Bon Voyage!
ASIA AT RANDOM

WONDER ISLAND BALI with Family

バリ5日目、ウブド2日目。市場で健闘(?)。

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3月31日(土)市場、秘密作戦、日光浴、ケチャ。

朝の光を浴びてテラスでくつろぐ。


テラスからのパノラマ。

昨日までの写真をPB2400でスライドショーにして見せる。とくにトド×オットセイ×ラッコの怪獣大決戦シリーズが大好評であった。あまりに受けたので通信する時間がなくなった。アホかも。

予定のない散歩。

というわけで、今日はウブドを満喫するべく、朝から散策。昨日の夕方同様、メインロードを東へ歩く。姪と甥はこの道を歩くのは初めてになる。急に姉が姪を呼び止めた。なんとこの16歳の娘は巻きスカートを後ろ前に着ていたらしい。180度回して修正するも、正面の部分に座り皺ができている。あ〜あ。こういう「うつけ者」には、こう言うしかない。

「アホウ〜、アホウ〜!」

10歳の甥と声を合わせて笑ってやる。

実は計画のない散歩。

おなかが空いているのだがめざす<トゥトマック>はちょいと遠い。<カサ・ルナ>でもよかったかもしれない。しかも、ようやく<トゥトマック>に着いたらまだ開店前だった。アチャア〜。

仕方ないので、近所の<Pondok Pekak Library>へ案内する。まあ図書館ですな。ここの2階で読む分には無料である。その2階は風が通り抜ける上に布団があって昼寝に絶好。ここで時間をつぶしてもらう間に私のティンクリックの先生である「さぶちゃん」を探す。そう、ここは私のレッスン場なのだ。

しかし、さぶちゃんは不在。まあ、また来るからいいか。

市場へと出動準備。

そうこうするうちに時間になったので<トゥトマック>で朝食。私はここの2階の奥、窓側の座敷席が好きなのだ。実はルピアの現金があまりに早くなくなるので補給しないといけない。記憶をたどって最寄りのATMを思い出すが・・あまり近くない。しょうがないのでひとりで往復する。ぜいぜい。

現金を装備したところで市場へ。近道しようとして見事に道を間違えた。なにしろ行き止まりの小道へ全員を引き連れてしまったのでは言い訳のしようがない。でも、言い訳したけど。

市場の入り口付近ですでに圧倒されている面々。いろいろ買いたいモノがあるらしいのだが、「どの店がいいの?」という以前に「何軒あるの?」「どこまで続いているの?」と押されまくり。あとが思いやられる。

一手に値切りを引き受け孤軍奮闘。

で、ドレスというかアッパッパーというか、そういうものを3着と子どものTシャツ1着で21万ルピア。小さなバリ猫の木彫り4個で10万ルピア。バリ塩500gを6袋で5万ルピア。言い値から2−3割ほど交渉して安くしてもらう。

とくに衣類はかなりタフな交渉になった。言い値の合計が出た途端に「帰ろう」ときびすを返すパフォーマンスをして、しばらく粘ってから子どもTシャツをダシにして妥結。私は売る方も買う方も笑顔で握手できる買い物をめざしているので、そんなにあくどく値切っているわけではない。それでも交渉を5分もしていると、同行者たちがあからさまに「もう値切らなくていいから早く買え」という顔つきになるので、交渉役としてはやりにくいことこの上ない。なので、バリ猫と塩はテキトーに妥協。

一同散開。

ここでいったん解散。母と甥は<イバ>へ帰り、姉と姪はさらに買い物へ。私は単独行動。しかし、母も姉も方向をすでに誤って把握していたため、まず母と甥を正しい通り、正しい方向へ送り出す。

つづいて、どうにか正しい方向へ歩き始めた姉と姪に追いついて怪しいガイドを売り込む。

「オハヨー、コンニチーワ、ニホンジン? カワイイネー、ドコイクノ? タクシー? トランスポート?」」
「カイモノー? サラサー? エステ? いいとこシッテルよー、ヤスイヤスイ」
「ワタシー、スコシニホンゴできる、ニホンではたらいたコトアル、ホントヨー」

