さ迷い歩き 「量子の森」 (3)-1
= ファインマン物理学X 量子力学 =

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0.はじめに
 「量子の森」(1)、(2)の講座の話と違って、「量子の森」(3)は、書籍「ファインマン物理学X:量子力学」の私自身の学習内容に沿った個人的な話です。定年後の当初は、大学で学んだことのある(しかし、よく理解できなかった)”電磁気学”を勉強しようと思ってブルーバックスの本を読んでいたのですが、本の参考文献に「ファインマン物理学」が掲載されていました。恥ずかしながら、私はこのときまでファインマンの名前を知りませんでしたし、そのような物理学の本があることも知りませんでした。ちょっと興味を覚えたので、とりあえず書店に行って「ファインマン物理学V:電磁気学」と「ファインマン物理学W:電磁波と物性」を購入して学習を始めました。

 ところがどっこい。「ファインマン物理学」はカルテク(カリフォルニア工科大学:California Institute of Technology)における物理学専攻の学生に対する講義をベースに編纂されており、日本の物理学などの教科書とは違ってとても読みやすく、わかりやすい?ように思えました。それで、ついでに?学生時代に理解し損ねた「量子力学」も勉強してみようかと思い立ち、「ファインマン物理学X:量子力学」も購入し、勉強を始めました。どうもこれにはまったようで、電磁気学や量子力学を理解するには、「T:力学」や「U:光・熱・波動」も読まなければと思い、それも購入し勉強をしました(1冊3,000円から4,000円もするので、大変辛かったのですが)。もう大変なことになってしまいました。ちょっと翼を広げすぎたような形ですが、乗りかかった船ではないですが、現在も頑張っています。ここでは、そのうち「X:量子力学」について、分かったこと、分からなかったこと、不思議に思ったことなど、気ままに書きなぐってみようと思い、このページを開設しました。ご興味のある方は是非お付き合いください。


                                              2012年4月23日
    目  次

    内  容          内   容  
00 ファインマンと「ファインマン物理学」         
01 粒子と波動(干渉実験)  12.04.27         
02 波動的観点と粒子的観点   12.05.09   12 水素原子の超微細構造 (3rd P)  12.08.18
03 確率振幅   12.05.30   13 結晶格子内における伝播  12.09.13
04 同種の粒子   12.06.08   14 半導体  12.09.17
05 スピン1 (2nd Page)   12.06.20   15 独立粒子近似   12.09.27
06 スピン1/2 12.07.04   16 振幅の位置依存性   12.10.04
07 振幅の時間依存性   12.07.07   17 対称性と保存性 (4th Page)  12.10.24
08 ハミルトニアン行列  12.07.12   18 角運動量 12.10.31
09 アンモニア・メーザー   12.07.20   19 水素原子と周期律表  12.1102.
10 他の2状態系 (Next Next P.) 12.08.05   20 演算子  12.11.26
11 さらに2状態系について 12.08.16   21  古典的状況のもとでの
シュレーディンガーの方程式  
12.11.29
       


00.ファインマンと「ファインマン物理学」 2012年04月23日

 「ファインマン物理学」の著者ファインマンは、1965年に朝永振一郎、シュウィンガーとともに、量子電磁力学に関する画期的な研究(私には具体的にはわかりません)によってノーベル賞を受賞しています。もちろん、その人物像は私にはわかりませんが、彼の人柄は、一般人が想像する学者や研究者という言葉から連想されるものとはまったく違っており、何ものにもとらわれない自由で型破りな人物であったそうです。ちなみに、本著の序には、ファインマンがアフリカのボンゴをたたいている写真が掲載されています。彼はブラジルでボンゴを習い、リオの祭りでパレードにも参加したとのことです。ファインマンの以下の著書(岩波現代文庫)にはたいへん愉快な話が満載されていますので、一読をお勧めします。
  「ご冗談でしょうファインマンさん(上)、(下)」
  「困ります、ファインマンさん」
  「聞かせてよ、ファインマンさん」
  「ファインマンさん 最後の冒険」・・ラルフ・レイトン著
  「ファインマンさんは超天才」・・C.サイクス著

 ファインマンは、この講義をした当時はカルテク(カリフォルニア工科大学:California Institute of Technology)の教授で、大学の大講義室において2年間物理学序論の過程として物理学(力学から量子力学まで)の講義をしたとのことです(講義はこの1回だけだったようです)。対象は物理学専攻の1、2年生であったようです。この講義の内容を教科書としてまとめたものが「ファインマン物理学T〜X」(日本語版)です。内容的には幅広いですが、その上の学生に対する専門的な内容は当然のことながら言及されていません。しかし、物理学の真髄について、ファインマン流の解説が散りばめられています。訳者の紹介文がありますので、以下に掲載します。

 「本書の内容であるが、彼の人柄におとらずまことに個性的である。昔から今に至るまで、名著といわれる教科書は、整然とした物理学の体系を静かに展開するといった型のものが多い。しかし本書を手にする人は、それと大分様子がちがうことに気付かれるであろう。そこには絶えず読者に対する話かけがある。講義を録音した後で編集したという事情も、ある程度反映しているのはたしかだろうが、ここにはこの種の本に見られないリズムと流れとがある。ときには意外とも思われる題材を含めて、ボンゴのリズムのような躍動する大きな流れをつくっていく。彼の話は力学とか電気とかの既成の枠にとらわれない。それによって読者も絶えず新しい考え方の刺激をうけ、歩一歩とこの内容をたどる間に、いつのまにか非常な高みに持ちあげられてしまう。」

 イメージがお分かりでしょうか?無味乾燥な?日本の教科書(あるいは講義)とはまったく違っており、引き込まれるような思いで読むことができました。しかし、浅学な私にとってはちょっと難しい内容が多くて、とても”いつのまにか非常な高みに持ちあげられてしまう”ということはありえませんでした。それでも、今までに4回ほど繰り返して読み、理解するように努めました。訳者の言うように、とにかくあるリズムの流れに乗って物理学を学んでいるような気持ちにさせられたことは、実感できます。

