さ迷い歩き 「量子の森」 (2)-1 =朝日カルチャーセンター講座:量子力学20講= |
0.はじめに
前回までの3回の講座(量子力学の基礎)は終了し、今月からは新たな20回の講座が始まります。前回の3回の講座は概要のまた概要といった内容で、あまり中身はありませんでしたが、今回は20回もあるので、それなりに深掘りした内容となると期待しています。講師は前回と同じく、首都大学東京名誉教授広瀬立成です。
2012年2月27日
目 次
講座内容 | 講座内容 | |||||
01 | 古代原子論とは | 12.04.07 | 11 | 原子から素粒子へ (Next Page) | 12.10.06 | |
02 | ニュートンからマクスウェルへ | 12.04.21 | 12 | 物質の素材と力 | 12.10.20 | |
03 | プランクの光量子仮説 | 12.05.19 | 13 | アインシュタインの失敗 | 12.11.01 | |
04 | 光の粒子性 | 12.06.02 | 14 | 統一理論の成功 | 12.11.17 | |
05 | 原子の土星モデル | 12.06.23 | 15 | 唯一の弱点 | 12.12.01 | |
06 | 原子構造の解明 | 12.07.07 | 16 | ヒッグス粒子の発見 | 13.01. | |
07 | とびとびの物理量 (欠席) | 12.07.21 | 17 | 量子宇宙を垣間見る | 13.02.02 | |
08 | 不確定性原理 | 12.08.04 | 18 | 超対称性理論 (欠席) | 13.02.14 | |
09 | 量子力学の成立 | 12.08.18 | 19 | ダークマターとダークエネルギー | 13.03.02 | |
10 | 相対論的波動方程式 | 12.09.01 | 20 | 究極の量子力学 | 13.03.14 |
01.古代原子論とは 2012年04月07日
今回の話は、量子力学というよりは、古代から近代まで科学者は自然をどのように捉えようとしてきたかという歴史的な話です。デモクリトスやアリストテレスの考えは、講座(1)で述べたので省略し、18世紀後半の化学者ラボアジェの考えを中心に説明します。ラボアジェはアリストテレスの4元素説を疑い、化学実験を繰返し行う中で、化学変化が重さの測定によって理解できることを明らかに、「質量保存の法則」を考えつきました。そして、それ以上他の物質に分解できないものを「元素」とよび、次の33種類の元素を提案しました。
・自然界にあるもの: 光、熱、酸素、窒素、水素
・非金属: 硫黄、リン、炭素、塩酸基(塩素)、フッ酸基(フッ素)、ホウ酸基
・金属: アンチモン、銀、ヒ素、ビスマス、コバルト、銀、スズ、鉄
モリブデン、ニッケル、金、白金、鉛、タングステン、亜鉛
マンガン、水銀
・土: ライム(酸化カルシウム)、バリタ(酸化バリウム)、アルミナ
シリカ
当時の化学の発展状況を考えればやむを得ないところがたくさんありますが、実験を基礎としてアリストテレスの火、空気、水と土の4元素説とはまったく異なる考えに到達したことはすばらしいことですね。ここで注目したいことは、光と熱を元素に組み入れていることです。現在では、”熱素”としての熱は否定されており、原子の運動(振動)と関連つけられています。また、光は、これから取り組む量子力学の中心を占める課題(光速一定、電磁波、光子等)のひとつです。
*ラボアジェはフランス革命の中で、人民の敵として死刑の判決を受け、1974年5月にギロチン刑となったそうです。
ラボアジェの後、近代原子論が発展するわけですが、近代原子論に貢献した主な化学者(科学者)を挙げてみます。
・ボイル(イギリス): ボイルの法則(気体の体積は圧力に比例する)
・ドルトン(イギリス): 倍数比例の法則(元素は一定の質量火で化合物を作る)、原子量の導入
・ベルセリウス(スウェーデン): 43の原子量を求め、元素記号を提案
・アボガドロ(イタリア): アボガドロの法則(同温、同圧の同じ容積中の気体は同数の分子を含む)
・ファラデー(イギリス): マイナスの最小電荷をもつ「電子」の予測
講義は2回目以降の内容である「ニュートンからマクスウェルまで」、「プランクの光量子仮説」、「光の粒子性」まで話が弾んでしまいました。光については、「日本書紀」や「新約聖書」の神話の話がありましたが、古代ギリシャ時代にユークリッド(ユークリッド幾何学で超有名)が光の直進、反射、屈折などを研究していたということを初めて聞きました。すごいですね。最後に、光についての考えの推移を簡単に列挙しておきます。先ほども述べたように、光は量子力学の中心的課題です。
