Road to FRANCE PART2 【1998ワールドカップ本大会篇】

【シミュレーション】

トゥールーズの奇跡後半

1998年6月14日 午後3時30分 トゥールーズ/スタディアム・ミュニシパル

サッカー狂い

ハーフタイムは応援合戦と化した。紙吹雪のアルゼンチン対意思統一の日本。日本サポはもしかしたら2万人はいるのではないだろうか。サッカーのために海を渡った大馬鹿野郎たちよ、恥も外聞もなく叫ぶ君たちが大好きだ。

後半開始

選手が再びピッチに姿を現した。拍手と共に、キックオフ。アルゼンチンは、開始15分にかけてきた。守備では激しいプレスをかけ、ボールを奪うと速攻で攻め上がる。オルテガが、シメオネが、執念でボールを追いかけるさまには、背筋を震え上がらせるものがあった。アルゼンチンは、怒っていた。獅子が、牙をむいた。

ロペスが左サイドを駆け上がる。速くて低いセンタリングを送る。バティがダイビングヘッド! しかし、微妙に合わない。「ロペス=岡野」説もあったように、ロペスにはラストパスの正確性がない。しかし、アルゼンチンの時間帯が続く。日本は中盤のパスミスが目立つ。プレッシャーがきつくて、余裕がなくなっている。

アルゼンチン、先制

山口がサイドチェンジしようとしたボールが奪われた。右ウィングのサネッティがカットして、自ら上がっていく。いったんガジャルドに渡してワンツー狙いで走る。相馬がつく。ガジャルドはトラップして左のアウトサイドでオルテガにはたいた。山口はガジャルドにつられて左に寄っていた。オルテガはキープから突然スピードを上げてペナルティエリアを襲った。井原が、秋田が、囲む。もはやバックパスしかないと思われた局面から、まるでスローモーションのようにボールは高い弧を描いた。ループシュートだ! 181cmの川口が伸ばした手の上を、ボールは無情にも越えてゴールネットを静かに揺らした。

あきらめの悪いことだけがとりえ

0-1。攻めに攻めたアルゼンチンに待望の1点が入った。沸き返るアルゼンチンのサポーター。しかし、聞こえてきたのは「ニッポン! ニッポン!」の大コールだった。苦しい予選でどん底の絶望の淵から這いあがってきたのは、実はサポーターたちだったのだ。あの暗いトンネルを経験してきた私たちは、1点のビハインドであきらめるほど弱くないのだ。たとえ、それが堅守のアルゼンチンが相手だとしても。

ゴールへ

井原が大声で指示を出している。まだ30分もある。チャンスが訪れた。敵陣で中田が倒されてフリーキック。ゴールまで25mぐらいか。角度もいい。名波のカーブはバーを直撃した。中山がこぼれ球に反応する。しかしミートせず、弱々しいボールをロアが抱えあげた。

ふところの深い試合運び

アルゼンチンはガジャルドに代えてベロン。オルテガを右トップから1.5列目に戻し、中盤の引き気味にベロン、アルメイダ、シメオネで網を張る。日本は、ボールを持ってもなかなか攻め上がれない。仕方なくバックパスを繰り返す悪循環を繰り返し、無理に突破を図っては逆襲を食らう羽目に陥った。

活を入れる

流れを変えたのは井原だった。バックパスを受けると、敢然とドリブルでハーフウェイまで上がってきた。オルテガを軽くかわしてさらに攻め上がる。意表を突かれたシメオネが寄せてきたタイミングを見計らって、ボールを大きく右サイドに振った。シメオネが中央に入った分、名良橋が空いている。突進してボールキープ。井原は決然とゴールへと向かう。その勢いが日本に活を入れた。中山が、城が、中田が、ディフェンスを引き連れてゴール前に殺到する。名良橋のクロスは、ニアに飛び込んだ城のヘッドにどんぴしゃだった。ロアが出した左足がなければ、それはファインゴールだったろう。ロアがかろうじてはじいたボールを、アジャラが慌てて外に蹴り出した。