 次に、ファインマンの序における彼のこの講義に対する考え方を、少し長いのですが掲載しておきます。彼の思いがよく分かるかと思います。

 「本書は、昨年と一昨年、私がカルテクで1年生と2年生に対して行った物理の講義である。もちろん、講義のときと一言一句同じではない−−すっかり書きなおしたところもあるし、またそれほど手を加えなかったところもある。(中略)」

 「この講義で私が特に意を用いたのは、高校を出てカルテックに入ってきた非常に熱心で頭のよい学生たちの興味を失わさせないには、どうすればよいかということである。カルテクに入る前に、彼らはすでに物理学というものがどんなに面白く、またどんなにすばらしいものであるかということをたっぷりと聞かされてきている−−相対性理論、量子力学、その他近代的な考え方など。ところがこれまでの講義のやり方だと、これらの素晴らしい新しい近代的な考え方などはほとんど出てこないので、2年たつうちに、すっかり失望してしまうという学生が多かったのである。斜面、静電気などを勉強させられて、2年たつと、全くばかばかしいことになってしまうという有様であった。そこで、よくできて心をはずませている学生の熱意を失わせることなく、こういう人たちを救済するような講義はできるものか、できないものか、これが問題であった。」

 「これから述べる講義は決してただの概論ではない。それ自身として非常に真剣なものである。私はクラスの中でいちばんよくできる学生を相手にして話すつもりで講義した。そして、講義の本筋以外のいろいろな方面に物理的の考え方や概念を応用するというようなことにふれてみたりして、いちばんできる学生といえども、講義に出てくることをすべて完全に把むことはたしかにできないというような程度にした。こういうつもりだったので、私は大いに努力して話をできるだけ正確なものにし、かつどの場合でも、どこで方程式というものと考え方というものとがうまくいっしょになって物理学の枠にはまるのか、また−−学生がもっと先を勉強した後には−−話はどのように変わるかというようなことをていねいに説明したつもりである。そして、そのような学生に対しては、前に述べたことからの演繹によって理解すべき−−学生がよくできるなら−−点は何か、また新たに導入された点は何かということをはっきり指摘することが大切であると思った。新しい考え方が出てくると、私は、それが演繹できるものなら演繹した。あるいはまたこれは新しい考えであって、これまで覚えたことから出発して出てくるものではないこと、証明することはできないこと、−−したがってここにはじめて出てきたものであることを説明するように努めた。中略」
 
 「さていうまでもなく、このこころみがどのくらい成功であったかということが問題である。学生の面倒をみた人達の大多数は私に賛成してくれそうにもないが、私自身の意見は悲観的である。私は学生のために大いに役立ったとは思わない。試験のときに大半の学生が問題を取り扱う様子から察すると、このやり方は失敗だったと思う。もちろん私の友人達によれば、十数人ないし二十数人の学生は、講義の全部にわたって驚くべきほどよい理解を示しているという。そして内容についてよく勉強し、いろいろの点について心はずませ夢中になって考えているという。そういう学生は、物理学の最上級の基礎を身につけたのだと思う−−そしてそういう人達をこそ私は育てたかったのである。しかし、”教育というものは、教育などしないでもいいという幸福な事態でない限り、大した効果のないものである”(ギボンス)。」

 「そうはいうものの、私は学生を一人でも完全におき去りにしようとは思わなかった−−ことによると実際はおき去りにしたかも知れないが、学生のためになるのは、一つには、もっと努力して、講義に出てくる考えの真髄がよくわかるような問題をたくさんつくることだと思う。演習問題というものは、講義の内容を補って、話に出た考えをより現実的に、より完全に、よりちゃんと頭に入れるのによい機会を与えるものである。」

 「しかし、この教育上の問題については、私はこう考えている。最善の教育というものは、いい学生といい教師との間に、直接の特別のつながりがある場合−−学生が考え方を論じ、ものごとについて考え、ものごとについて語る−−そういう場合にのみ可能だということを認識するよりほかはないと考えている。講義に出たり、また出された問題をやったりするだけでは大した勉強はできはしない。しかし、現代は教えるべき学生の数があまりにも多く、この理想に代るものを求めなければならない。その意味で、この講義も若干の貢献をするところがあるかもしれない。どこか、目立たないところに独特な個性的な教師と学生がいて、この講義から若干の刺激や考え方などを吸収しているのかもしれない。彼らはそれを考え考え−−さらにそれを発展させることに夢中になるのではあるまいか」

 ちょっと長かったですが、ファインマンのこの講義に対する考え方、姿勢がよくわかったかと思います。私も、若いときにこのような講義を聴きたかったと思いましたが、恐らくできの悪い学生で、理解できなかった学生の中に入ってしまうでしょう。それでも、私はこの「ファインマン物理学」に出会うことができ、とてもよかったなと思っています。この後何を書くのかまったく決めておりません。ファインマン物理学の紹介をするつもりはありませんし、能力的にも不可能です。何か思いついたことを書いてみようと思っているだけです。

 なお、ファインマン物理学関連の書籍として以下のものを紹介しておきます。
  「物理法則はいかにして発見されたか」(岩波現代文庫)
  「光と物質のふしぎな理論」(岩波現代文庫)
  「科学は不確かだ」(岩波現代文庫)
  「ファインマン物理学を読む1、2、3」 竹内薫著(講談社)

