わんだふる ネパールヒマラヤ2 (5)

  1.プロローグ 
  2.ネパールへ向けて出発 : 03月16日(日) 
  3.ポカラ経由 チャンドラコットへ : 03月17日(月) 
  4.モディ・コーラを渡ってガンドルンへ : 03月18日(火) 
  5.アンナプルナ山群の展望、その後タダバニへ : 03月19日(水) 
  6.シャクナゲ林を通ってゴラパニへ : 03月20日(木) 
  7.ダウラギリ山群、アンナプルナ山群展望、その後ヒレへ : 03月21日(金) 
  8.ナヤプル、ポカラ経由カトマンズへ : 03月22日(土) 
  9.マウンテン・フライト、カトマンズと帰路 : 03月23日(日)、24日(月) 
     *トレッキング留意事項(感想)* 

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7.ダウラギリ山群、アンナプルナ山群展望、その後ヒレへ : 3月21日(木)

 4時頃には目が覚めていた。やや眠いが、熟睡しているので、体は張り切っているようである。しばらくぼんやりとしていると、ちょうど4時15分にモーニング・コールがあり、いつものティーとビスケットのサービスがあった。外は暗いが、ここは電気が通っているので、準備にはあまり困らなかった。急いでビスケットを食べ、準備をして、階下のロビーに集合した。4時半頃には皆元気な姿で集まってきた。

 4時45分、シェルパを先頭に出発した。外は真っ暗だが、天気はよいようである。プーン・ヒル(Poon Hill:3,185m)まで、標高差およそ300mちょっとで、およそ1時間の登りである。全員ヘッドランプをつけて、急な山道を照らしながら登る。プーン・ヒルへ行くのはもちろん我々だけではないとは思っていたが、相当な人数が登っているようで、暗い山道を行列をつくって登った。まるで、夏の富士山登頂の行列ようである。気温はやや寒いが、登り始めるとすぐに暑くなってきた。
 5時55分、プーン・ヒル(Poon Hill:3,185m)の山頂に到着した。まだあたりは薄暗かったが、山頂は広いなだらかな広場になっており、真ん中に高さ数mくらいの展望塔が建っていた。もうかなり多くの登山客が集まっており、寒さの中で、今か今かと皆待機していた。

暁の空のDhaulagiriT(8,167m)
 6時10分頃、空が急に明るくなり、北の方向に真っ白なダウラギリ連峰(右上写真)が浮かんできた。東のほうには、今まで何度か見てきたアンナプルナ山群(下写真:連峰の連続写真は高さがうまくつながっていないのでご容赦を)が浮かび上がった。圧巻である!!言葉では言い尽くせない景観である。

 一応、雄大な山群の高峰の名を左から列挙しておく。興味がないとは言わずに、一読してほしい。8,000mの高峰が2峰ある。
 1.ダウラギリ(Dhaulagiri)山群: プーン・ヒル北方向
   グルシャ・ヒマール、プリル・ヒマール、ダウラギリX、W、V、Uの各峰、
   ダウラギリT峰(Dhaulagiri T:8,167m)、ツクチェ・ピーク(Tukuche Peak:6,920m)

 2.アンナプルナ(Annapurna)山群: プーンヒル東北方向
   ニルギリ南、中央、北の各峰(Nilgiri South/Central/North:6,387/6,940/7,061m)、ファン(Fang:7,647m)、
   ファンの後方で頭だけが見えるアンナプルナT峰(Annapurna T:8,091m)
   アンナプルナ南峰(Annapurna South:7,219m)、ヒウンチュリ(Hiunchuri:6,441m)、
   マチャプチャレ(Machhapuchhare:6,993m)
 
       暁の空に浮かぶアンナプルナ山群(6:25頃)   


Nilgiri(7,061m)

   Fang(7,464m)、Annapurna South(7,219m)、Hiunchuri(6,441m)、右端Machhapuchhare(6,993m)

黄金色に輝き始めたダウラギリ山群(6::30頃)
DhaulagiriX、W、V、U&T DhaulagiriT(8,167m) Tukuche Peak(6,920m)

朝日に輝き始めたアンナプルナ山群(6:32頃)
Nilgiri山群(Nilgiri North::7,061m) Fang(7,647m)、中央後方AnnapurnaT(8,091m) Annapurna South(7,219m)

 太陽が出て空も明るくなり、興奮もやや醒めてあたりをゆったりと見回すと、丘の頂には本当に大勢の人々が集まり、感激しながら会話をしたり、写真を撮っている風景が見られた。当たり前であろう。快晴の青空のもとで、このヒマラヤの高峰を眼前に見ることができて、感激しない人はいない。私も、本当にラッキーで、すばらしい光景だと感じた。ナマステ!ナマステ!!