・アルハーゼン(アラビア): 光学の法則の研究
・スネル(オランダ): スネルの法則(屈折の法則)
・フェルマー(フランス): フェルマーの原理(光は進むのにかかる時間が最小となるような経路を通る)
・ニュートン(イギリス): プリズムによる分光を行い、光は種々の色をもった粒子の集まりであると提案
・フック(イギリス): 光の回折、干渉を観察して、光の波動説をとなえる
・ヤング(イギリス): 光の干渉の原理を明らかにする
・ファラデー(イギリス): 電場・磁場の考えをもち、電磁誘導を発見
・マクスウェル(イギリス): マクスウェルの電磁方程式を作り電磁波の存在を予言。また光は電磁波であることを予言
=>古典電磁気学を作り上げる
・ヘルツ(ドイツ):: 電磁波を実証
これ以上続けると長くなるので、今回はここまでとしておきます。
2012年4月10日
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02.ニュートンからマクスウェルへ 2012年04月21日
今回の話は、ニュートン、マクスウェルに留まらず、量子論の開始(きっかけ)まで及びました。ガリレオ・ガリレイとニュートンは大方の人が知っていると思います。ガリレオ・ガリレイ(1956-1642)は、”ピサの斜塔における物体の落下実験”や”地動説(それでも地球は回っている”などでよく知られていますが、”慣性の法則(等速直線運動をしている物体は、力が働かない限りいつまでも同じ速度でまっすぐに進む)”を発見したことが重要です。これはニュートン力学にも取り入れられ、アインシュタインの相対性理論とも関係してくるようです。
ニュートン(1642-1727)は、3つの運動法則(慣性の法則、力=質量x加速度、作用反作用の法則)を発見し、”古典力学”を完成させました。ニュートンの運動法則は、天体の星の軌道を正しく説明し、絶対的に正しい理論と考えられました。しかし、ニュートン力学は、マクロな物理現象を正確に説明しましたが、ミクロな量子の世界を説明することができず、現在では古典力学と言われています。しかし、現在でもマクロな物理現象については、物理学の基礎理論です。
マクスウェル(1831-1879)は、複雑怪奇な電気と磁気の現象を、4つの法則にまとめ、電磁気学を確立しました。この理論の中で電磁波(我々の身近な放送、通信の電波のこと)を予測し(後にヘルツによって電磁波の実在が証明されました)、また光は電磁波の一種であると唱えました。マクスウェルは、現在の放送や通信の基礎を作ったといえます。
以上が、いわゆる古典論(古典力学、古典電磁気学)と言われているものですが、20世紀の初めに、これらの古典論では理解できないミクロな世界の研究が始まりました。最初は、マックス・プランク(1858-1947)です。当時、溶鉱炉から出る光のスペクトルと炉内の温度との関係を明らかにすることが問題となっていました。それに対して、古典論の立場から、レーリー・ジーンズとウィーンがスペクトル分布の公式を導出していましたが、実験結果と一致しませんでした。1900年、プランクはスペクトル分布を正しく表わす公式(プランクの公式)を発見しました。
公式: U(ν) = (8πh/c3){ν3/exp(hν/kT - 1)} *指数が正しく表記できていません
ν:振動数、k:ボルツマン定数、T:絶対温度、c:光速
h:プランク定数
さらに、プランクは、この公式が成り立つためには、光のエネルギーが連続的な値ではなく、飛び飛びの値(hνの整数倍)でなければならないと考えました。これが有名な”光量子仮説”で、光は飛び飛びの値のエネルギーをもつ粒(量子)であるという仮説です。今まで、光は波動であるという考えが有力でしたので(ニュートンは粒子と考えていたようですが)、この仮説は直ちには受入れられませんでしたが、この仮説が量子論の火蓋を切ったといってよいでしょう。私は、量子力学を勉強し始めたとき、このあたりの理論の推移に驚き、わくわくさせられたことを覚えていますし、だからこそ現在も量子論を理解したいという希望の基になっているともいえます。
続いて、1905年に、アインシュタイン(1879-1952)が”光電効果”の理論を発表し、光が波動であると考えたのではこの光電効果は説明できなく、光が粒子であると考えることによって正しく説明できると主張しました。すなわち、プランクの光量子仮説は仮説ではなく、光は量子(後に光子と呼ばれる)であるということです。この光の粒子説は、今まで光の波動説(光は波である)を信じていた物理学者の世界に大論争をもたらしました。これからが量子論の始まりとなります。今後のご期待を!