                                              2012年4月23日

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01.粒子と波動(干渉実験) 2012年04月23日

 「ファインマン量子力学」は、00.でも述べたように、通常の物理学講義とはかなり違った彼の考え方に基づいて行われた物理学講義を書籍としてまとめたものです。量子力学は特に顕著で、量子力学の歴史的発展から述べるのではなく、初めから量子力学の最も基本的でかつ一般的な性質を明らかにしようとしています。プランクの光量子仮説、アインシュタインの光電効果、ド・ブロイの物質波、ボーアの原子構造論といった歴史的に重要な理論や実験などは歴史的な順番に従って記述されていません。そういう意味では、量子力学を一から学ぼうとする場合ちょっと違和感を感じるのですが、逆に言えば、初めから量子力学の一般常識では理解できない独特な考え方に取り組めるということがいえると思います。私自身は以前「朝永(振一郎)量子力学」等で量子力学の歴史的発展に従った書籍を読んできたので、歴史的発展の記述はなくてもかまわないのですが、量子力学の書籍を読み始めるといつも前期量子力学を理解するのがやっとで、シュレーディンガーの波動方程式にたどり着く頃にはへとへとに疲れきってしまい、その先の量子力学の真髄?には行き着くことができませんでした。そういう意味で、私にとって「ファインマン物理学」は新鮮で、わくわくするものでした(理解が容易であったというわけではありません)。

 本題の”粒子と波動”ですが、ファインマンは、最初にマクロの世界の常識ではまったく理解できない現象(思考実験)を取り上げ、マクロの世界とミクロ(量子)の世界がいかに違っているかを学生に叩き込もうとしているようです。それは、ある対象を2つの穴(スリット)を通したとき背後のスクリーンにどんな像ができるかという実験です。図を描くことができないのでわかりづらいですが、簡単に説明します。

 実験は次の3つのパターンからなります。
  1)弾丸(粒子)を2つの穴(スリット)に通して、背後のスクリーンの像を観察する
  2)水波(波動)を2つの穴(スリット)に通して、背後のスクリーンの像を観察する
  3)電子(量子)を2つの穴(スリット)に通して、背後のスクリーンの像を観察する

 1)の実験では、弾丸同士が干渉することなくスクリーン上にランダムに到着し、その到着確率分布は正規分布的なものとなります。一方2)の実験では、高校での物理でも習うように、二つの穴(スリット)から拡がった二つの波が重なり合って、スクリーン上に縞模様の像(干渉縞)を作ります。これは波特有な干渉によるもので、粒子では絶対に生じない現象です。ここまではマクロの世界で、すんなりと理解できますが、3)の実験では不可思議な現象が起こります。すなわち、電子は通常粒子と考えられますので、弾丸と同じようにどちらかの穴を通って粒子としてスクリーン上に到着します。ところが、この粒子の到達の確率分布は波の強度分布と同じようになります(干渉が起こるということは、1つの電子が2つの穴を同時に通っている?ということです)。このような意味で、電子はときには粒子のように振る舞い、ときには波のように振る舞うといえます。

 ところがさらに不可思議な現象が観察されます。すなわち、スリットの近くに光源を置いて、電子が2つのスリットのうちどちらを通ったか観察しようとすると、驚くべきことにスクリーン上の干渉縞は消えて、弾丸と同じような正規分布的な到着確率分布になってしまいます。ところが、電子がどちらのスリットを通ったか観察することをやめると、再び干渉縞が現れるのです。
これが1900年代の初期に物理学会を混乱させた”量子(光)の波動性と粒子性”の問題です。これは、古典物理学ではまったく歯が立たない現象でした。

 ファインマンは、さらにこの思考実験にからんでハイゼンベルグの超有名な”不確定性原理”の話を出してきます。ところが、この不確定性原理を、通常表わす運動量と位置の不確定性を述べるのではなく、一般的な表現?として次のように述べます。すなわち、「電子がどちらの穴を通ったかを識別し、かつ同時に電子の干渉縞を壊さないような観測装置を原理的に設計することができない」ということです。このあたりの本質的な意味を私は十分に理解できませんが、ああこんなところに関連があるのかと気付かされました。

 この後には、元々の不確定性原理の表現も示されます。すなわち、「任意の物体を測定するとき、その運動量のx成分を凾垂フ不確定さで決定できるとしたとき、同時にその位置のx成分を凾 = h/凾垂謔閧熕ウ確に知ることはできない(h:プランク定数)」です。そして、不確定性原理の意義を次のように述べています。「量子力学の理論体系はこの不確定性原理にその基礎をおいている。不確定性原理を打ち破る法則が一つでも発見されたとしたら、量子力学は矛盾した結果を与え、自然を正しく記述する理論ではなくなる」。また、「不確定性原理は量子力学を防衛するものである」と。私は、冒頭からこのような強い宣言をするのをみて、強烈なインパクトを受けました。不確定性原理はどんな本でも必ず出てくる重要な量子力学の原理ですが、こんな説明ははじめてです。

 ”理想的実験”と”事象”の定義があります。これはこれから出てくる量子力学の”状態”や”確率振幅”の話の基礎になることだと思っています。すなわち、「理想的実験とは、外部からの不確かな影響、例えば考えようもないような動揺その他のことのない実験である。こう言えばもっと正確になる。理想的実験とは、実験の初条件と終条件のすべてが完全に規定されている実験である」。そして、「事象とは、一般には初条件と終条件の特定の組のことである」。難しいですね。私もよく分かりませんが・・・

 最後に、今までの”まとめ”と”量子力学の第1原理”が述べられますが、大変重要なので、以下に記します。

 <まとめ>
  (1)理想的実験において、ある事象のおきる確率は、確率振幅とよばれる複素
    数φの絶対値の2乗で与えられる。
     P = 確率、φ = 確率振幅(複素数)   => P = |φ|2
乗 
  (2)一つの事象がいくつかの異なる過程を経て生起できるとき、その事象に対
    する確率は、それぞれの別の過程に対する確率振幅の和である。
     φ = φ1 + φ2
、 P = |φ1 + φ2|2乗 
  (3)ある実験を行ったとき、その実験によって、ある過程と別の過程のどちらを
    実際にとったかを決定できるときには、その事象の起きる確率は、それぞれ
    の過程の起きる確率の和である。このとき干渉は失われる。
     P = P1 + P2

