Road to FRANCE PART1 【ワールドカップ・アジア最終予選篇】

サッカーを愛するすべての人へ

いくつかの報道を総合すると、日本代表対アラブ首長国連邦代表の試合終了後、一部の観客が発煙筒を含む缶や瓶などを投げ込み、ピッチには2人降り、スタンドに座り込む他、選手の乗ったバスを止め、卵を投げつけ、パイプ椅子まで放り込むという乱暴狼藉を働いたそうです。私は、試合終了後、代表への「ニッポン!」コールを見届けて帰途につきました。したがって、暴動に近い状態であるとは思いつつ、それが本当に暴動になるとは思わずに帰りました。

私はサッカーを愛するすべての人に訴えたい。サッカーはあくまでもスポーツであり、フェアなプレー、フェアなジャッジ、フェアな応援が前提です。人間のやることだから、誤りもあるでしょう。しかし、それでもなおかつ、ルールとジャッジには従わなければなりません。ルールに則ったゲームこそ、スポーツの本質であるからです。

審判へのブーイングなら、確かに私もやりましたし、後半のロスタイムは明らかに短すぎると思います。しかし、レフェリーの決定は絶対であり、それが定められたルールです。抗議の意志を示すことは自由ですが、それで決定はくつがえりません。ましてや、場内へ物を投げてしまう行為は、秩序を破壊し、サッカーのサポーターへの軽蔑を招くだけでなんの利益もありません。発煙筒などはもってのほかです。はじめから用意している者がサポーターの中にいたことを考えると、憤りを通り越してショックですらありました。

さらに、戦った選手への暴言や乱暴にはなんの益があるのでしょうか。日本代表という重いゼッケンを背負って戦う選手たちを支えるのが、文字通りサポーターのはずです。試合内容がふがいないと思うなら、違う表現形態を取るべきででしょう。たとえばインターネット上の掲示板に意見を書き込むことで意志を表明できる時代になりました。選手たちのバスに物を投げて、本当に気が済むのですか? 無条件で代表を応援しろとはいいません。公平な批判は許されるはずだし、むしろ、おおいに意見を交換すべきでしょう。

繰り返します。「暴動」は「妄動」であり、サッカーへの偏見を助長するだけです。サッカーを愛してやまないからこそ、日本代表を思う気持ちが強いからこそ、こんな愚挙はすべきではありません。愛情のゆえなら破壊が許されるなどということは、決してありません。サッカーを愛する人の輪を広げるための努力が、ひいては、日本代表を強くするための努力が、一部のはねあがりのために水泡の危機に瀕しています。

サッカーを愛するすべての人へ。それでも、サッカーへの思いを止めないでください。サッカーは、すべての人に開かれています。日本のサッカーを強くするために、底辺を広げましょう。サポーターを、日本のサポーターを、私はそれでもなお、信じています。ジーコをも感激させた、あの初戦のウズベキスタン戦のように、サポーターの熱い思いは、確実に日本を変えつつあるのです。

もう一度、初心に帰りましょう。サッカーボールを最初に追いかけたあの日へ。日本のサッカーを、日本のサポーターを誇りに思うために。私からの願いです。

text by Takashi Kaneyama 1997

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