*アインシュタインは、同じ年に3つの論文を発表しました。すなわち、光電効果の理論、ブラウン運動の理論、それに超有名な特殊相対性理論(E
= mc2の式は超有名ですね。なお、一般相対性理論の発表はこの10年後です)です。当時は、アインシュタインは大学を卒業して、大学に残ることができず、特許庁の技官をやっていたということですが、そんな中で超高級な論文を、それも3つも発表するのは”すごいですね”(1907年には、これも重要な比熱の理論を発表しています)。この年は”奇跡の年”と呼ばれているそうです。
2012年4月23日
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03.プランクの光量子仮説 2012年05月19日
前回の話は、ニュートン、マクスウェルに留まらず、プランク、アインシュタインの光量子仮説まで話が及んでしまいましたが、今回は再度プランク定数とアインシュタインの光電効果の話となりました。
19世紀の終わり頃に、空洞輻射の光スペクトル分布を表わす式として、ウィーンの分布公式とレーリー・ジーンズの分布公式がありましたが、前者は短波長(高振動数)部分に限られ、他方後者は長波長(低振動数)部分に限られ、どちらも実験事実を説明することができませんでした。これに対し、プランクは、1900年、二つの公式を保管する光スペクトル分布公式(プランクの公式)を発見しました。このことは前回も述べました。
公式: U(ν) = (8πh/c3){ν3/exp(hν/kT - 1)} *指数が正しく表記できていません
ν:振動数、k:ボルツマン定数、T:絶対温度、c:光速
h:プランク定数
ここで現れるプランク定数は、非常に小さな値で、マクロの世界では無視される数値です。すなわち、
h = 6.63 x 10(-34乗) J・s *指数が正しく表記できていません
J:ジュール(エネルギーの単位)、 s:秒
さらに、プランクは、この公式が成り立つためには、光のエネルギーが連続的な値ではなく、飛び飛びの値(hνの整数倍)でなければならないと考えました。これが有名な”光量子仮説”で、光は飛び飛びの値のエネルギーをもつ粒(量子)であるという仮説です。
1905年、アインシュタインがこのプランクの光量子仮説を用いて、光電効果を見事に説明しました。すなわち、光を波と考えては光電子効果を説明することはできなく、したがって光を粒子であるすることによって実験事実をよく説明できることを表明しました。そして、光量子(光子)のエネルギーは光の振動数に比例し、プランク定数を使って次のような式で表わされるとしました。
E = hν ν:振動数、h:プランク定数
この光の光量子説は、1921年になって、コンプトン散乱の実験(X線(光子と考える)と石墨内の電子との衝突による散乱実験)によって、実験的に証明され、光子は粒子として実態のあるものとして認識されるようになりました。
しかし、これで終わらないところがおもしろいですね。光はあるときは粒子として現れ、あるときは波としての性質を示すというのですから、一般の人にはさっぱりわかりません。このことは、当時の物理学者も説明できず、大きな論争になったそうです。ある本で読んだのですが(正確ではありません)、「物理学者は月曜から木曜までは光は粒子と考え、金曜から日曜までは光は波と考えている」といったような状態であったそうです。この光の二重性(粒子性と波動性)は量子力学によって説明されることになるのですが、それまでにはたくさんの試行錯誤があったことは想像されます。すなわち、前期量子論の発展がはじまるわけです。
2012年5月23日
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04.光の粒子性 2012年06月02日
今回の話は、前回の話とダブっています。どうも講師の話は同じことを繰返し話しているようで、やや退屈な感じがしますが、これも素人に何度も同じことを話して、理解させようとしているのかもしれません。
まず光の粒子性の話として、アインシュタインによる光電効果の説明(光の粒子説)とコンプトンによるコンプトン散乱(光子の電子による散乱実験)がありました。ここで、光の”運動量”の定義が出てきます。運動量とは、運動による衝撃の大きさのようなもので、ニュートン力学では次のように定義されます。
運動量 = 質量 x 速度 (P = mv)
これに対して、光の運動量はは次のように表わされます。