 「古典力学と量子力学とのきわめて重要な相違点について強調しておこう。これまで、電子がある与えられた状況に到達する確率について話してきた。このことは、われわれの実験のやり方では、何が起きるかを正確に予測することは不可能であることを意味するものであった。ある事象の起きる見込みしか予測できないのである。もしそれが本当なら、そういう物理学は、ある一定の状況のもとで何が起きるかを正確に予測することをあきらめてしまったということを意味している。まさに物理学はあきらめてしまったのである。ある与えられた状況のもとで何が起きるかを予測する方法を知らないのである。そして、現在では、それは不可能であり、予測できるのはいろいろの事象の起きる確率だけであると信じられている。このことは、自然の理解に関するこれまでの理想の後退であることを承認せざるをえない。それは一歩後退であるかもしれないが、しかし、だれもそれを避ける方法を知らないのである」。

 ひゃー!すごーい!こんなことを”第1原理”として宣言している本は見たことがありません。これがファインマン物理学の大いなる魅力の源泉です。やー、本当にすごい!


                                              2012年4月27日

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02.波動的観点と粒子的観点 2012年05月09日

 先ず初めに、この章におけるファインマンの考え方を記します(私は、彼の講義の考え方が大変大切だと考えています)。「この章では、波動的な観点と粒子的な観点との間の関係について議論しよう。前章においてすでに、波動的見地も粒子的見地も、どちらも正しくないことを知った。われわれは、これまで物事を厳密に、少なくとも、これからさらに多くのことを学ぶときに変更を必要としないように正確に表現しようと努めてきた−−それは、さらに拡張されることはあっても、変更されることはない。しかし、波動的描像とか粒子的描像について話すときには、それらのどちらも近似的なものであって、その両者とも変更を必要とする。したがって、この章で学ぶことは、ある意味では厳密なものではない。すなわち、ここではなかば直感的な議論をすることになるが、これはまたあとでより正確なものにされるのである。それで、量子力学を用いて正確に説明するときには、多少変更を必要とするものもでてくることになるわけである。」

 「このようなことをする理由は、量子力学のくわしい数学的取り扱いの話しにはいる前に、ある種の量子的現象を定性的ではあるが、感覚的に把握できるようにするためである。さらにまた、われわれの日常経験はすべて波や粒子に関係しているので、量子力学的な確率振幅の完全な数学的表現を与えるまえに、与えられた状況のもとで何がどうなるかについてのある程度の理解をうるためには、波や粒子の考え方を利用した方が考えやすいからである。話が進むにつれて、それらの考え方のもっとも弱点とされる点を指摘してゆくつもりであるが、それらの考え方の大部分はほとんど正しいのである−−つまりそれは、解釈の問題にすぎない。」 ・・こんな内容を冒頭に記述している本はあまり知りません。いかにファインマンが型破りな??物理学講義をしようとしているかよくわかります。

 最初に、前回の”まとめ”にあった確率波の”確率振幅”(ファインマン物理学では単に”振幅”となっていることが多いですが、ここでは”確率振幅”で統一するようにします)の話です。普通の量子力学の本では、前期量子論が長々と続いた後、後半に少し記述されていることが多い内容です(朝永量子力学では、第2巻の中ほどに、”確率密度”としてでてきます)。次のような定義が冒頭にあります。「まずはじめに、量子力学的世界を表現する新しい方法−新しい体系−は、おこりうるあらゆる事象に対して、その確率振幅を与えることであることが知られている。そしてその事象が1個の粒子を扱うようなものであるときには、異なる場所と異なる時刻において、その1個の粒子を発見する確率振幅を与えることができる。このとき、その粒子を発見する確率は、その確率振幅の絶対値の2乗に比例する。一般に、異なる場所、異なる時刻に粒子を発見する確率振幅は位置および時間とともに変化する。」

 ここで式が出てきます。「ある特別な場合には、確率振幅は時間・空間的にexp(i(ωt-))のように正弦的に変化する(ω:角振動数、:波数ヴェクトル)。」 ここで注意しなければならないことは、量子力学的な確率振幅は”本質的”に複素数であり、実数ではないことです。われわれには”複素数の波”というものをイメージすることはできません。ある本では”幽霊波”と表現していました。したがって、量子力学を数式を使わずに感覚的に理解しようとしても大変難しく、数学的表現をしないと最終的には正しく理解できないと私は思っています(数学をつかっても私にはわからないことがいっぱいですが・・)。

 古典的極限の状況においては、エネルギーEと運動量(太文字はヴェクトルを意味します)をもつ粒子と次の関係で対応づけられます。
   E = (h)ω、   = (h)k   ((h)=h/2πを意味することにします
 このことは、粒子という概念に制約があることを意味しているそうです。すなわち、「粒子というときには、それはその位置や運動量などによって特定されるものであり、それでこのような物理量がよく用いられるわけであるが、この考え方はいまの場合にはきわめて不満足なものである。例えば、異なる場所に粒子を発見する確率振幅がexp(i(ωt-))で与えられているときには、その絶対値の2乗は一定値になってしまう。ということは粒子を発見する確率があらゆる場所で同じであるということである。このことは、粒子がどこにあるのか全然分からない−どこにでも存在しうる−つまりその位置に大きな不確定さがあることを意味している。」

 ここで、不確定性原理との関係で長さ凾の”波束”の説明がありますが、なんとなく分かったような分からないような気分になってしまいます。ファインマンの記述は次の通りです。「ここで波束に関して奇妙な事情がある。それはきわめて簡単なことであって、厳密なことをいえば量子力学とは何の関係もないことである。量子力学などを知らなくても、波動について調べたことのある人ならだれでも知っていることである。つまりそれは、波束の拡がりが小さいときには、その波長というものを一義的に定義することはできないということである。そのような波束は一定の波長をもたない。波束が有限の大きさをもっているということは、その波束に不確定さがあるということであり、したがってその運動量に不確定さがあるということである。」 うーん、”不確定”の言葉がでてくると、さっぱりわからないなー。さらにファインマンは、位置と運動量の不確定さについて二つの例を挙げて、これでも理解できないか!と迫ってきますが、いつも何となく分かったといった感じで終わってしまいます。能力がないですね・・とほほほ・・すみません。