初得点

右コーナーキック。いつものように名波がカーブをかけると誰もが思った。しかし、名波はグラウンダーで、ゴール前の混雑を避けるかのように遠くに構えていた井原へとていねいなボールを送った。強烈なミドルがゴールを襲う。ロアがはじいた。こぼれたところに、中山がいた(らしい)。とにかく、ボールはゴールの中だったし、オフサイドもなかったし、主審はセンターサークルを指している。1-1。中山が、ゴール裏へ駆けてくる。「オー、ナカヤマ! (フッ、フッ!) ナカヤマ、ナカヤマ、ゴン・ゴール!」。強烈な陶酔。涙も、紙吹雪も、絶叫も、何も見えず、何も聞こえない。すべてがこの瞬間のためだった。スタジアムが揺れている。いや、私が揺れているのかもしれない。

アルゼンチンに涙雨か

雨が降り始めた。再び、アルゼンチンは攻勢を開始した。シュートミスが目立ったロペスに代えてクレスポ。怒れるアルゼンチンは、伝統のラフタックルを連発した。だが、1点を取ったあとに守備固めに入った心理状態から気持ちがうまく転換できないのか、あせりで攻撃がうまく回らない。無理なドリブルを繰り返す悪い癖が始まった。しかも雨で得意の短く速いパス交換の威力が減殺された。シメオネは、見るからにやる気をなくしている。彼は雨が大嫌いなのだ。

引き分けではなく、勝つために

後半の25分を過ぎたころ、 岡田監督は中山に代えて小野、相馬に代えて呂比須。引き分けで満足せず、4-4-2にして、攻撃ののろしを上げた。激しい雨の中、壮絶な打ち合いが始まった。観客は、帰るどころかフィールドに見入っていた。中盤の底から、ベロン、シメオネがどんどんあがってペナルティエリアで勝負する。アジャラはバックラインをハーフウェイまで上げている。日本は、全員が戻ってディフェンスに入った。アルゼンチンが執拗にボールをつなぎ、こぼれ球を拾ってはゴールを襲う。耐える日本。川口が、井原が大声でコーチングする。

守って守って速攻へ

ファーへのクロスをクレスポが頭で折り返してシメオネがシュート体勢に入る。すかさず、山口が体を張る。シメオネはうしろのベロンに出してワンツーを狙って走り出す。しかし、ベロンが右に出すとそこにはサネッティがいた。ダイレクトのセンタリングにバティが走り込んできた。秋田が密着する。ジャンプ! 頭ひとつ抜けたバティのシュートを、川口がスーパーキャッチ。こぼしていれば危ないところだった。息つく間もなく川口が中田へロングスロー。呂比須と城が走り出している。アルゼンチンのバックスの戻りが遅れている。ディフェンスが横一線になって「門」ができているのを中田は見逃さなかった。速いスルーパスがその「門」を抜けていった。城が裏を取った。ロアがゴールから飛び出してくる。1対1! 切り返してゴールキーパーを抜くフェイントに入った城に対して、ロアは体を投げ出すようにしてきた。倒れたのは城。笛が鳴った。フリーキック。しかし、ロアにはイエローカードで済んだ。ブーイングの嵐。中田のフリーキックはゴールバーのわずかに上を越えていった。

ボクシングで言えばノーガードの接近戦だ。ゴールへの激しい渇望が選手たちを駆り立てている。

野人登場

残り時間が10分を切った。アルゼンチンの最終ラインのうしろに広大なスペースを見た岡田監督は、城に代えて岡野を投入。小野がフォワードの位置へ。川口がロングキックをピンポイントで岡野へ。走る、走る。しかし、ロアがペナルティエリアを出てクリア。中田がすばやくスローイン。小野が中田に返して走り出す。中田はチップキックで小野へ、小野はワンタッチで前の呂比須へ。受け手がトラップする前に減速する逆スピンのかかったパスだ。そのまま呂比須がシュート。しかし、ロアが横っ飛びでキャッチ。

