Road to FRANCE PART1 【ワールドカップ・アジア最終予選篇】
日本対韓国

1997年9月28日 東京・国立競技場

決戦の日

気温22度。微風。霞ヶ丘は燃えている。

落ち着かない

一週間前から、気になってしかたがない。日本にとって韓国は永遠のライバル。そしてフランスに行くためには倒さねばならない相手。私は仕事どころではなかった。日に何度も「サッカー日本代表を応援するホームページ」を見ては、新しい情報を仕入れ、やはりそわそわしてしかたがないサポーターたちの書き込みを眺めては「あと5日」「あと4日」とカウントダウンしていく日々が過ぎた。家ではホームページ開設準備の追い込みに入っていた。目標では韓国戦の28日にオープンする予定だ。

ホームページ制作大詰め

そしていよいよ前日。私は徹夜でホームページのコンテンツを詰め、リンクを確認し、ついに朝7時、アップロードの準備に入った。Fetchを起動する。new connectionのウインドウが開く。ところが接続した時点で「conenection was rufused」のメッセージが出てHostにつながらない。いくどか設定を変えてトライしてもダメ。プロバイダにメールで問い合わせを出す。あきらめて、眠れないままに部屋の掃除をし、新聞を読んだ。シャワーを浴びて気分転換。韓国戦まであと6時間。このとき、実はコンピューター障害でプロバイダのFTPサーバが10時50分までダウンしていたことを知らなかった。せっかくのホームページが理由不明でアップできない。11時。韓国戦まであと3時間。もしかしたらの一縷の願いをこめて、またFetchでアクセスする。そうしたら、refusedのメッセージが出ない! やった! フォルダごとputする。犬が走る。待つことしばし。完了。Fetchをcloseして、Netscapeを立ち上げる。いよいよ。ところが、アドレスを入力しても開かない。「You don't have permission to access........」のメッセージ。また考え込んでしまった。しかし、もう時間がない。また、プロバイダにメールで問い合わせる。だが日曜日だから返事は明日だろう。韓国戦まで2時間半。

準備万端

クリーニングや買い物の用を済ませ、昼食も終えて帰ってきたのが12時30分。日本代表のユニフォームレプリカに着替える。ビデオのセットを確認。得点したら振り回す代表バンダナを用意する。涙が止まらない時のためにティッシュとタオルを手元に置く。一緒に見るはずだった、私にサッカーを教えてくれた師匠は、結局別のところで観戦するという。午後1時。すでに頭の中が真っ白になっている。

キックオフ

1時50分。テレビ中継が始まった。スタンドのそこここに青いビニール袋が。インターネットで広まった「大作戦」だ(詳しくは「サッカー日本代表を応援するホームページ」を参照)。選手入場。紙吹雪が舞う。大きな歓声。わけがわからないが、涙がにじんできた。先発に呂比須(ロペス)が入っている。フォーメーションは4-4-2。加茂監督は勝負に出てきた。韓国は3-6-1の守備的布陣。韓国のキックオフで試合開始。早くもフリーキックのピンチ。名波がクリア。相馬の上がりでコーナーキックのチャンスもあったが、韓国の逆襲、速攻の切れ味がいい。かろうじて中西がクリアしたり、ヘディングがゴール上へ飛んだりしてしのぐ。カズ、呂比須、中田、名波には厳しいマークがついている。カズとマークしているディフェンダーとがこぜりあい。雨が降ってきた模様。スタンドからは大きな声援が聞こえる。中西が中央で倒れた時、気づいた韓国選手がボールを外に出す。お返しに日本はスローインを韓国サイドへ。紳士的プレーに拍手が起こる。

韓国の狙い通りの展開

結局、前半は0-0で終了。リベロのホン・ミョンボにフリーでミドルシュートを打たれたり、決定的場面は韓国の方に多い。カウンター狙いで、中盤でボールを奪うと、すばやく左右から上がって外にボールを開き、精度の高いクロスを中央にあげてくるのは韓国のお家芸。果たして日本は大丈夫だろうか?