光の運動量: P = E/c = hν/c = h/λ (ν:振動数、 λ:波長)
ところで、”波”は”回折”と”干渉”という特徴を示します。波は障害物があると、その背後に回りこんで伝わっていきます(粒子にはこのような現象はありません)。また、波は複数の波があると、重なって、干渉縞を生じます。ヤングの干渉実験が有名です。式で表わすと次のようになります。
重ね合わせた波ψ = (ψa + ψb)2乗 = ψa2乗 + ψb2乗 + 2ψaψb (ψa、ψbは元の波を表わす)
ここで重ね合わせた波の式の中の第3項(2ψaψb)が干渉の効果を示しています。
さらに干渉には驚くべき現象があります。すなわち、光子(粒子)を間隔をおいて発射し、2つのスリットを通すと、当然光子は単独でスクリーン上のある点に到達しますが、時間を掛けて多くの光子をスリットを通過させ、後でスクリーン上の光子を集積すると、干渉縞が現れるのだそうです。光子の一つひとつは単独でスクリーンを通過するので、他の光子と干渉することはないと思われますが、たくさんの光子の集積結果を調べると、光が波であると考えたときと同じ干渉縞が現れるのです。マクロの世界での常識では考えられないことです。これが光の二重性(波動でありまた粒子でもある)といわれるものです。当時の物理学者も困惑するのは当然ですよね。
光が粒子性を示すなら、逆に粒子と考えられている電子が波動性を示すのではないかと考えた物理学者がおりました。ド・ブロイです。当然、初めは誰からも無視されたようですが、デビッソンとガーマーが金属結晶を使って電子の干渉パターンを観測することに成功し、ド・ブロイの考えが実証されました。このように、粒子が波動性を示すときは、”物質波”と呼ばれます。
マクロの世界で認識される常識が、ミクロの世界では全く通じないことが分かってきました。すなわち、ミクロの世界を知るためには、新しい物理学=量子力学が必用であるということです。こうして、20世紀の初めに、量子力学の扉が開かれていくことになるわけです。どきどきしますね???
講義では、アインシュタインの特殊相対性理論(光速一定の原理と慣性系における相対性の原理)についても話がありましたが、とりあえずこの場では省略します。本当はよくわかっていないのです。
2012年6月5日
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05.原子の土星モデル 2012年06月23日
今回の話は、原子の構造の話に移ります。第1回の講義でデモクリトスの原子(アトム)説の話がありましたが、その”原子”はこれ以上分割できない物質の最小の単位という意味でした。しかし、19世紀のファラデーの電気分解実験(イオン)やガイスラーの陰極線の観察などから原子は内部構造をもつことが徐々に明らかになり、1897年になってJ..Jトムソンが陰極線はマイナスの電荷をもった粒子(電子)の流れであることを発見しました。さらに、1911年にラザフォードが金箔にラジウムの原子核崩壊で発生するα粒子を当てて、原子は原子の中心に原子核があることを突き止めました。すなわち、原子は原子核の周りを電子が回っているような構造であることが明らかになりました。原子の大きさのレベルで見れば、原子は非常に小さな中心部分を締め、かつ電子との間はスカスカの空間があるといったイメージです。
*「原子の土星モデル」は日本の長岡半太郎が提案したと日本の教科書ではよく出てきますが、世界的にはあまり考慮されていないようです。他方、イギリスのW.トムソン(ケルビン卿は原子の”スイカモデル”を提案しましたが、実験によって否定されました。
ラザフォードの実験は、光(光子)や粒子を探りたい対象粒子に衝突させ、その結果を観測するという量子力学や素粒子物理学の基本的な実験手法となっています。スイス・ジュネーブの巨大加速器(LHC、加速器は輪になっており、山手線一周の大きさがあります)は光速に近い陽子(粒子)同士を衝突させて、その結果を観測します。この衝突によって、ヒッグス粒子(素粒子の質量を生じさせる原因粒子?)の発見を目指しているのだということです
そして、1913年に、オランダのニールス・ボーアが原子の構造を解明しました。すなわち、原子は原子核を中心に、とびとびのエネルギー準位をもった軌道を電子がまわっているというボーアモデルを提案しました。これによって、原子から出る光のスペクトルがきれいに説明することができるようになりました。本当は式を用いて説明したいのですが、本講義は原則式を用いないので、ここでも省略します。
