Bon Voyage! HOME > PRIVATE DIARY > 2002年3月24-31日

迷狂私酔の日々


ここから前は「哀愁のヨーロッパSPECIALダイスをころがせ!」(2002/03/05-24)にて。

3月24日(日)

深夜に帰宅。そのまま、着替えただけで某所へ。「4試合だけ? イタリアだけ?」と罵声を浴びつつ、午前4時過ぎまで飲む。

3月25日(月)

この週は実家に帰って法事と起工式(地鎮祭)をこなさねばならない。さらに、工事代金の第1回の支払い期日は今月中なのであった。あたふた。

代金捻出のために保有株式の一部を売却する予定なのだが、なかなか指し値まで上がってくれない。今日も売れず。ううむ。悩む。

風呂入って洗濯して、という旅行後の至福のとき。銀行で記帳し、旅先で引き出した際のレートを確認。冷蔵庫に備蓄がないので、近所のスーパーで買い出し。

夕方、旅道具をしまい、おみやげを分類し、旅行中にたまった書類を整理する。いくつか、メールやらFAXやら。

留守中には「愛人1号」に週1回ほど来てもらって郵便物の受け取りやら観葉植物の水やりやら換気やらを委託しているので、非常に助かっている。というか、彼女がいないと出かけられない。感謝。

【注意】しかし、「本当の愛人」ではなくて、ただの呼称なので、誤解しないように>関係各位。

3月26日(火)

悩んだ末に指し値を下げて売却指示。で、売れたかどうか確認できないまま、新幹線で実家へ帰る。

すでに姉とその息子(つまり私の甥だな)が来ている。姉は明日帰るが、甥はこのまま置いていく、という。つまりは、私が世話するのかい。

3月27日(水)

法事、というのは昨年亡くなった祖母の一周忌である。本当は5月だが、家を建てる前にすませる、ということで早めたのだ。しかも、地鎮祭の関係でさらに数日早める。何回も新幹線で往復しなくてもいいようにスケジュールを調整したのだ。両方とも大安とか先勝とかを気にするイベントなので、けっこう大変なのだ。

10時半から読経ではあるが、9時過ぎには身支度を整える。で、やっぱり9時20分頃からお客様がいらっしゃるのである。さすが田舎。

自宅にて読経のあと、墓参りをして、料理屋の2階で精進落とし(つまり宴会)という手順なのだが、歩ける距離なのに自動車を使うのがここでは一般的。

なお、私はいちおうご挨拶をしないといけないのであった。しかし、田舎のこういうイベントには30年以上も出ていないため、非常に簡単に済ませる。そのあとは、いちおう酒を注いで歓談する、というオトナのつきあいをしないといけないのだが、それも早々に引き上げてあとは小学生2人と遊ぶ。

ようやく終わってから、仮眠。電話にて株数を確認して売却されたことを知る。

夜、甥と一緒にポーランド対日本をテレビ観戦する。

「よし、先制! どうだ、おじちゃんが言った通りだろう」
「そこでサイドチェンジ! こういうプレーができるなんて進歩したなあ。おじちゃんが指導したおかげだ」
「これはいかん。そこはボールをキープだ。2点リードなんだぞ。まだまだ意識が低い。もっとおじちゃんが言わないといけないな」

と、親切な解説をほどこしたのに、甥は冷めた目で私を見るのである。

3月28日(木)

株式は売れたが、金を引き出せないし、振り込めない。甥を引き連れて近所の郵便局とコンビニを回るも、やっぱり提携していない。

そこで銀行に電話。最近の流行で、オペレーターにつながるまで時間と手間がかかる。で、そこの支店は近所になく(それはインターネットで調べた)、提携銀行の支店もコンビニも近くにない。なお、テレホンバンキングやネットバンキングでは上限金額の関係で手続きできない。ちなみにその上限金額の変更はすでに申請しているが、登録はいったん手続きの書式の郵送を待ってから、記入・発送しないといけないので時間がかかる。ううむ。

というわけで、施工会社に電話する。不在ということなので、折り返しの電話を依頼したら、なんと直接こちらまで出向いていらした。「近所ですから」とはいうものの、東京のビジネス感覚とはかなり違って、いいフットワークの軽さである。

振り込みが東京に戻ってからになるので来週になることを了解してもらい、せっかくなので、地縄を張った建設予定地を見て現地打ち合わせ。とにかく冬の積雪をどうクリアするか、が最大のポイントなので、庇から境界線までの距離を取る。敷地が北にいくと狭くなる台形なので、少し振って正面がほぼ南面するようにする。

とくにやることもないので、甥を弄んで過ごす。

「サル? 人間? 早く人間になりたい?」
「頭のなかが納豆だろ。あ、ねばねばする」
「小学校を卒業できるのか? できなくとも大丈夫だぞ。頑張れ、小学校中退」

しっかり言い返すので、漫才のボケとツッコミのようで楽しい。本当に仕込んでやろうかしらん。

3月29日(金)