 太陽が登るに連れて、山の表情も変わってくる。もういくつかの写真を紹介する(写真の空の色が今ひとつという感じです。冬のエベレストの時は、いわゆる”ヒマラヤン・ブルー”といわれる澄み切った青空を背景とした写真が撮れたのですが、今回は春という季節のためか、あるいはテクニックのせいもあるのでしょうが、きれいなブルーと白の対比写真が撮れませんでした)。

Poon Hill 頂上(6::47頃) Dhaulagiri山群(6:42頃)

わんだふるアンナプルナ山群(6:37頃)




Nilgiri山群(Nilgiri North::7,061m) Fang(7,647m)&AnnapurnaT(8,091m) Annapurna South(7,219m)

わんだふるダウラギリ山群(6::44頃)
Dhaulagiri T(8,167m) DhaulagiriX、W、V&U Dhaulagiri T(8,167m) Tukuche Peak(6,920m)

 6時45分を過ぎると、皆そろそろ興奮も醒めて、帰り始めた。我々も、6時55分、ダウラギリ・アンナプルナ山群に名残を惜しみながら、ゴラパニの村へと下り始めた。来るときは真っ暗で何も見えなかったが、山道はなだらかな道で、帰りも行列を作っての下りとなった。

 これで、今回のトレッキングのクライマックスは終わったという気持ちが徐々に込み上げてきた。それにしても、夜は大雨に何度も降られながらも、トレッキング中はほとんど雨に降られず、最後のダウラギリ・アンナプルナ山群の展望が快晴に恵まれたのは、本当に幸運に恵まれたとしか言いようがない。嬉しさがふつふつ?と込み上げてきた。
 下る途中からも、時々ダウラギリとアンナプルナが左後方に見られたので、写真を撮りながら下った。


Annapurna South(6:45頃)
Poon Hillを下る(7::10頃) Dhaulagiri T(7:24頃)
お土産屋でのトレード風景 シャクナゲとAnnapurna S(8:45頃) Annapurna South(8:45頃)

 8時に朝食となったが、もちんろん皆は感動のシーンを思い浮かべ、またすばらしさを語りながら食事をした。食後は、ロッジ前の露店のお土産屋さんでショッピングをしたり、村から見えるアンナプルナ南峰の写真を撮ったりした。

 8時45分、ロッジ前に集合し、今日の宿泊地ヒレ(hille:1,550m)に向かって出発。およそ5時間、およそ1,400mの下りである。ゴラパニ村の峠(2,840m)を南へ少し下ると集落(ロッジがいくつかある)は終わり、再び山の斜面に一面に咲くシャクナゲの山道となった。もうアンナプルナ山群は見ることができない。道幅は広く、なだらかなのでとても歩きやすく、のんびりと花を見たり(そんなに多くはない)、写真を撮ったりして、下った。9:45(2,505m)、11:15(2,265m)と休憩し、11時35分に見晴らしのよい開けたバンタンティ(2,245m)というところに到着し、そこでランチとなった。ランチにはネパールの豆のスープ、ダルバートが出たとメモに記録しているが、年をとったせいかどんなスープだったかもう思い出せない。
シャクナゲが一面に咲く サクラソウの一種 セッコクの仲間? ゴラパニに向かうドンキー
シャクナゲの花(ピンク) シャクナゲの花(赤) 橋を通る

 食後、12時35分、再び下り始める。道は徐々に急な石畳の道に変わり始めた。急坂の道の両脇には石造りの民家が点々と存在し、大人に混じって子供たちが我々に手を振ったり、「ナマステ」とあいさつをしたりしてくれる。この道は山道というより、生活道路のようである。我々とは逆のコースもあるようで、急な階段道を多くの登山客が「ナマステ」とあいさつしながら、あえぎあえぎ登っていく。私としては、どちらかというと我々のコースがやや楽なような気がし、またプーン・ヒルの展望が最後になるコースのほうがよいように思える。私の足も、急坂の衝撃で、だいぶくたびれてきた。13時過ぎ、ようやくはるか谷の底の方に、今晩宿泊するヒレの集落が見えてきた。そして14時30分、ようやくふらふらの足でロッジに到着した。

急坂を駆け下りるキッチン・ボーイ ヒレの民家と段々畑 ヒレ(Hille)のロッジ

 夕食まで時間があるので、周りを(といっても、一本の坂道しかない集落であるが)散策して、ゆったりと過ごした。18時30分に、最後の夕食があり、食後にはシェフ手作りの特大ケーキがサービスされた。ケーキには「NEPAL Ni-Kite Itadaki Arigatou Gozaimasu. Mata Aimasho.」と書かれていたので、日本人は皆びっくりで、大喜びであった。

 夜は、シェルパの人々とお別れパーティが開かれた。費用は日本人のお礼を込めたカンパである(エベレストの時も同様であった)。ネパールの酒も出たが、シェルパの若者はあまりアルコールは飲まない、飲めないようである(エベレストの時も同様であった)。シェルパの若者たちは、陽気に彼らの民謡?に合わせて民族ダンス?を踊り、芸のない日本人をその輪の中に誘ってくれた。私も照れくさかったが、久しぶりに見よう見まねで一緒に踊って、とても楽しかった。というよりも、日本では踊りを踊らなくなって久しくなり、シェルパの人々が気軽に歌を歌い、踊る姿を見て、とてもうらやましく感じたといったほうがよいだろう(エベレストのときもシェルパの若者やロッジのおばあさんと一緒に踊ったのを思い出した)。シェルパの人々からは、日本の踊りをと要望されるが、あいにく日本人グループにはエンタティナーといえるような人物はおらず、簡単な歌を歌ってごまかすようになってしまったのは残念!!いつも思うが、こういうときに何か芸でもできたらと思うのだが、無理、無理。

 19時30分頃に解散。久々のアルコールによる酔いと今日の行程の疲れもあってか、20時にベッドに入ると、すぐに寝てしまった。







シェフがケーキカット ダンス風景(赤い服は地元の子供)


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