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03.02.13 夢を見る ![]()
小林信彦氏の近著『名人 志ん生、そして志ん朝』(朝日選書)に載っていた古今亭志ん生の川柳に思わず笑いました。
気前よく金を遣{つか}った夢を見る
いったい、どういう状況で作った句なのでしょう。何ともいえぬおかしさがあります。 昨夜〔ゆうべ〕は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思つてそこらに抛つて置たのを誰かゞ立派な額にして欄間に懸けて呉れた夢を見た。(『漱石全集 第一巻』岩波書店 p.18)
とあります。 剣太刀(つるぎたち)身に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ何のしるしそも君に逢はむ為(604番) となっています。「いめ」は「ゆめ」の古形。「太刀を身につけた夢を見ました。一体何の前兆でしょう。あなたにお逢いするしるしです」(『日本古典文学大系』)ということですが、ここでもやはり、「……たる夢を見つ」ではなく、「……と夢に見つ」となっています。 「源氏物語」でも、たとえば 御夢にも、ただ同じさまなる物のみ来つつ、まつはしきこゆと見たまふ。(明石巻)
「(光源氏が)眠っている時にも、以前の鬼神どもが現れて自分につきまとう夢を見る」ということですが、ここでは「夢に……と見る」という構文になっています。 この行隆、先年八幡へ参り、通夜せられたりける夢に、御宝殿の内より鬢づら結うたる天童の出でて、「これは大菩薩の使いなり。大仏殿奉行の時は、これを持つべし」とて、笏を賜るといふ夢を見て、……(巻第六・祇園女御)
というふうになっていて、これなら現代の我々でも使います。ただ、まだ今のような「……する夢を見る」にはなっていません。 烈子は六十年の夢を見、荘周は百年の〔間、蝶になる〕夢を見る。 もっとも、これは本文に疑問もありそうです。江戸後期の「誹風柳多留拾遺」には はらむ晩妾(めかけ)切られた夢を見る(二篇) という句が載っています。妾が妊娠した晩に、本妻に刀で斬られた夢を見るということでしょうか。これは、まさに志ん生の川柳と同様に「……た夢を見る」の形になっています。 |
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