11時より起工式(地鎮祭)、という日。9時過ぎからテントの設営。やがて宮司もみえて、施主、設計、施工の3者が揃って儀式である。このなかで、もっとも不慣れなのが当然施主なのだが、いちおう施主が中心なので、玉串の供え方をならう。

甥をカメラマンに任命して式に備えたが、案外小心者で1枚しか写真を撮っていない。そのあとの写真も遠くからか、後ろ姿か、である。もっと鍛えねば。

宮司は笙(しょう。雅楽の楽器で笛の一種)も自分で吹く方で、式の進行も整ったものであった。式のあと、現地にて設計、施工、施主の合議にて地縄を変更して張り直し、その後そば屋で会食。

このなかで、設計者のみに積雪地帯の経験がないため、私が「家の回りの雪のつもり方」を図解して、ご理解いただく。施工の方々には「設計者の図面が万能ではない」ので、いろいろアドバイス・指摘などいただきたい旨を伝える。

施主と設計者が友人同士で東京在住のため、現地の施工会社ではなにかと気遣いや遠慮があるかもしれないが、実際には作る人が一番のエキスパートなのである。建材もプレカットではなく、現地で墨付けをするそうなので、期待が高まる。

その後、甥を引き連れて新幹線に乗って帰宅。コイツは、ウチに泊まっていくつもりらしい。それも2泊も。ふてえヤツだ。

しょうがないので、キーマカレーと雑炊で夕食にし、早々に甥を寝かせて自分は某所へ。実は、書留を預かってもらっているのだ。某氏がちょうど帰ろうと立ち上がっているところへ「インテルは・・」「ユヴェントゥスは・・」「ポーランドは・・」とサッカー話で延々引き留める。

3月30日(土

朝からオムライス。2人分だ。

天気がいいので、歩いて善福寺公園へ。恒例のキャッチボールを軽くやる。今回は私が投げて、甥が走るパターンだけで練習を構成した。これなら楽だ。

すでに桜は散りかけ。しかし、八重桜は本数が少ないがきれいに咲いている。そうこうするうちに買い物を思い出し、吉祥寺まで歩いて西友内のMUJIへ。せっかくなので井の頭公園にも回る。こちらは桜はほとんど散っているが人混みが満開。早々に引き上げて歩いて帰る。

部屋に入ったとたんに、甥が「疲れたー」と、大げさに寝ころぶ。叔父が料理しているというのに、なんたることか。なので、「レモンとバターを買ってくるように」と言いつける。

作っているのはイチゴのジャムである。これは備蓄用。夕食には、「レモンチキンのオーブン焼き、ピザ職人風」。だいたい、トマトと溶けるチーズを使えば「ピザ職人風」という名前をつけていいみたいである。これにスパムとキャベツのスープ、プレーンなスパゲティ(ほぼペペロンチーノと同じ)。

なんでこういうメニューになったかというと、ご飯を炊くのを忘れたからである。でも、うまかったからいいだろ。

3月31日(日)

朝から掃除。当然、甥をこき使う。しかし、平面をグリッドで区切って拭くという発想がなく、適当にバタバタやっているので、幾何学を講義。さらに掃除機の疲れない持ち方を指南。自分でやった方がずっと早いぞ。お前はやっぱりサルだ。いや、できそこないのロボットか? ちょっとしゃべってみろ。よくできてるねえ。ちょっと歩いてみて。おお、2足歩行だ。しかも音声認識もする。どこのメーカー? ソニー? ホンダ?

そうこうするうちに腹が減ったので、オムレツとトマト、挽肉野菜炒めで朝食。うちの朝食はかなりヘビーなのだ。甥にトマトを切らせる。何も言わずに「タテに4つに切る」と指示したら、迷ってやんの。ウワハハハハ。

昼食はトーストに昨日作ったイチゴジャム。それに紅茶。ウチの飲み物は温かいものはジャスミン茶か烏龍茶か紅茶がメインなのである。冷たいものなら牛乳と野菜ジュース。コーヒーは気が向いたとき。

なお、我が家ではビールは「ソフトドリンク」に分類されていて、単価が高いためにあまり飲まれない傾向がある。

帰省していたために買えなかったが、Jリーグもtotoもある。仙台がまだ連勝している。今日も試合終了間際にPKで同点に追いついて延長へ。しかし、地震が起きて津波警報が出たため、試合中継が中断。わやじゃ。

甥がやっと帰ることになった。明日が登校日らしい。もしもそれがなかったら、ずっとウチにいる気かい? そういうことなら、もっと家事を仕込むことにしよう。

深夜、某所へ。また4時まで飲んでしまう。


最新の「迷狂私酔の日々」へ
2002年3月1-4日の「迷狂私酔の日々」へ戻る
2002年4月上旬の「迷狂私酔の日々」へ進む
過去の「What's New」という名の日記へ

All Rights reserved by (C) Takashi Kaneyama 2002