 不確定性関係のもう一つの適用例として、水素原子モデルをとりあげています。通常これはボーアの原子論としてでてくるものですが、ファインマンは不確定性原理と関連させて述べているのです。驚きです。こんなふうにファインマンは述べています。「これについてはあまり神経質に考えてもらっては困る。考え方は正しいのだが、その解析はあまり厳密なものではないからである。その考えというのは、原子の大きさと、原子を古典的に考えたとき、電子は光を放射して、螺旋軌道をえがきながら核の表面上に落ち込んでしまうという事実とに関連している。しかし、このことは量子力学的に正しくない。なぜなら、このとき、それぞれの電子がどこにあり、またそれらがどれだけの速さで運動しているかを同時に知っているとしているからである。」 さらに、あっと驚くような話がでてきます。「こうしていま、われわれは、床をつき抜けて落っこちないわけを理解できるようになった。われわれが歩くと、われわれの靴は、それをつくっている原子の質量をもって床を押しつけ、また靴は床から押し返される。靴の原子を押しつぶそうとすると、電子はもっと狭い空間内に押しこめられる。それに伴って、不確定性原理によって、その平均運動量は大きくなり、そのエネルギーは高くなる。原子の圧縮に対する抵抗力は、量子力学的効果によるものであって、古典的な効果ではない。(中略:電子スピンの排他性が述べられている) すべての電子をたがいに重ね合わせることができないという事実こそ、机やその他のあらゆるものを硬くしている原因である。物質の性質を理解するためには、明らかに量子力学を必要とするのであり、古典力学で満足するわけにはいかない。」 本当なんでしょか?こんな話は今まで聞いたこともありませんでした。

 最後に、量子力学の哲学的意味が論じられています。まず次のように述べている。「いつでもそうなのだが、この問題には二つの側面がある。その一つは物理学の哲学的意味という問題であり、他の一つは哲学的なことを他の分野に拡大するという問題である。科学に関する哲学的な考え方を他の分野にもちこむと、多くの場合にその考え方が歪曲されてしまう。したがって、われわれはここでの考察をできるだけ物理学のそれ自身の問題にかぎることにする。」

 取り上げられている問題は次の2つです。
 @観測が現象に影響を与えるという不確定性原理の問題
 A測定不能なことについて話すべきではないという考えかた
 ここで述べられていることはとても重要でおもしろい部分ですが、紙面が長くなるので省略させてもらいます。ただし、その中のおもしろい一節だけを掲載しておきます。「新しい量子力学が発見されたとき、古典的な人々は−−それにはハイゼンベルグ、シュレーディンガーおよびボルンを除くすべての人が含まれているわけであるが−−次のようにいったのである。”みたまえ、君の理論には何もよいところがないではないか。なぜなら、君は粒子の正確な位置は何か、それはどちらの孔を通り抜けたのか、等々の問題に何一つ答えられないではないか”と。これに対するハイゼンベルグの答えは、”私はそんな質問に答える必要はない。なぜなら君たちは、その質問を実験にもとづいて発することはできないのだから”というものであった。」

 やー、不確定性原理の意味は本当に深いですね。きつねにだまされたような気分です。

                                              2012年05月09日

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03.確率振幅 2012年05月30日

 「01.粒子と波動」でも確率振幅はすでに定義されていますが、本章でも量子力学の重要な概念である”確率振幅”を再度議論します。通常の物理学の本では、こんな手順にはなっていません。ここでもファインマンの講義に関する考え方が述べられているので、少し長くなりますが引用します(私は前にも述べましたが、ファインマンの講義に対する考え方が大切であると考えているからです)。

 「シュレーディンガーが量子力学の正しい法則をはじめて発見したとき、粒子をいろいろな場所に発見する確率振幅を記述する方程式を書きくだした。この方程式は、古典物理学者にとってすでによく知られた方程式−−音波での空気の運動や光の伝播その他のを記述するのに用いられる方程式−−に非常によく似た形をもつ方程式であった。そこで、量子力学が発見されたばかりの頃は、この方程式を解くことにそのほとんどの時間がついやされたのである。しかしそれと平行して。量子力学の背後にかくされている基本的に新しい考え方に対する理解もまた、とくにボルンとディラックの努力によって深められた。しかし、量子力学の発展とともに、シュレーディンガーの方程式に直接含まれていないもの−−電子のスピンや各種の相対論的現象−−が、数多く存在することも明らかになってきた。」

 「これまでの伝統的な量子力学の教育課程では、どれもみな同じように、量子力学の発展の歴史をたどることからから話をはじめるというやり方をしている。そこでまずはじめに、古典力学について非常に多くのことを学ぶことによって、シュレーディンガーの方程式を説く方法を理解できるようにしようというわけである。こうして、いろいろな解を求めるのに長い時間がついやされる。この方程式のくわしい研究の後に、はじめて電子のスピンという”進んだ”問題に到達するということになる。」 まったくこのとおりですね。私自身は、シュレーディンガーの方程式を説く方法がよく理解できず、ましてやスピンの問題には到達することすらできませんでしたが・・