最後に、量子力学は、1926年にシュレーディンガーによって数学的に表現され(シュレーディンガー波動方程式)、基本が形成されます。それから、”場の量子論”、”素粒子論”等々、量子力学が発展していくことになります。これまでが”前期量子力学”といわれている部分で、次回からはその後の量子力学の発展を追い続けていくことになります。
2012年6月25日
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06.原子構造の解明 2012年07月07日
講義の初めに、最近話題になった”ヒッグス粒子”の話がありました。すなわち、7月4日、欧州合同原子核研究所(CERN:セルン)が、素粒子物理学の基礎となる「標準理論」の中で唯一見つかっていなかった素粒子”ヒッグス粒子」が、99.9999%の確率で見つかったと報告しました。なお、この発見を最終的に確定するためには年内くらいまではかかるとのことです。広瀬講師はCERNで素粒子の研究をしていた時期があったそうで、当時のことを思い出しながら、ヒッグス粒子の説明をしてくれました。ヒッグス粒子は、巨大な加速器(山手線の大きさのリング状の加速器)で陽子を光速近くまで加速させ、陽子と陽子を正面から衝突させて作るのだそうです。このヒッグス粒子は、40年前にイギリスのヒッグス博士が存在を予測したもので、「標準理論」において質量の起源とされているそうです。私には理論はまったくわかりません。素粒子については、この一連の講義の後半で取り上げられると思いますが、雑誌”Newton”2012年7月号にイラスト付きで比較的分かりやすく解説されているので、詳細を知りたい方はそちらを参照されるとよいと思います。
話を戻して、今回の話は、前回に続いて原子の構造の解明の話です。ラザフォードによって原子の中心に原子核があることが発見されました。しかし、電荷をもつ電子が原子核の周りを円運動しているという原子モデルでは、原子の安定性が説明できません。すなわち、プラスの電荷をもった原子核のクーロン力によって加速運動をする電子は電磁エネルギー(光)を放出しなければならず、したがって急速に電子は原子核に落ち込んでしまうことになります。また、このとき放出される光は線スペクトル(飛び飛びの振動数をもった一連の光)となっており、連続したスペクトルにはなりません。
これに対し、オランダのニールス・ボーアは、1913年、原子にはエネルギーの定常状態があって、電子が定常状態にあれば、安定的に軌道運動をすることができるという大胆な原子モデルを提唱しました。そして、電子は高いエネルギー状態から低いエネルギー状態へ遷移することができ、そのときエネルギー差に対応した振動数(ν=
(E1-E0)/h)の光を放出するとしました。逆に、エネルギー差に対応した振動数の光を吸収することによって、電子は低いエネルギー状態から高いエネルギー状態へ励起されると主張しました。これが光の線スペクトルの理由でもあります。
こうして、ボーアはプランクとアインシュタインの光の量子化をさらに進めて、原子の電子軌道を量子化し、各電子軌道に量子数(主量子数n:0、1、2、・・・)を割り付けました。これによって、原子が放出または吸収する光の線スペクトルを数学的に簡単な式で計算できるようになりました。また、原子の半径がおよそ1Å(オングストローム、10の-10乗m)の単位であることも判明しました。
ボーアや彼の仲間によって、原子の内部構造の解明が大きく進みましたが、しかし、ボーアの原子論には多くの問題があり、さらに解明のための努力が続けられました。この話は次回になります。
2012年7月10日
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07.とびとびの物理量 2012年07月21日
*病気で欠席のため、講義内容を記述できません。
08.不確定性原理 2012年08月04日
前回欠席してしまいましたが、今回のレジュメを見ると、前回は次のような原子構造と、原子の性質などが話されたようです(タイトルの「とびとびの物理量」ではなかったようです)。すなわち、原子は原子核とその周りをまわる電子から構成され、原子は陽子(p:プロトン)と中性子(n:ニュートロン)から成り、電子の数は陽子の数と同じである。そして、原子は原子番号(陽子の数)と質量数(陽子の数+中性子の数)をもっている。
