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03.02.16

彼等とは

 「悪文」に関する話の3回目です。あまり「文章が読みとれない」という話ばかりを続けると、僕がいかに読解力がないかということが露呈してしまいますが、実際、読解力がないのでしょう。ご覧の方には、「これはこうだ」とお教えいただければ幸いです。「悪文」の話題にかぎらずですが。

 石原慎太郎氏の小説「太陽の季節」は、たいへんな問題作ではありますが、どうにも分かりにくい表現が多い作品でもあります。いうまでもなく、この小説は、乱暴狼藉を尽くす若者達の生態を描いたものですが、僕がいちばん分からなかったのは、大人達によって作られた世界を、若者達がどうしようとしているのかについて書いているくだりでした。
 若者が乱暴なふるまいをするのは、「決して、若気の至りなどと言うものではない」と作者は述べます。人々(大人達)はそういった行為を若いうちだけのことだと「見て見ぬふりをする」けれど、若者の行為はそんな簡単なものではないと作者は考えているようです。
 やや長いですが、以下に原文を引用します。「彼等」とか「それ」とかいうことばに特に注意してお読みください。

 女、取引き、喧嘩、恐喝と(1)彼等の悪徳が追求される題材は限りが無い。それは決して、若気の至りなどと言うものではないのだ。恐ろしく綿密に企まれた巧妙極まりない罠があった。人々はこれに、唯若年と言う曖昧なヴェールをかぶせ見て見ぬふりをするのだ。
 もしも大人達が、自分等の造った世界を壊されまいと後生大事にするなら、(2)彼等が恐れなくてはならぬのは共産党なんぞでは決してない筈だ。が実際は(ア)それを恐れてはならない(3)彼等はこの乾いた地盤の上に、知らずと自身の手で新しい情操とモラルを生み、そしてその新しきものの内、更に新しい人間が育って行くのではないか。沙漠に渇きながらも誇らかにサボテンの花が咲くように、この乾いた地盤に咲いた花達は、己れの土壌を乾いたと思わぬだけに悲劇的であった。
 人々が(4)彼等を非難する土台となす大人達のモラルこそ、実は(5)彼等が激しく嫌悪し、無意識に壊そうとしているものなのだ。(6)彼等は徳と言うものの味気なさと退屈さをいやと言う程知っている。大人達が拡げたと思った世界は、実際には逆に狭められているのだ。(7)彼等はもっと開けっ拡げた生々しい世界を要求する。一体、人間の生のままの感情を、いちいち物に見たてて測るやり方を誰が最初にやり出したのだ。(石原慎太郎『太陽の季節』新潮文庫 p.30-31)

 石原慎太郎氏が大学生のときに書いた情熱のほとばしる作品ですから、多少文章が乱れているのは仕方がないかもしれません。
 この文章を読んだある日本語学の教授は、上の(ア)「それを恐れてはならない」に疑問を呈されました。「彼等(大人達)が恐れなくてはならぬ」のは共産党ではなく若者達だ、と作者は言っている。ところが、その直後に「それ(若者達)を恐れてはならない」と正反対のことを書いてあるのはどういうわけだ? 「大人達は若者達を恐れなくてはならぬ。しかし若者達を恐れてはならない」とは論理矛盾ではないか?
 これはまあ、書き方が悪いのであって、本当は
 「大人達が、もし自分等の造った世界を壊されまいとするなら、それを壊そうとする若者達をもっと恐れる必要がある。しかし、そもそも大人達が自分等の世界を壊されまいとする姿勢は誤りであって、したがって、それを壊す若者達を恐れる必要もない」
 ということでしょう。作者も先に「〜するなら」(仮定)、後に「が実際は」(実際)と対比的な書き方をしているので、よく読めば分かるともいえます。
 ただ、(ア)の「それ」の指す名詞がこの段落にはなく、あえて指す名詞を探すなら(1)の「彼等」(若者達のこと)にまで戻らなくてはならないため、誤解を招きそうです。ちょっと読むと、(ア)の「それ」は「共産党」を指すのかと思ってしまいそうです。

 僕が迷ったのは、むしろ頻出する「彼等」がだれを指しているのか、ということでした。(1)の「彼等」が「若者達」であることは問題ないでしょう。(2)の「彼等」が「大人達」であることも異論はないでしょう。しかし(3)の「彼等」は?
 人称代名詞が使われる場合、ふつうは、それが指す人物は直前にあります。また、1種類の人称代名詞が続けて出てくるときには、それが指す人物も同一です。そうしなければ、わけが分からなくなります。
 「太郎は次郎に借金を申し込んだ。彼は彼を嫌っていたし、彼を殴ったことさえあるが、彼のほかに頼る人がいなかった」
 これではいくつも出てくる「彼」がどちらを指すのかさっぱり分かりません。
 上記の(3)の「彼等」は、(2)の「彼等」に続けて出てきます。とすれば、連続する1種類の人称代名詞は同一人物を指すという上記の原則にしたがえば、(3)も「大人達」であることになります。
 実際、そのようにして読めないことはありません。
 「大人達は、(自分等の世界を守ろうとしているが、無意識的には)知らずと自身の手で次世代の荒々しい情操とモラルを生み、結果的に、新しい若者が育って行くのではないか」
 というふうに読んで通らないことはありません。つまり、「大人は無意識に自分の世界を壊したがっているのだ、その結果、乱暴な若者を生んだのだ」というわけです。この場合、(5)の「彼等」も「大人達」ということになります。
 が実際は(これは石原氏の真似)、そうではなく、(3)から(7)までの「彼等」は、すべて「若者達」と考えるのが至当でしょう。「若者達は、乱暴を繰り返しながら、自分では気づかないうちに新しい情操とモラルを生み、これまでと違った人間を創出している」ということでしょう。これが最も受け入れやすい解釈です。

 ここで引用した文章が読みにくくなっている最大の原因は、(2)と(3)の「彼等」が指す人物が、断りもなく転換していることでしょう。後ろのほうを熟読すれば分かるともいえますし、石原氏ならば「これが読みとれないのは文化的レベルの低い連中」ぐらいのことは言いそうです。しかし、やはりこれは誤解を招きやすい文章に変わりないと思います。


関連文章=「女子中学生の作文」・「そんな返答

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