 「われわれのこの講義でも、はじめは−−閉じた領域における音波の問題、円筒形の空洞内の電磁波のモードの問題その他の問題の解のような−−複雑な状況のもとでの古典力学の方程式の解を求める方法を示すべきだと考えた。それが、この講義の元々の計画であった。しかし、われわれはその計画を捨てて、そのかわりに量子力学を手引きすることに決めた。通常、量子力学の程度の高い部分であるといわれているところというのは、実をいうと、全くもって簡単なものにすぎないという結論に達したのである。そこで利用されている数学はとくに簡単なものであって、簡単な代数的演算が用いられているだけで、微分方程式などは出てこない。出てきても、精々、それは極めて簡単なものにすぎない。問題はただ、空間内における粒子の性質を詳細にわたって記述することが、もはやできないとうことからくるギャップを跳びこえなければならないということだけである。これからやろうとしていることは、そういうことなのである。つまり、通常は量子力学の”高級”部分であるとされていることについて、諸君に話そうということである。ところで、諸君に保証しておくが、その程度の高いところというのが、量子力学のもっとも基本的な部分と同様に−−本質的な意味で−−ずば抜けて簡単な部分なのである。ここでの講義のやり方は、正直なところ、一つの教育学的な実験である。われわれの知る限り、これまでこのような試みがなされた例はない。」 おわかりでしょうか?ファインマンの意図することはよく分かるのですが、私には”ずば抜けて簡単”とはとても思えませんでした。確かに数学は代数的演算で記述される部分が多いのですが、その概念が私にはよく理解できませんでした。でも、面白い試みであるということはよく実感できました。だから私は何ども繰返し読み返しているわけです。

 さらに続けます。「この問題を論じていくに当たっては、もちろん、物資のもつ量子力学的な性質が極めて特異なものであることからくる困難が存在する。何がおきるかということに対する大雑把な直感的な概念を把握するのに頼りになるような日常的な経験というものを、だれももっていない。そこで、この問題を取り上げる方法として二つの方法が考えられる。それは、かなり荒っぽい物理的手法のもとに何がおこりうるかを述べて、あらゆる場合に成立する正確な法則を与えることなく、ともかく何がおきるかを説明することにするか、それとも、抽象的な形で正確な法則を与えてしまうかのどちらかである。しかし、後者のようなやり方をすると、その抽象性のために、諸君は、物理的には一体何をやっているのかさっぱりわからなくなってしまうかも知れない。したがって、その完全な抽象性のゆえに、この方法は満足すべきものではない。一方はじめのやり方では、何が正しく、何が間違っているかを正確に判断することができないため、不愉快な感じを残すことになる。われわれには、どうしたらこの困難を克服できるか分からないのである。(後略)」 いやー、どちらにしても私には理解が困難というしかありませんが・・・まあ、がんばってみたいと思います。

 前置きが長くなってしまいましたが、本論に入ります。「01.粒子と波動」で説明のあった確率振幅の重ね合わせの問題から始まります。ファインマンは、”量子力学の一般原理”(他の書籍で”一般原理”という言葉はでてきません)を次のように3つにまとめています。

 一般原理1: 粒子が源sを出てxに到達する確率が、確率振幅−−いまの場合”
  sを出てxに到達する確率”−−とよばれる複素数の絶対値の2乗によって定量
  的に表わされる。
   ここで、ディラックによって発明された確率振幅を表現するための省略記号が
  導入されます。他の書籍では、この省略記号は後半に”量子状態”と関連して少
  し触れられる程度ですが、朝永量子力学では出てきていません。
   確率振幅を次のように書く。
    <粒子がxに到達する|粒子がsを出る>
   換言すれば、この2個の括弧< >は”なになにの確率振幅”と同じことを示す記
  号である。すなわち、垂直の棒の右側の標識はいつでも始めの状態を示し、左
  側のものは終わりの状態を表わしている。もっと省略して、初状態と終状態と
  をそれぞれ1個の文字で表わし、次のように書くこともある。
    <x|s>
  このような確率振幅が単一の数−1個の複素数−であるということである。

 一般原理2: 1個の粒子が二つの可能な経路を通って、ある与えられた状態に
  到達することができるとき、その過程に対する全確率振幅は、二つの経路に対
  して別々に考えた確率振幅の和で与えられる。これを新しい記号では次のよう
  に書く。
    <x|s>
両孔とも開いている = <x|s>孔1を通る + <x|s>孔2を通る

 一般原理3: 粒子がある特定の経路をたどっていくとき、その全体の経路に対す
  る確率振幅は、その経路の一部をゆく確率振幅とその経路の残りの部分をゆく
  確率振幅の積として表わされる。孔1を通り抜けて、sからxにゆく確率振幅は、
  sから1への確率振幅に、1からxへの確率振幅を掛けたものに等しい。これを新
  しい記号では次のように書く。
    <x|s>
孔1を通る = <x|1><1|s>

 このように確率振幅を表現すると、01.で述べた2個のスリットによる干渉実験は次のように表わされます。
  電子が孔1を通ってxに到達する確率振幅: φ1 = <x|1><1|s>
  電子が孔2を通ってxに到達する確率振幅: φ2 = <x|2><2|s>
 したがって、
  電子が孔1と孔2を通ってxに到達する確率振幅:
                      φ = φ1 + φ2 = <x|1><1|s> + <x|2><2|s>

 事象(この場合干渉)の起きる確率は、確率振幅の絶対値の2乗(|φ|2乗 = |φ1 + φ2|2乗) をとればよいということです。簡単な表現ですね。でも、これからどんどん難しくなって、理解するのがとても困難になってきます。実際、すぐに中性子の結晶による散乱の問題が取り上げられ、そこでは中性子のスピンと結晶内の原子核のスピンとの相互作用が考慮されて、確率振幅の計算が議論されます。まだ量子力学の入り口に立ったばかりなのに、スピンの話が出てきて大変です。議論は細かいので省略しますが、ファインマンはこの議論での重要ポイントを次のようにまとめています。

 異なる終状態を原理的に区別することが可能なときには、(たとえ区別しようと考えなくても)全体の最終的な確率は、各状態への確率(振幅ではなく)を計算し、そのあとでそれらを加え合わせることによってえられる。もしそれらの終状態が原理的にも区別できないときには、正しい確率をうるには、確率振幅をその絶対値の和をとるまえに加えておかなくてはならない。