小野が狙う

中央をシメオネとオルテガが速いパス交換で抜けてきた。バティが秋田を引き連れてサイドに走る。その隙にシメオネがミドルを打ったが、川口パンチング。そのボールを小野が取って速いカウンター。右サイドの岡野の前へ流すと、自分はそのままゴール前へ。岡野は無人の荒野を駆け上がっていく。チャモが懸命に走って、岡野をサイドに押し込めようとする。岡野は1回の大仰な切り返しで、チャモを振り切って中央の小野へゆるいパス。小野がわずかに体を沈めて、右膝から下を柔らかく素早く振りきる。シュート! ロアがかろうじて当てて前にはじいた。呂比須が突っ込むがキーパーチャージの判定。

ついにキャプテンが退場

雨でいらついているシメオネが、中田にボールを奪われた。怒ったシメオネが後ろから中田の足をひっかけて倒した。バックチャージ。主審が胸から出したのはレッドカード。一発退場だ。抗議するアルゼンチンサイド。場内は一時険悪になった。時間がどんどんたっていく。

本気のアルゼンチン

ベロン、サネッティが前掛かりになった。1人少なくても、中盤のオルテガ、サネッティ、アルメイダ、ベロンが渦巻くようにポジションを変えてトライアングルを作りつづける。日本は呂比須も小野も中田もプレスをかけつづけるが、あざ笑うかのようにボールが回っていく。アルゼンチンはプライドにかけても勝つ気でいた。ベロンがミドルを打つ構えに入ったところに岡野がスライディング。笛。オルテガのフリーキックは壁を回り込んでゴール隅へ。しかし川口がファインセーブして事なきを得る。

マークされつづけるバティとクレスポは、あるいは中盤に下がって飛び出しを狙い、あるいはポストに入って2列目にいいボールを渡してマークをはずす、という動きを精力的に展開した。この時間帯でも、ロングボールをトップに上げるだけというパターンに陥らないところがアルゼンチンらしいところだ。ベロンはもちろん、サネッティやアジャラも遠くからでもゴールを狙う姿勢がありあり。果たして、日本は勝ち点を奪えるのか?

長いロスタイム

ついに45分を過ぎた。ロスタイムは、残り4分という掲示が出た。さっきのシメオネ退場時の混乱の分だろう、長いロスタイムだ。

日本にもチャンスがめぐってきた。井原からの縦パスを小野がダイレクトではたいて岡野を走らせる。たまらず、チャモがファウル。中田のフリーキックをロアが中途半端にパンチング、こぼれを名波がシュート。混雑したゴール前で誰かが足を出した。またも転がるボールを呂比須が取って、左足のアウトサイドでかわそうとしたところへ、センシーニが残った右足を蹴ってしまった。もんどりうって倒れる呂比須。判定はPKとなった。騒然! 沸き上がる日本サポーター、怒りまくるアルゼンチンサポーター。私の回りは日本人が多いとはいうものの、身の危険を感じる。

ああ、中田!

ロアは、時間をかけてポジションに入った。蹴るのは中田。静まり返るスタジアム。無言の祈りが聞こえる。短い助走。キックの直前、中田が動きを止めた。ゴールキーパーの逆をとろうとしたのだが、ロアはしかし動かなかった。中田はインサイドで右隅を狙った。ロアが跳んだ。左手を伸ばす。ボールの勢いが弱い。はじかれたボールは、ゴールをはずれて後ろへと転がっていった。

歓喜と落胆が入れ替わった。主審が時計を見た。

アルゼンチンの猛攻

一転、アルゼンチンが攻勢。バティが、クレスポが、オルテガが、ゴールへと二の矢、三の矢、雨あられとシュートを降り注ぐ。ようやく川口がキャッチして、その瞬間、中田と小野が走り出した。ロングスローが中田にぴたりと合う。中田から左の小野へ。小野はダイレクトで大きくサイドチェンジ。そこには岡野が。その前には無人のフィールド。トラップが大きいが、もはやアルゼンチンのディフェンスは間に合わない。ロアがペナルティエリアを飛び出した。最後のチャンス。

