98.08.26
日本独特の「ブルース」
「ブルース」とはどういう音楽でしょう。
CD-ROM版の『世界大百科事典』で引いてみると、「アメリカ黒人の伝統的大衆音楽の形式」という説明がまずあって、後ろには「標準的なブルースの定型は、A A B の3行から成る詩を12小節に収め、各行ごとに後半でギターが歌の間に割り込む形になっている」(中村とうよう執筆)と説明されています。
学校で習う音楽は、起承転結の4行からなる曲が多いのですが(たとえば「蝶々」や「浜辺の歌」はA A' B A'形式)、A A B形式というのは、簡単な例ではチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」がそうでしょう。
Go! Go! Go! Johnny! Go! Go! Go! Johnny! ……A
Go! Go! Go! Johnny! Go! Go! Go! Johnny! ……A
Go! Go! Go! Johnny B. Goode!……B
もっとも、知人の音楽家に聞いたところ、これは「ロックンロールであって、ブルースそのものではない。ただしブルース形式である」ということでした。
日本の淡谷のり子さんなんかが歌っているような「ブルース」は、べつに12小節から構成されているわけではありません。たとえば日本のブルースの元祖といわれる「別れのブルース」(1937年=昭和12年)はたぶん8小節ずつのまとまり3つからなる計24小節ではないだろうか。
戦時中の1943年に出た『明解国語辞典』では、ブルースを「憂鬱な感じのフォックス-トロット」としています。フォックス・トロットは「二分の二、又は四分の四拍子の通俗な舞曲」ということなので、冒頭の説とはまったく違うようだ。むしろ、淡谷のり子さんのブルースのほうに近いです。今の辞書の説明もだいたいそんなところで、戦前から変わっていません。
日本のブルースは、「ブルース」とはいうけれど、本来のブルースでない。どうしてこういうことになったのか?
瀬川昌久氏は、作曲家・服部良一がはじめて「別れのブルース」を書くにいたった事情を次のように書いています。
服部が、日本物ブルースを書いた動機は、帝都ダンスホールで、中沢寿士のバンドが、彼がアレンジしたものをやっていたときに始まる。きいていると、「セントルイス・ブルース」をやると皆踊り出すが、日本の曲をやると、踊りにくそうだ。ダンス・マニアに、あちらのブルースは魅力がある、と判ったので、日本でブルースを書いていけないわけはない、日本のブルースを書こう、と決心した。ブルースの感じを出すためには、当時の新宿では駄目なので、バンドメンが皆行く本牧に行って書いたのが昭和十二年七月新譜の「別れのブルース」。(コロムビアレコード『オリジナル原盤による 日本のジャズ・ソング 戦前編』1976.10 解説 p.22)
服部良一は「セント・ルイス・ブルース」などを参考にしたようです。では、当時、日本にはどういうブルースがあったのか。柘植書房『昭和流行歌総覧(戦前・戦中編)』によって調べてみると、出現順に次のようになります。
1931.02「ユウウツ(セント・ルイス・ブルース)」打越昇 ビクター
1931.12「ブルース東京」毛利幸尚 オリエント
1933.04「ブルウ・日本」キング・ヴァイオレット合唱団 キング
1933.11「ブルース嬉しい頃」渡辺光子 ポリドール
1934.05「バイ・バイ・ブルース」ミッヂ・ウイリアムス コロムビア
1934.10「秋のブルース」春野八重子 コロムビア
1935.01「スイート・ホーム・ブルース」ヘレン雪子本田 コロムビア
1935.02「セントルイス・ブルース」ミッヂ・ウイリアムス コロムビア
1935.03「セントルイスブルース」ディック・ミネ テイチク
1935.05「セント・ルイズ・ブルーズ」川畑文子 リーガル
1935.05「バイバイブルース」川畑文子 テイチク
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1935.12「セント・ルイス・ブルース」テッド木村 リーガル
1936 「恋のブルース」渡辺光子 日東
1936.01「セントルイスブルース」デック・ミネ、レクター テイチク
1936.06「想い出のブルース」千早淑子 テイチク
1936.07「セント・ルイス・ブルース」宗近明 ポリドール
1936.11「秋のブルース」ディック・ミネ テイチク
1937.02「恋のブルース」シキ皓一 太平
1937.02「上海ブルース」柳原歌子 太平
1937.05「浮名ブルース」浅草さくら子 ミリオン
1937.07「別れのブルース」淡谷のり子 コロムビア
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同書に初めて見えるのが堀内敬三訳詞・W.C.Handy作曲の「ユウウツ(セント・ルイス・ブルース)」で、以後、この曲は何度もレコード化されます。上記ではほかに「バイ・バイ・ブルース」などが米国の曲のようですが、「セント・ルイス・ブルース」が断トツの人気です。
僕は、天才的女性ボーカリストのミッヂ・ウイリアムスが1934年に来日して吹き込んだ「セントルイス・ブルース」を聴いてみました。
これは疑いもなく12小節「A A B」形式を単位とした、ちゃんとしたブルースです。ただ、テンポはゆっくりで、奥山靉の訳詞も「さびしき日の落ちるころ 悲しき月の昇るころ……」と、まさにブルー(憂鬱)なものです。心なしか「別れのブルース」にも似ている。
おそらく、当時の日本人にとって、「セント・ルイス・ブルース」イコール「ブルース」だったんじゃないでしょうか。そこで、憂鬱な4拍子のバラードは、みんな「ブルース」ということになり、淡谷のり子に代表される日本的ブルースができあがったのかもしれない。
なお、「セント・ルイス・ブルース」は、グレン・ミラーが軽快に編曲した「セント・ルイス・ブルース・マーチ」が有名ですが、これで分かるように、ブルースというものは必ずしも憂鬱そうに演奏しなくてもいいと言えそうです。
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