 この後、”同種粒子”(比較的低エネルギーの核同士)による散乱の問題にはいります。始めの頃は、どうして同種粒子が問題なのかわかりませんでした。というのも、他の本では”同種粒子”といった言葉は見当たりません。それでも何度も読み返しているうちに、それなりに私にも理解できるようになりました。

 例えば、ヘリウムの原子核であるα粒子(あの福島での原子核分裂によって出てきた放射線の一つです)の酸素の原子核による散乱とα粒子同士を衝突させた場合の散乱とを比較すると、ある方向に散乱する確率は一致しないとのことです。すなわち、まったく同じ粒子を衝突させると、干渉が起こって、ある散乱角度にピークが現れるということです。これは、検出されたα粒子が衝突した2つの粒子のどちらかを認識することができないという量子的な議論からきているようです。

 ところが、また不思議な話がとりあげられます。同種粒子の衝突として電子と電子を衝突させると、散乱電子の確率振幅は負の符号で干渉するのだそうです。わかりませんね。これで終わりではありません。電子のスピンを考慮するとさらに複雑怪奇な散乱電子の確率振幅を考えなければならなくなるということです(詳細の議論をここでは記述できません)。これらのことは、古典論では決して説明できないとのこと。ファインマンは、量子力学の入り口で、量子論の真髄にかかわるような話をもってきているようです。そういう意味で、これらの議論はこの段階ではぴんとこないのも当然のように思います(後になっても恐らく理解できそうもないのですが)。

 やー、今回はこれで終わりですが、次も”同種粒子”の話が続きます。一気に混迷の”量子の森”に入り込むことでしょう。ご期待を??


                                              2012年05月30日

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04.同種の粒子 2012年06月08日

 「03.確率振幅」で”同種粒子”の確率振幅の干渉の話が出てきましたが、本章ではさらに詳しく述べられています。ここでは立ち入って話すことができませんが(もともとよく解っていないこともありますが)、結論的な話を取り上げてみます。

 まず、ファインマンは前章の結論を次のようにまとめています。「同種粒子とは、電子のように、どうしてももう一つの粒子と区別のできない粒子のことを意味している。2個の同種粒子が含まれている過程において、一方の計数管に到達する粒子を入れ換えると、前とは区別のできないもう一つの別の過程がえられ、それが入れ換えられるまえの元の過程と干渉を起こす。−−この事情は、区別のつかない過程がもっとたくさんあるときも同様である。このとき、一つの事象に対する振幅は、干渉する二つの振幅の和で与えられる。ところがおもしろいことに、ある場合には同じ位相で、また他の場合には反対の位相で干渉がおきるのである。」

 これに続いて、”ボース粒子”と”フェルミ粒子”の定義が次のように述べられています。

ボース粒子:  2個の粒子が交換するとき、正の符号で干渉する粒子
               散乱振幅 = (直接の確率振幅 + 交換したときの確率振幅)

フェルミ粒子: 2個の粒子が交換するとき、負の符号で干渉する粒子
               散乱振幅 = (直接の確率振幅 - 交換したときの確率振幅)

 具体的には、光子、中間子および重力子はボース粒子となり、電子、μ中間子、中性微子および重粒子(陽子、中性子)はフェルミ粒子となります。さらに、電子のように粒子がスピンをもっているときには、粒子を交換したときに確率振幅が干渉するのは、同一のスピン状態をもつ同種粒子の場合だけであるということが追加されます。うーん、何でこんな初めからボース粒子やフェルミ粒子、あるいはスピンの話が出てくるのかな?面食らってしまいますが、明らかに古典力学では考えられない量子力学の重要概念を説明し、量子力学の特徴を伝えようとしているようです。先に進みます。

 2個のボース粒子の散乱の具体的確率の話が、前章で定義された状態を使った式で述べられます。
  2個の粒子が同種粒子でない場合の二つの散乱が同時におきる確率振幅と確率:
    <1|a><2|b> + <2|a><1|b>  => P2 = 2|a|2乗・|b|2乗
  2個の粒子が同種粒子である場合の二つの散乱が同時におきる確率振幅と確率:
    <1|a><2|b> + <2|a><1|b>  => P2 = 4|a|2乗・|b|2乗
 「これから、2個の同種のボース粒子が同じ状態に散乱される確率は、粒子が異なるものとしたときの確率の2倍になるという結果をえたわけである。」 すなわち、2個のボース粒子が同種粒子であるときは、それが異なる粒子であるときにくらべて、同じ状態に散乱される確率は2倍となって、同じくはならないということです。ファインマンはさらに詳しい説明を行っていますが、ここでは省略とします。

 続いて、話はn個のボース粒子について進みます。結論だけを記述します。「他のボース粒子がすでにn個あるときに、その同じ状態にさらにもう1個の粒子が入る確率は(n+1)倍だけ増強されるということである。すでにn個の粒子がある場合に、もう1個ボース粒子を獲得する確率は、まえに1個もないときよりも(n+1)倍も強くなるのである。他の粒子の存在は、さらに1個を獲る確率を増大させることになる。」 これで、一応の議論の結論が出るわけですが、ファインマンは、一見関係のなさそうな”光子の放出と吸収”、さらに”黒体輻射とプランクの放射公式”へと話を進めます。

 原子の光子の放出と吸収は、上に述べたような入射してくる光子を考えることなく、単にn個の原子があって、その原子が光子を放出したり吸収すると考えればよいということです。すなわち、
  n個の光子がある状態に1個の光子を追加する振幅:  <n+1|n> = √(n+1) x a
  n個の光子がある状態から1個の光子を吸収する振幅: <n-1|n> = √(n) x a*  
                       *記号’*’は確率振幅の複素共役を示す
 この後に、アインシュタインの光の吸収と放出(誘導放出と自然放出)の理論(「ファインマン物理学U」で取り上げられています)を説明しています。いやー、すごいですね。原子と光の現象(光の放出、吸収)が、状態の遷移とボース粒子(光子)の確率振幅の干渉から導き出されています。こんな関係は、今までどの本にも書いてなかったように思います。