丸いボールのいたずら

岡野はロアを避けて右コーナーへドリブル。雨でボールが滑ってトラップが長くなった。無人のゴールをカバーするためにセンシーニが戻る。ボールがエンドラインを割る寸前、岡野はロアをかわしてゴール前にセンタリングを上げた。落ちてくるボールを、中田とアジャラがジャンプしてせる。ロアが必死で戻る。ボールは、アジャラがクリアしたが、短い。そこに呂比須がいた。しかし、前に走り込み過ぎていた。オーバーヘッドキックの体勢でしか、シュートは打てない。トラップして反転していては、一瞬遅れて、ディフェンスの枚数が揃う。呂比須はジャンプして右足を振り上げた。バック転の頂点で、ミートした感触があった。糸を引くようにボールはゴールマウスに飛んだ。ロアがゴールに駆け戻る。センシーニはゴールの中だ。シュートは、センシーニが反射的に出した左足に当たって、ゴールに向かって走るロアに飛んでいった。しかし、雨に濡れたボールをロアはつかみそこねた。運命のボールはコロコロとゴールラインへと無邪気に転がっていった。ロアが、倒れ込んで押さえたように見えた。そこは、ゴールマウスの中、ライン上だった。

決勝点

スタジアムが、静まり返った。主審が駆け寄った。ボールを胸の下に抱えたロアは、倒れ込んだ時に濡れた芝生にスリップしてしまっていた。果たしてボールは完全にラインを越えたのか? なんともいえない間があって、主審は右手でセンターサークルを指した。ゴール! 2-1で、逆転。激しく抗議するアルゼンチンベンチ。主審は首を振るばかり。立ち上がったロアが、ぶつぶつ言っている。

ミラクル・ニッポン!

騒然とする場内。相手かまわず、あたりかまわず、抱きつき、抱きつかれた。アルゼンチンは怒っているというより、呆然としている。「勝った! 勝った!」フィールドでは形ばかりのキックオフがあり、すぐに長い笛が鳴った。またもや、紙吹雪。客席ではみんなが跳びはね、踊り、叫び、泣いている。「フランス語で、勝ったってなんていうんですか?」誰かが聞いてきた。「On a gagne!(オンナ・ギャネ!)だよ」と教えてあげると、あっという間に広まっていった。「オンナ・ギャネ! オンナ・ギャネ!」。アクセントがでたらめなので「女がね!」と聞こえる。おかしくて笑っているつもりだったのに、あとからあとから涙が出てきて困った。「ねえ、日本が勝ったんだよねえ? そうだよねえ?」と必死で聞いている若い男がいて、「そうだよ! 勝ったんだよ! アルゼンチンに勝ったんだよ!」と何度言われても、また彼は「本当に勝ったんだよね? 僕たち、勝ったんだよね?」と聞き返すのだった。馬鹿みたいなやりとりだったが、それは確かにそういう「信じられない」気分だったのだ。

戦いのあとで

近くから、アルゼンチンファンが歩いてきた。一瞬、緊張が走ったが、危ない雰囲気は感じられなかった。彼は、右手を差し出して「Congratulations. Nice game.」と握手を求めてきた。虚をつかれたが、私も右手を出して握り返した。
「Thank you. It was very lucky for us.」
「The game is the game. The Winner of today is Japan.」
「We Japanese respect Argentina's magnificent football. I wish Argentina National team would win the World Cup 1998.」
「Of course.」
私たち2人は、笑い合った。雨は、いつのまにかあがっていた。

【シミュレーション】「トゥールーズの奇跡」 完

text by Takashi Kaneyama 1998

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