Road to FRANCE PART1 【ワールドカップ・アジア最終予選篇】
チケット発売日

1997年9月23日午前10時 首都圏・某西友内チケットセゾン

今度こそチケットを手に入れる意気込み

ウズベキスタン戦も韓国戦もチケット争奪戦に緒戦で破れ去ってしまった。ウズベキスタン戦は再発売で入手できたが、韓国戦では再発売でも失敗。ぴあ、セゾン、ローソン、CN、サッカー協会、あらゆるプレイガイドにアタックしたが、ことごとく売り切れ。あとはチケットセゾンのインターネット上のワンモアチャンスがか細い望みの綱。

26時間前から並んでいた

この反省をいかし、前日22日から徹夜しようとした私の目の前には、すでに20人以上の列が。一瞬唖然。とりあえず、最後の人の後ろにつく。一番最初の人は朝の8時半だったそう。今が午後の8時半過ぎだから、すでに最初の人は12時間をここで過ごしていることになる。私の考えの甘いことよ。

私はあきらめない

前にここのチケットセゾンのお姉さんに聞いてみたところでは、韓国戦は19番目まで取れたそう。しかし、今並んでも、すでに20数番目。いやいや。ここで引き下がるわけにはいかない。新聞紙をひき、持参のクッションの上に座る。私が並び慣れていないのはひと目でわかる。他のみなさんは毛布や寝袋、ディレクターズチェアをしっかり用意し、携帯電話はもちろん、携帯テレビ、ウォークマン、ポット、文庫本など抜かりない。

並ぶ人はみんなサッカーが好き

私の前の人は彼女と二人。Oさんとしておこう。先頭のNさん、20番目くらいのYさんと、サッカー談義に花が咲く。韓国戦は朝の6時に並んで取れたらしい。悔しい。

差し入れに泣く

しばらくして、なじみの焼鳥屋へ行く。腹ごしらえにビール2本。ここでは昔のサッカーの話に花が咲いた。早々に引き上げて並んだ定位置へ。席を見ていてくれたOさんたちに焼き鳥をおみやげにする。そうこうしているうちに、これもなじみの飲み屋のおじさんが「差し入れ」といって缶ビール、缶酒、缶水割りに柿ピーナッツをくれる。涙が出るほどありがたい。さっそくOさんたちと飲む。彼らは日本酒1升をもってきている。

途中、自主的に点呼。途中でやってきて合流するズルはいけない、ということで一致。11時、これまたなじみのスナックにトイレを借りにいく。

ぼんやりしていたら、さっきの焼鳥屋のお兄ちゃんが「これ!」といってたこ焼きをくれた。「頑張ってな」。親切が身にしみる。1時半、駅員が「明かり消してもいいかい?」と聞きに来た。「え? つけててくれるの?」という声があがると、「いいよ」。「やった!  駅員さんもサポーターだ!」。

寒さがつのる

酒盛りも終わり、スリープタイムになっている。毛布も上着もなく半袖のシャツの私は寒さにやられる。実に読みが甘い。私のところには缶コーヒーの差し入れが。寝転がっている頬に冷たいものがあたった感触。友達は持つものだ。

3時、再びトイレ。松屋の牛丼でおなかを暖める。隣は寝袋、反対側の隣は毛布。私は新聞紙の上で、腕を組んで寒さをしのぐ。4時半、駅があいた。休日の早起きは釣りかゴルフか山登りか。私たちはそれぞれの方向に寝転がって、知らない人が見たら異様な集団だろう。

夜が明けて雨が降る

おなかが冷えたらしい。急性の下痢。130円の切符を買って駅のトイレへ駆け込む。構内は暖かい。しかし、またもや所定の位置に戻って横になる。夜は明けた。しかし、暖かくならない。なんと、雨が降ってきた。私の次の列までは駅の屋根があるが、後から来た人は西友のシャッターの下にかろうじて逃げる。

