Bon Voyage! HOME > PRIVATE DIARY > 2001年10月上旬

迷狂私酔の日々


10月1日(月)

吉祥寺へ行って「ラッシュアワー2」を観る。雨だったのですぐ帰る。こんな天気で傘も持たずに外出するのはアホだろう。

しかし、雨なのに洗濯して風呂入って昼寝。

10月2日(火)

懸案の保証書やマニュアル類の整理を始める。仕事場の床であぐらをかいて作業していたら、立てなくなった。両膝にずっと重い資料を載せていたので股関節が伸びてしまい、膝が閉じない。数分間ほどの苦悶ののち、地道なストレッチングでようやく関節が戻る。立ってから、リビングにて股関節のリハビリ。外に開いてしまったので、内側に戻す。

そんなこんなで夕方になってしまった。

渋谷にて打ち合わせ。

ついでに、CDになったというFIFA ANTHEMを捜索。店を3軒回って渋谷を1周。ようやくゲットした。ふうう。ついでに日本代表の携帯ストラップも入手。

レイトショーの映画に行く。開映時間を30分も勘違いしていて、あせってたどりついたら余裕だった。グルジアワインの試飲まであった。で、「不思議惑星キン・ザ・ザ」を観る。正確には、惑星の名前は「プリュク」で、「キン・ザ・ザ」は星雲の名前なんだけどね。

深夜に某所にて飲む。

10月3日(水)

映画の日。新宿にて「ウォーターボーイズ」。これが人気でほぼ満員。HANDSで買い物のあと「ファイナルファンタジー」。

帰ってからテレビにてリーガ・エスパニョーラのガリシア・ダービーであるデポルティヴォ・アコルニャ対セルタ。なかなかの好ゲーム、というよりは両チームともレベルの高い、しかも積極的な攻防で今季一番の好ゲーム。

しかし、デポルティヴォのマニュエル・パブロがタックルに脚をはさんで骨折。しかも、画面で見てもすぐにわかる、スネの途中から足がブラブラしている状態で非常に痛々しい。タックルに入ったジオバネラは、そのあと泣きそうな顔でプレーしていた。それでも、チーム同士は乱闘にもならず、サポーターも平静だった。みんなが、悪意はなく、アクシデントだったことを理解しているからだ。試合後のインタビューでジオバネラは「悪意はなかった。人生で最悪の日だ。できるなら代わりたいくらいだ」と泣いていた。

試合後、病院に見舞いに行ったジオバネラをマニュエル・パブロは「悪意のなかったことはわかっている。気にするな」と逆になぐさめたそうだ。スペイン代表の右サイドバックとして、Korea/Japanに来れるように回復することを祈る。

深夜、昨日とは別の某所で飲む。

10月4日(木)

さて、web siteを運営しているといろいろなメールが来るものだが、呆れるものも多い。「聞く前に自分で調べろ」「聞くなら聞き方があるだろ」「自分の名前くらい書け」などなど、そんなこと書かないけどあまりに失礼なメールには応答しませんのでよろしく。

日本対セネガル。たぶん、この試合は「惨敗」で片づけられると思うが、課題が明確になったという意味では面白かった。中田ヒデのいるいないは、まったく関係ないだろう。まあ、私はモロッコとエジプトをけ落としたセネガルの戦力を観たかったのだが。アフリカ勢はフィジカルが驚異的過ぎて、個々のプレーが分断されてチームとして機能しない場合が多いのだが、セネガルはバランスが取れた好チームである。

10月5日(金)

以前書いた原稿の掲載誌が来ないのでメールで問い合わせる。5月に書いた隔月刊誌のものなのだが。

映画に行こうかと思ったが、開映時間を勘違いしていてタイミングを逸す。吉祥寺で買い物して、帰って風呂に入る。風呂場に置いている防滴型ラジオのボリュームが壊れていて、大音量になってしまう。でも、いいか。

東京へ転勤の旧友の歓迎会で大久保へ。実は私が幹事である。最後に「背骨鍋」が出てきて、時節柄往生した。

10月6日(土)

洗濯槽と風呂の循環パイプを酸素系洗剤で洗う。その間、マリナーズ対レンジャーズをつらつら見る。

香を焚く。手持ちぶさただったので、蝋で残りの香を燃やそうとしてテーブルを見事に焦がした。まるでサンスクリットの焼き印に見える。

某氏から「夕方飲まない?」と誘いの電話。というか、明日ウチで飲み会するメンバーなんだけど。でも、結局はいつもの事務所のテラスにてパーティである。

10月7日(日)

本日未明、ワールドカップ予選が大詰め。ヨーロッパでは各グループの最終戦が行われた。予想通りロシア、デンマーク、イタリアが各グループの首位に。イングランドはそら見たことか、ギリシャに大苦戦の末にベッカムがロスタイムにFKを決めて引き分け、ドイツがフィンランドに引き分けていたのでギリギリで出場決定。クロアチアは地元でベルギーに1−0で辛勝して順位を逆転して1位突破。ポルトガルはエストニアに大勝して1位通過。すでに決まっているポーランド、スウェーデン、スペインと前回優勝のフランスと併せてヨーロッパからは10チームが決定ということに。