今回は、ド・ブロイ波とシュレーディンガーの波動関数の話でした。非相対論的な議論では、物体の運動エネルギーと物体の運動量(運動の激しさ)は、以下のようになります。
物体の運動エネルギー: T = (1/2)mv2乗
物体の運動量: p = mv
ミクロの世界では、電磁波は光子という粒子ともみなされ、光子のエンルギーと運動量は次のように表わされます。
光子のエネルギー: E = hν
光子の運動量: p = hν/c = h/λ ここで、c = νλ
ところが、ド・ブロイは、1924年に、電磁波である光が粒子性をもつなら、粒子である電子などの物質も波動性をもつのではないかという奇想天外なアイデアを発表しました。このような物質の波を、物質波、ド・ブロイ波といい、次のような関係をもっています
粒子の振動数: ν = E/h
粒子の波長: λ = h/p
ド・ブロイは、原子の電子軌道において、電子波の定常波ができていると考え、それからボーアの量子条件が導かれることを見出しました。こうして、電子は波動性と粒子性をもつということが明らかになりましたが、電子の波動性は1927年に実験的にも確認されました。
続いて、1926年、シュレーディンガーはド・ブロイの物質波のアイデアを発展させて、原子の構造に関する数学的表現を求め、シュレーディンガーの波動方程式を定式化しました。これは、波動力学ともよばれて、量子力学の数学的基礎が完成したことになります。ここでは、電子の状態は波動関数Ψ(プサイ)で表わし、波動関数ψの時間的変化は波動方程式∂ψ/∂t
= Hψを解くことによって求められます。そして、得られた波動関数の絶対値の2乗(|ψ|2乗)が電子の存在確率を表わすことになります。したがって、電子の位置は、正確な位置ではなく、確率分布が得られるということになります。
この存在確率と関連して、ハイゼンベルグの不確定性原理があります。すなわち、電子の位置と運動量を同時に性格に決定できず、位置のずれと運動量のずれには次の関係が成り立ちます。
凾・凾 > h/2π
今回の話は、大体以上でした。
2012年8月4日
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09.量子力学の成立 2012年08月18日
1926年、シュレーディンガーが電子の状態を波動関数Ψ(プサイと読む)で表わし、その運動の時間的変化を記述する次のような波動方程式を見出しました。
(ih/2π)dΨ(x,t)/dt = H^Ψ(x,t) H^はハミルトニアン演算子
波動関数Ψは、電子の”確率振幅”(複素数)を意味し(状態関数ともいわれます)、”確率振幅”Ψの2乗が電子の存在確率を表わします。、
シュレーディンガーの理論は波動力学と呼ばれ、これによって量子力学の基礎が確立したことになります。
*講義には出てきませんでしたが、シュレーディンガーの波動力学が発表される前年1925年に、ハイゼンベルグが電子の運動を行列をもちいて表現する行列(マトリックス)力学を提案しています。この行列力学は、数学的にはシュレーディンガーの波動力学と同等であることがシュレーディンガーによって証明されましたが、扱いの容易さ等から、量子力学はシュレーディンガーの波動力学をベースに発展していったとのことです。
続いて、ハイゼンベルグは、電子の状態を観察することを深く考察し、有名な不確定性原理、すなわち、電子の位置と運動量を同時に性格に決定することはできないということを明らかにしました。これは、次のように表現されます。
凾・凾 >= h/2π
今までの量子力学は、アインシュタインの相対論を取り入れない非相対論的波動方程式でしたが、イギリスのディラックは相対論を取り入れた相対論的波動方程式を提案しました。これは、アインシュタインの特種相対論で提起されたエネルギーと質量の転換(E
= mc2) が取り込まれ、その中で”反粒子”の存在を予言しているのだそうです。よくわかりませんが、「対称性の理論」というものがあり、粒子に対して反粒子(質量や大きさは同じであるが、電荷が反対である粒子)が存在するはずだということです。例えば、電子e-に対しては”陽電子”e+が、陽子p+に対しては”反陽子”p-が存在するということです。
その後、反粒子の存在が実験的に確かめられることになりました。例えば、次のような反応が確認されました。
@ e- + e+ --> γ(光子)
A γ(光子) --> e- + e+