というインドネシア風日本語でしつこく話しかけて、受けるというよりは嫌われた。ふん。

自分で買い物せよ。

自分に戻って、エッセンシャルオイルを買いたいらしいので<スワスティカ・ウィミンズ・ギャラリー>を教えてあげた。ここは女性アーティスト支援のショップ兼ギャラリーで、正札販売。ここで扱っているエッセンシャルオイルは間違いなくhandmade。最初は姪の質問を私が通訳していたのだが、途中から本人に任せる。このくらいの英語はできるだろう。でも、なかなか思っていることが言えないらしく、店員が私の顔を見て通訳を求める。

なんやかんやありつつ、姪は決断して買ったようだ。姉は姉でいろいろ見ては店員と話している。おお、なかなかやるではないか、と思っていたのだが。

「いやあ、とっさの時に出るのがスペイン語になっちゃうんだよねえ」

姉は実はスペイン語科だったのだ。忘れもしない、私が高校3年(受験生!)の夏休み、自分のスペイン語の宿題のために弟(私のことだ)を会話の練習台に仕立てたのだ。おかげで私は17歳にして「コモ・エスタ・ウステ?」「エストイ・ビエン、グラシアス。イ・ウステ?」とスペイン語の挨拶を会得してしまった。ああ、今でも言えるぞ。ちなみに流行歌「コモエスタ赤坂」を知ったのはそのあとで、「このタイトルは文法的におかしくないか?」と思ったものであった。

ついでに言えば、この姉は私が中学3年(受験生!)の時、自分の数学の宿題(つまり高1の問題ね)を弟(私のことだ)にやらせていたのだ。「ほら、この問題が解けないと高校に行けないぞ」とか言って、いたいけな14歳を騙して、だ。しかも悔しいことに私はそれを無報酬でやっていた。さらに恐るべきことに、この事実を私はきれいさっぱり覚えていないのだ。「ああ、お姉さんは親切にも受験の手伝いをしてくれているんだ」と本気で信じていたらしい。なんか、無茶苦茶悔しいぞ。

秘密作戦開始。

それはともかく、姉と姪も<イバ>へ戻るというので別れ、本格的に単独行動。

まずインターネット・カフェ<B@li3000>に行って、プリントアウトしてきた写真を渡す。

某ホームステイに行ってワヤンとアグースの写真をクトゥに預ける。ワヤンはふるさとの村の祭礼らしく、10日ほど戻らないそうだ。また、夏に来るからそのときはよろしく。

<ガネシャ>でバリ・カレンダーを発見。外国人向けおみやげのカラー図版入りだが、下半分は伝統的なバリ・カレンダーだし、すでに半額8500ルピアになっていたので2本買う。とにかくオダラン(祭礼)その他はこのカレンダーがないとわけがわからないのだ。バリ人に聞いても、まずカレンダー見るもんなあ。

ふたたびLibraryへ行く。しかし、さぶちゃんはやはり不在で午後3時くらいから顔を出すという。ふうむ。メールで来ることは知らせておいたのだが。

ベモで帰る。

というわけで、王宮まで歩いてからベモを拾う。ちょうど小学生の帰宅時間で(バリでは校舎不足のため、授業は午前と午後の2部制)、車内はすし詰めで好都合。なぜ好都合かと言えば、がら空きのベモに乗るとタクシーとしての料金を請求される羽目になる恐れがあるからだ。

<イバ>を視認してベモを降り、2000ルピア払う。ここで「いくらか?」などと聞くと法外な値段をふっかけられかねないので、黙って自分で考えた額を払うべし。地元相場はたぶんこの半額以下だが、観光客でしかも高級ホテルに滞在していることを考えれば、この場合この値段で私はいいと思う。日本円なら25円もしないのだ。

I am the Darth Vader!