なお、オーストリア選手の一部が「行かない」とゴネていたイスラエルでのオーストリア戦はシベリア航空機墜落事故もあったために延期に。プレーオフはドイツ対ウクライナ、ベルギー対チェコ、ルーマニア対スロヴェニア、トルコ対オーストリアまたはイスラエル、アイルランド対アジア3位ということになった。主な出られないチームにはオランダ、ユーゴスラヴィア、ノルウェーなど、個人的に残念なのはスコットランド、ギリシャ、ブルガリア。

ということよりも、本日はウチで「Asian Cafe」というテーマでパーティをするのである。しかも、まだメニューを決定していない。もちろん仕入れも仕込みもまだである。

なにはともあれ、大人数用にこたつテーブルを出すことにしたが、脚が見つからない。35分間の捜索の末、仕事部屋のクローゼットから発見。よくぞみつけたものだ。というか、なんでこんなところに仕舞ってあったのだ?

そういうわけで、開宴2時間前にメニューが決まり、仕入れに行って調理を始めたのが1時間前。ひいひい。作ったのは下記のようなメニューである。

1)かつをのたたき山本風
2)ヤムヌア(ただし時節柄豚肉に変更)
3)スペアリブと野菜のオーブン焼き
4)ゴイクン(各自がセルフで巻く)
5)鱈と中華ソーセージの合わせ蒸し

これにバッテラなどのいただきものや、イカゲソとかチャプチェとかシャオピン(小餅)などを作っていただいて、デザートにマンゴープリン杏仁豆腐などもあってなかなかの盛り上がりを見せたのであった。めでたし、めでたし。

しかし、私はオーブンで火傷したのが意外に重傷で痛みが治まらず、抗生物質を塗って包帯を巻く羽目になった(自分で手当したんだけどさ)。ついでにいえば、他に「ポルチーニとブロッコリーのクリームスープ」とか「豆腐チゲ」が準備してあったのだが、全員が満腹状態だったので作るのを控えたのであった。

日本対ナイジェリア。2−2の引き分け、粗い内容ではあったが、柳沢は積極的強気でやれば、やっぱりやる選手である。コイツはむしろプレッシャーのないアウェイの方がいいのかなあ。

10月8日(月、祝)

J-waveで目が覚めた。アメリカと英国が空爆開始。ああ、始まってしまった。

ブッロコリーとポルチーニでスープを作るが食欲がない。ううむ。しかもレンジのとろ火がつかない。しょうがないのでカップヌードルに昨日のゴイクンの中身を入れて朝食にする。最近、ワールドカップのチケットが当たるというので無理矢理カップヌードルを食べることにしているのだ。

ニュースを見続ける。イチローが首位打者と盗塁王になる。ボンズは73本という記録を樹立。

残り物でグラタンと、酸辛湯風なハーブのスープ、炒飯を作る。

たぶん、空爆は3,4日ほど続くだろう。各旅行会社はエジプト、トルコ、フィリピンなどへのツアーを軒並み中止にしている。

風呂に入ってまた髪を切る。もはや個人史上最短髪である。で、誤って左手の人差し指を切る。けっこう深手だったがかまわずカットを続行したらいつのまにか止血した。人間は丈夫だ。

発作的にPowerMac7300/180に電源を入れてPerformerで遊ぶ。しかし、DX7を弾くたびにフリーズする繰り返しで、いったんあきらめる。たぶん、7300のHDDの回転音が不審な響きなのでシステムの掃除または再インストールなどの復旧が必要なのかもしれない。Macは可愛がらないと拗ねるから要注意だ。

10月9日(火)

天気がいいので、洗濯する。久しぶりにいつもの喫茶店へ行って日記を書く。おお、もう2時間もたっている。

そういえば、アメリカと中国もワールドカップ出場を決めた。それはおめでとうなのだが(とくに中国は初出場だ)、これで本番の警備には対フーリガンに加え対テロという重大な課題が加わった。実はイスラエルもわずかながら出場の可能性が残っている。

10月9日(火)(承前)

ポルチーニのスープはカレーにする。なんかもったいないけど。豆腐チゲと鯖の塩焼きでランチ。

トルコ帰りの某所を襲う。ケバブ屋で、じっと見ていると「食うか?」と肉をくれるらしい。素晴らしい性格だ。さらに、知らない人の結婚式にまで闖入して歓迎されたとか。じつにいい国だ、トルコは。

10月10日(水)

ハム丼、ニラ豆腐汁で朝食。

カレー、みつばニラ汁で昼食。

カレー、豆腐汁で夕食。

ということで、あんまり代わり映えのしない日だった。


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