@の式は、”対消滅反応”といい、粒子と反粒子が反応して物質(質量)がエネルギー(光)に転化したことを意味し、Aの式は、”対生成反応”といい、エネルギー(光)から物質(質量)である粒子と反粒子が生成されたことを意味します。すごいですね。こんな難しい「対称性の理論」や”対消滅”、”対生成”といった話にまで及んできました。もちろん、私にとって初めて聴く話です。
最後に、朝永振一郎電磁力”の相互作用についての話がありました。そこでは、電磁力は光子の交換で発生するという”ゲージ理論”や、電場と磁場の波が電磁力を伝えるという”近接作用論”などの話がありました。さらには、場の理論を図でわかりやすく表現する有名な”ファインマン図”や、自己エネルギーの発散の困難を解決する”くりこみ理論”などの話もありましたが、結局概略のつまみ話なので、具体的にはなにもわかりませんでした。あしからず・・・
2012年8月18日
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10.相対論的波動方程式 2012年09月01日
タイトルの内容と違って、今回は第11回目の「原子から素粒子へ」となって、講義が前倒しの状態になってきています。従来のニュートン古典力学とマクスウェルの古典電磁気学では説明できない粒子の運動を解析する理論、すなわち量子力学(シュレーディンガーの波動力学)が1926年に基礎を与えられたことを前回述べました。そして、ディラックによって、アインシュタインの相対性理論を取り込んだ相対論的量子力学(相対論的波動方程式)が提起され、その中で反粒子の存在が予言され、実際に反粒子(反電子、反陽子など)が発見されたことも述べました。今回は素粒子(実験)に関連した話を進めます。
素粒子(電子、陽子、中性子およびそれらの反粒子)は質量をもっていますが、一般には、素粒子の質量はエネルギー換算値をもちいて表現されます。すなわち、エネルギーと質量は、アインシュタインの関係式E = mc2 によって転換されるので、どちらで表現しても問題ないということです。素粒子のエネルギー単位はeV(電子ボルト)が使われます。これは電子(1.6x10の-19乗クーロン)が1ボルトの電位差で得る運動エネルギーに対応し、1ev = 1.6x10の-15乗ジュールとなります。電子の質量はおよそ0.5MeV、陽子、中性子の質量はおよそ1GeVのエネルギーに相当するということです。
素粒子の研究は、実験と理論が相互に関連しながら発展していきます。その実験では、素粒子の"加速器”が使われます。この加速器で、素粒子を光の速度近くまで加速し(すなわち、高エネルギー状態にして)、素粒子同士を衝突させ、そこで生じる反応(新素粒子の発見)を調べるということです。この高エネルギー状態は、宇宙生成の初期状態を実現する意味があるのだそうです。2012年7月4日、「ヒッグス粒子とみられる新粒子の発見」ということで、新聞やテレビのニュースにとりあげられましたが、これは巨大加速器LHC
(Large Hdron Collider)における実験で得られた成果です。LHCは、スイス・ジュネーヴの郊外にあり、JR山手線の1周の長さに匹敵する、1周27kmの加速器です。
*こんな巨大で高価(1兆円ほど)な装置で未知の素粒子を研究する物理学の意義について、私は学生時代からずっと疑問に感じてきた点です。もちろん、宇宙研究(開発)も同じです。物理学者などは、もちろん知的好奇心や名誉などが得られるわけですが(一般の人々でも、これらの成果を人類の進歩?などといって、感動を味わっています)、他方では、戦争で殺し合いをしたり、飢えで多数の人が死んでいるという痛ましい事実が存在しています。しかし、物理学の進展が今の社会によかれ悪かれ多大な影響を与えてきたことも事実です。考えても私には解が見つかりません!!
加速器の原理は、電場の力を使って荷電粒子を加速し、ローレンツ力(磁場と荷電粒子の速度に起因する)によって回転運動させることによって、荷電粒子を高速度で衝突させ、粒子間の反応を観測します。素粒子はバンチとよばれる塊り状態になって回転するのだそうです。LHCのバンチは、陽子が10の11乗個で、サイズは横15ミクロン、たて7.5センチだそうで、1周に2800個のバンチがあり、1秒間に800万回、10億個の衝突が生じるとのことです。この衝突によって生じる反応を分析するそうですが、多くの研究者が必死になって分析しているようですね。面白いんでしょうね??
2012年9月5日
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