まもなく開店

8時半ごろ、店のシャッターが上がり始めた。そうじのおじさんが、そうじするから、どけという。雨が降ってるのにあんまりだ。Nさんたちが掛け合って、自主的にきれいにするから、ということで納得してもらう。Nさんによれば、22日の朝の開店の時点でチケットセゾンに、明日はよろしくお願いします、と念を入れているそうだ。「ここのお姉さんのキーパンチは速いよ。気合い入っているみたいだし、結構いけるかもしれないよ」と気を持たせることをいう。

「どの席でもいいです」

9時、そのお姉さんが出社。申し込み用紙を配る。「希望の席種がなかったら、次の席種ということでいいですか?」との打ち合わせが成立。「指定とか自由とか言ってる場合じゃない」と一同、意見が一致。とにかく、チケットが取れれば、どこでもいい。すでに70人以上が並んでいる。人数を見て帰った人も多いようだ。

緊張の30分

9時25分、店内に入る。順番に立って並ぶ。申し込み用紙が順番に回収され、キーパンチに回される。全員、臨戦体制。ちょうど私が27番目。ボーダーか。全くダメか。緊張して涙がにじんできた。気が気でない。ピリピリした雰囲気が漂う。10時10分前、アナウンスが流れた。「チケットをお待ちのみなさま、担当者も一生懸命発券いたしますので、どうぞお静かにお待ちください」。一生懸命のくだりで笑いと拍手が起こる。そう、みんなサポーターなのだ。日本代表を思う心は同じなのだ。

チケットがプリンターから

開店5分前、そして1分前のアナウンス。10時。その時。プリンターがジーッと印字を始めた。みんなの耳が、プリンターの心地よい機械音に集中する。順調にプリンターがチケットを発券していく。10時10分。まだ、発券はつづいている。もうすぐ10時20分という時に、プリンターの音が止まった。「止まった!」と小さい悲鳴が走る。ピリピリとチケットが順番に待っている人へと配られていく。チケットの束から、どんどんチケットがなくなっていく。

果たしてチケットは回ってくるのか

Yさんが、自分の番でバッテンマークを送ってきた。「カザフスタン戦、もうなし」。溜息のさざ波。しかたない。「カザフ戦なんて、消化試合さ!」という声がそこここであがる。残っているのはUAE戦のみ。あと何枚だ? 私は自分の分と、友達の夫婦の分の3枚。Oさんが4枚を二人だと8枚。

ボーダーライン

やっとOさんたち二人の番になった。「もうAの自由席はなくて、SAの指定席しかありません。どこがいいですか?」といって3枚つづきと5枚つづきが差し出された。計8枚。「じゃあ、ここ」Oさんは5枚つづきから2枚とった。彼はこっちを向いて「ありましたね!」。私は自分が見ているものが一瞬信じられなかった。ある。確かにある。

目の前にチケットが

お姉さんが「SAしかないんですけど」というのもほとんど聞かず、「ええ、どこでもいいんです」。3枚。私の次の女性二人は2枚。「あと1枚です」という声に、どよめきが起こる。カードで払い、店を出る。結局29番目(申込用紙の順番。並んだ人は31人目)まで、UAE戦が取れたことになる。セゾンのお姉さんは偉い。それでも、並んで取れなかった人からは恨みの言葉が出る。

もう1試合の分

私は雨の中を走っていった。カザフ戦も、最後まであきらめないぞ。ampmのなかのCNプレイガイド。人はいない。受話器を取る。一発でかかった。案の定、「カザフ戦もUAE戦も売り切れです」。公衆電話へ。ローソンのLコード特電へかけること30分。ようやくつながったが、「完売いたしました」の無情のアナウンス。結局、1勝1敗。いまごろぴあで取れるわけがない。サッカー協会も、インターネットで確認したところでは、早い時間に売り切れたらしい。第一、ここは回線が少なくて滅多につながらない。

フランスへの道を見届けることの方が、フランスに行くことよりも難しいかもしれない。ワールドカップ予選チケット争奪戦狂想曲は、こうして幕を閉じた。

text by Takashi Kaneyama 1997

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