ボールはポストをたたく

後半から日本は中西に代えて名良橋を投入。中西はディフェンスでよく貢献したが、右サイドであまりチャンスメイクができなかった。交代で日本のリズムが良くなる。10分ごろには、左サイドから最後は相馬のシュートがゴールポストに当たる。惜しい! 呂比須がスライディングで飛び込むも間に合わない。あそこは待っていたら、跳ね返りのボールを蹴り込めたかも。次は、タックルした小村を韓国のディフェンダーが押し倒し、イエロー。これは理解できるが、小村にまでイエローが出た。喧嘩両成敗ということなのか、理解に苦しむ。

ゴール! ゴール! ゴール!

韓国も選手交代。チャン・ヒョンソクからチェ・ソンヨンへ。速攻やパスミスからシュートを打たれるなど、心臓に悪い。この時間帯は日本にとって危ない場面がつづく。中盤から山口が上がる。ゴール前、ディフェンダーに囲まれる。すると、軽く浮かせたループシュートがきれいな曲線を描いてキーパーの頭上をこえた。スローモーションのように、ボールがゴールネットを揺らした。「入った! 入った! 入ったぞう! 山口えらい!」このあと、日本はいいリズムでペースをつかむ。もう1点入りそうな気がしてきた。しかし、フィニッシュまでなかなかいかない。残り20分弱で呂比須に代えてディフェンダーの秋田を入れる。3-6-1カズのワントップにして守備固めか。

選手交代の明暗

韓国も選手交代。山口のゴール前にイ・サンユンを、ゴール後にキム・デイをピッチに送り出した。俄然、韓国が押し気味になる。日本のスリーバックが下がり過ぎて、中盤ががら空き状態。プレスがまったく機能していない。圧倒的に韓国が攻めまくる。ついに同点。サイドを割るかに見えてボールを必死で追った韓国がクロスをあげ、折り返しをソ・ジョンウンがヘッドでゴール。1-1。一瞬のスキをつかれた。どうして、あきらめずにボールを追っていかないのか。

日本はフォワードの西澤が交代の様子でサイドでゲームが切れるのを待っている。しかし、韓国、イ・ミンソンの左足のミドルシュートが決まってしまった。ここで本田に代えて西澤。残り3分。「上がれ! 上がれ!」しかし、日本はボールをキープできない。最後のコーナーキックもだめ。名良橋のロングシュートはキーパーがキャッチ。試合終了。

まさか

呆然。その時、私の耳に聞こえたのは「ニッポン! ニッポン!」というコールだった。そう、日本はまだ死んではいない。苦しいとき、負けている時に応援するのが真のサポーターだ。私は阪神ファンだから、勝っている時だけ応援に来る人より、負けが込んでいるときにも声援を送る人が好きだ。「ニッポン! ニッポン!」そうだ、この私がついている。

それでもフランスへ

私にはやることがあった。インターネット上の掲示板に、UAE戦の切符と、韓国戦、カザフスタン戦のチケットを交換したい旨の書き込みをして、結局、韓国戦はダメだったが、私のUAE戦のSA席2枚プラス差額と、カザフスタン戦のS席2枚を千駄ヶ谷の交番前で交換する約束になっている。これで、国立の4戦のうち、3戦に行けることになる。5時過ぎ、無事交換。「残念でしたね」と言われたのに、「いいや、まだ5試合もあるんです」と答えた。フランスへの道はまだまだつづく。私は胸をはって、日本代表のユニフォームレプリカを着たまま、家路についた。

ついにホームページが

晩飯を喰い、居酒屋に寄って酒屋でビールとラムを買った。再びマックに向かう。思いついて、index.htmlだけアップロードしてみた。すると、Netscapeに出た! もちろん画像やリンクは入っていないが、これで原因はつかめた。フォルダの中に入っていたindex.htmlを引き出し、画像ファイルのソースとリンクをやり直した。アップロード。Netscapeについに私のホームページが現れた。心配していたアクセスカウンタもちゃんと表示されている。やった! 午後9時45分。夢中で自分のページをクリックしてリンクを確認する。思い通りではない部分もたくさんあるが、ついにこの世に情報発信の足場を持ったのだ。9月28日。そして、日本はあと5試合を戦う。韓国とももう一度対戦する。私はさらに炎となってこのサポーター日誌をつづけていく。フランスへ、行くぞ、ニッポン!

text by Takashi Kaneyama 1997

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