人が風呂場から持ってきた」と単純に書けばいいところを

風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病に罹ったのか又は主人が風呂場から持って来たに相違ない。(新潮文庫 p.305)

と、くどくど書いていて笑ってしまう。いくら猫とはいえ、鏡が夢遊病にかかるわけはないくらい了解しているだろう。
 再読といえば、「文藝春秋」1998.08で「二十世紀図書館」というアンケートをしていて、各界の人の愛読書を集計しているのですが(ここでは『猫』は『坊っちゃん』を押さえて堂々3位)、長尾龍一・東大教授が次のようなコメントを寄せています。

「中学一年で読み、以後五年に一度くらいの間隔で読み直している。何度読んでも発見がある。最近では『すべての人間が主体的となり、誰もが自殺するようになる』という迷亭演説など」(p.318)

 なるほど。末尾近くの迷亭君の演説では、ほかに「この先個人主義が発達すると離婚も増えるだろう」ということも言っていて、ずいぶん今日的です。僕が今回感心したのは、「なぜいじめが起こるか」について猫が考察している箇所(新潮文庫 p.262)です。この先も何度か再読して、いろいろ発見をしてみたいものです。

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