Road to FRANCE PART1 【ワールドカップ・アジア最終予選篇】
24時間前

日本対イラン、午後9時(現地時間)キックオフ予定。日本時間の16日午後10時、いよいよ運命のゲームが始まる。

payback time

思えば4年前、カタールの最終予選を日本は2勝2分1敗で終えた。その、唯一の敗戦がイランだった。前半終了間際のフリーキックから失点し、後半ディフェンスラインを上げて攻撃的にした日本の裏を突いてオフサイドぎりぎり(というよりは、審判がオフサイドをとってくれなかった)のプレーで追加点を取られた相手こそ、アリ・ダエイだった。日本は角度のないところから、中山のゴールで1点返したがついに及ばなかった。あの時、ゴールネットからボールを拾って全速力でセンターサークルにボールを置いた中山の闘志あふれるプレーを思い出す人も多いに違いない。そう、ついに借りを返す時がやってきた。

戦争の傷跡

ジョホールバルという地名にはたと思い当たる人はもはや少ないだろう。1941年12月8日、マレー半島に上陸した日本軍は短時日にシンガポールを攻略した。その時の激戦場こそ、シンガポールの対岸のジョホールバルだった。地形すら変えるほどの砲撃だったという。そして、日本軍の占領下で対敵協力者狩りが行われ、陰惨な虐殺が行われた。侵略戦争の恥部である。

ラーキンスタジアムに「ジャパン!」の声が響く

しかし、現在のマレーシアは非常に親日的らしい。ワールドユースサッカーで日本がガーナと戦ったのがここジョホールバルのラーキンスタジアムだった。体格で圧倒的に劣る日本が、1点差を必死に追いかけたこの試合は地元の人に強烈な印象を与えた。結局、後半追いついた日本は延長戦で力尽きた。フォワードに柳沢(鹿嶋)、ミッドフィールダーに中村(マリノス)、ディフェンダーに宮本(ガンバ)と逸材が揃ったチームで、本選ベスト8進出という結果を残した。オリンピック代表が28年ぶりの出場を決めたのは同じマレーシアのクアラルンプール・シャーアラムスタジアム。マレーシアは、日本サッカーにとって歴史的な聖地になるかもしれない。

ワグナー少年の夢

呂比須のお母さんが亡くなった。彼が小さいころ、サッカーボールが買えずに靴下に紙を詰めて遊んでいたという。内職のお金でスパイクを買ってもらった時は、嬉しくてぼろぼろになるまではいていた。お母さんの苦労にこたえたい。少年は17歳でサンパウロFCにプロ入り。やがて日本に渡って最初に日産自動車で活躍する。その時の監督が加茂周だった。サッカーをやる者みんなの夢、ワールドカップでプレーしたい。それを、日本でかなえたい。代表入りしたい、そのために帰化を決意する。日本人になりたかった、サッカーばかの男、呂比須。「母の、たとえ体がなくなっても、魂はきっと見てくれている」そう、呂比須は語ったという。ブラジルにも帰らず、チームと行動を共にする呂比須。ワールドカップに出ることがどれだけ重いことか。

イメージトレーニング

私はといえば、もう寝ていられず、「韓国対日本」のビデオを見始める。41時間前。名波と呂比須のシュートを繰り返し見て、得点シーンを組み立てる。いよいよカズが噴火するか。あるいは北澤のゴールが見られるか。いくつもの惜しい場面から想像する。中田のダイビングヘッド。呂比須のオーバーヘッド。

敵を研究

15日午後7時から、BSで「カタール対イラン」を見る。2-0でカタールが勝った試合だ。イランはこれで0-1、0-0、0-2と3試合連続無得点、1分2敗と泥沼に落ち込み、監督が解任された。たしかにフォワードのアリ・ダエイはいい。高さもあるし、振り向きざまのシュートも速い。しかし、2トップをくむアジジが不調で、途中交代。1人で孤立して下がってボールをもらいに来るシーンもしばしば。ダエイへのパスの供給源をカットすれば、恐くない。しかも、その中盤のバゲリは出場停止。

必勝法

カタールのディフェンスも参考になる。ラインをこまめに上げ下げしてダエイをオフサイドに引っかける。中盤から積極的にチェックして、楽にパスを回させない。また、イランのディフェンスには弱点が多い。ディフェンダーにはスピードがなく、裏を突かれるとタイミングが遅れる。また、ボールを見て人を見ない瞬間があり、ゴール前での早いサイドチェンジが効果的だ。またバゲリがいないので、守りに高さがなく、せりあいに活路が見いだせる。セットプレーにも弱そうだ。日本はカザフスタン戦でセットプレーから3点をもぎ取っているだけに、狙いどころ。

あと24時間

いよいよ、あと24時間。胸がどきどきする。明日。日本サッカーの歴史が変わる。

text by Takashi Kaneyama 1997

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