 続いて、黒体放射のスペクトルとプランクの放射公式が取り上げられています。突然”黒体輻射”という訳のわからない言葉が出てきますが、これは19世紀の終わり頃において物理学のホットな研究対象となっていた問題です。普通の本では、量子力学の歴史的発展の中で取り扱われますが、ファインマンはボース粒子の確率振幅の干渉の話と関連させて、プランクの放射公式を導き出しています。なお、黒体放射については、「ファインマン物理学U」の”光”関連の章の中ですでに取り上げられているテーマです。私はファインマン物理学の量子力学を読み始めたときは、実は第U巻を買っていませんでした。しかし、”光”のことをよく理解していないと量子力学はさっぱり理解できないということがわかり、第U巻を購入し(値段が高いのです)、読むことになりました。だんだんと勉強のスパンが拡がるのですが、能力の問題があって、”光”については今でもよく分からないことがたくさんあります。とほほほ・・ 

 余計な話をしてしまいましたが、ここでファインマンの議論を詳述することはできません(内容も難解ですし、式も指数がたくさん出てきて、ここで表わすことができません)が、ファインマンは、ここで古典力学(調和振動子)と量子力学(光子)の関係について驚くべき奇跡の一つであるとして、量子力学の重要な説明をしていますので、それを記述します。「相互作用をしていないボース粒子(光子は相互作用をもたないと仮定している)のある一つの状態、または条件に注目し、その状態に0個、あるいは1個、または2個と、任意のn個までの粒子を入れることが可能であるとすると、この体系は量子力学的には1個の調和振動子と正確に同じ性質をもつのである。ここで振動子といっているのは、バネの上におもりをつけた力学系とか、空洞共振器内の定常波とかのことである。そしてこの同一性こそ、電磁場を光の粒子によって表わすことができる理由なのである。一つの観点からみると、箱や空洞の中の電磁場はたくさんの調和振動子の集合に分解することができ、それぞれの振動のモードを一つの調和振動子とみなして量子力学的に扱うことができる。もう一つの別の観点に立ったときには、同一の物理を同種のボース粒子系の言葉を用いて解析することもできる。そして、この両方のやり方の与える結果はつねに厳密に一致するのである。電磁場が量子化された調和振動子として記述されるべきであるか、それとも、それぞれの状態に何個の光子が存在するかを与えることによって記述されるべきであるかといったことについて、諸君が決断をくだすなんてことをする必要はない。これらの二つの見方は数学的に同等なのである」。  ちょっとこの文章だけでは意味不明かもしれませんが、私としては、量子力学の本になぜ調和振動子の話が出てくるのか少し分かったような気がしました。

 この後に、かの超有名な黒体放射の振動スペクトルを表わす公式(プランクの放射公式)を導出していますが、ここでは途中経過は省略して、その結果(プランクの放射公式)のみを無理やりに書き下してみます(わかりにくいと思いますが・・)。

プランクの放射公式:
   凾d = 〔(h)ω/{exp((h)ω/kT) - 1}〕〔Vω2乗刄ヨ/π2乗c3乗〕
                           *(h)=h/2πを意味することにします

*インターネットで、黒体輻射関連のよい解説を見つけましたので紹介します。’EMANの物理学・統計力学’(http://homepage2.nifty.com/eman/statics/)です。

 ファインマンは、結論として次のように述べています。「これから、この答えが光子のボース粒子であるあることからくるものであることが分かる。すなわち、すべての粒子が同じ状態にはいろうとする傾向をもつ(なぜなら、そうしようとする確率振幅が大きいから)ことによることが分かる。恐らく諸君も憶えていることと思うが、この(古典物理学におけるミステリーであった)黒体のスペクトルの研究はプランクの仕事であり、彼の公式の発見こそ、全量子力学の出発点となったのである。」 はい、よくわかりました。

 続いて、定温における液体ヘリウム(ヘリウムの原子核が、最近有名になったアルファ線です)のおもしろい現象である超流動性の話があり、その超流動性現象はα粒子のボース性による量子力学的効果であると述べています。話は大変おもしろいのですが、省略します。

 最後にフェルミ粒子と排他律の話が出てきます。フェルミ粒子はボース粒子と全く違う行動をします。ボース粒子の例のように、同じ状態に2個のフェルミ粒子を持ち込もうとした場合、2個の粒子の散乱の確率振幅と確率は次のようになります。
  2個の粒子が同種粒子である場合の二つの散乱が同時におきる確率振幅と確率(スピンは同一方向とします):
    <1|a><2|b> - <2|a><1|b>  => P2 = 0

 ここで、ファインマンは次のように述べています。「2個のフェルミ粒子が−2個の電子のような−正確に同一の状態にはいることは全く不可能である。2個の電子のスピンが同一の方向をもっているとき、それらの電子を同一の場所に発見するようなことは決してありえない。また、2個の電子が同じ運動量と同じスピン方向をもつことも不可能である。これらの電子が同じ位置にあるか、あるいは同じ運動状態にあるとき、この2個の電子に許される唯一の可能性は、それらがたがいに反対向きに自転していなければならないということである。」 これが、かの有名な”パウリの排他律”です(ファインマンの本にはパウリの名前がついていませんが)。ファインマンは続けます。「この事実のもたらす結果はどういうものであろうか。2個のフェルミ粒子が同一の状態をとることができないという事実から、数多くの注目すべき結果がえられるのである。事実、世界中の物質のそれぞれの特性というものは、ほとんどすべてこの驚くべき事実によって決まってくる。周期表に表わされている物質の多様性は、基本的には、このただ一つの法則のもたらす結果なのである。」

 やー、今回はこれで終わりとしますが、難しいですね。疲れますね。次は、”スピン”の話です。さらに難しくなっていくと思います。ご期待を??

                                        
2012年06月08日


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