部屋に戻ってすることと言えば・・プールであろう。バスタオルをまとい、ダースヴェイダーのテーマに乗ってプールサイドから一挙にプールに直立したまま飛び込む。あまりに面白いので、姪にムービーを撮影させる。1回テストしたら回っていなかった。「NGじゃないか! カメラマンがNG出してどうする!」と一喝してやり直し。

2度目のテイクでは完璧。見事に10歳の甥をつかまえ、振り回し、水面に投げ下ろすまでが長回しで捉えられている。うわはははは。見返すたびに「アホだ。完璧にアホだ。どうしようもないアホだ」と感嘆と賞賛の声が耳にこだまする。いやあ、あまりの身内の恥にこれは門外不出にしよう。

ということをやっているうちにエステの時間がやって来て、まず姉と姪を送り出す。1時間後につづいて母。すっごく気持ちいいらしい。

プールサイドでカクテル飲んで日光浴。

バリ島の午後はいつスコールが来るかわからない。でもせっかくなので、デッキチェアにバスタオルを敷いて日光浴。ミニバーからビンタン・ビールとウォッカのミニチュアを出してきて傍らに置く。あとはサングラスで目を保護するだけ。私は日光浴のときには本を読まないのだ。というよりは、生涯にいままで日光浴なんて数回しかしたことないが。

10歳の甥が「ボクもする!」と言って真似っこする。もっとも彼はコーラとゴーグルだが。

誰の邪魔も入らない昼下がり。寝転がると熱帯の花と青空しか目に入らない。


え〜、熱帯の花と青空。

秘密作戦その2。

さすがに引率疲れらしい。しかし、行かなければならないところがある。4時過ぎに出かける。

<カフェ・テガル>へ。マディやその他の子の写真を届けるためだが、食事を摂る時間の余裕はないのが心苦しい。そーっと行ってのぞいていたら、後ろから声がした。

マディだった。ちゃんと覚えていてくれたのだ。

またまたLibraryへ。奥をのぞくと、さぶちゃんがいた。再会を祝す。忙しくてメールを全然見ていない、ということだった。おばあちゃんが亡くなってセレモニーの準備が大変らしい。今日も「魂を呼んでもらう特別な人」にお願いに行っていたのだそうだ。なにはともあれ、明日の午前10時からレッスンをお願いする。

ケチャをはじめとするトランス・ダンスの数々。

急いで帰ったがもはや6時。もうマデは来ている。そういえば昼食を省略しちゃったなあ、と思っていたら姉と姪が<カサ・ルナ>でパンを買い、バリ・コピ(コーヒーね)のルームサービスをオーダーしていた。しっかりしているではないか。

そういうわけで20分遅れでケチャ・ダンスへ出発。昨日よりも会場はさらに近いので車なら5分で着く。開演35分前、左手コーナー最前列に5人分の席を確保。このパダン・トゥガル集会場のあたりは昨年夏のウブド滞在中の私の生活圏なので、自分の家に帰ってきたような安心感がある。

さて、ケチャ・ダンスはなんといっても男性コーラスの複層的なリズムが聴きモノである。いまやラーマーヤナなどのストーリーを取り入れて派手な演出になっているが、ケチャ・コーラスだけでも飽きないものだ(少なくとも私は)。

さらにサンヒャン・トゥダリという、初潮前の少女によるトランス・ダンスがある。ケチャも、もともとはトランス状態を作り出すための音楽・踊りらしいのだが、サンヒャン・トゥダリはもろに「巫女」状態を作るための踊りであって、踊り子は終始目をつぶっており、クライマックスでは倒れ込んで介添え役の女性に助け起こされる。観光用の踊りとはいえ、いまだにそうした儀式的な要素は随所に見てとれる。たとえば、踊り子は地面に足を触れないように抱え上げられて入場する。


サンヒャン・トゥダリ。

最後もトランス・ダンス、いわゆるファイヤー・ダンスである。燃え上がる椰子の皮を素足で蹴散らし、歩き回る。これは、見ている方も熱気で暑いくらいのもので、こんなことを週2回もやって大丈夫なんだろうか?

理論的には「ごく一瞬、皮膚全体でなく局所的に高熱に触れるのは可能」と思えないこともないが、ここはやはり「霊が降りてきて宿っているのだ」と信じるのが素直なのだろう。

ガキの使いどころ。

というわけで、ケチャのあとは<べベッ・ブンギル>でロースト・ダックやらドランクン・チキンやらフェトゥチーネやらを食す。デザートも食べたい、と姪が言うので自分で「menu for dessert, please.」を言わせる。姉にいたっては、デザートのショーケースを見に行ってメニューに載っていないストロベリーケーキをゲット。甥には「check please.」を言わせる。こういうとき、10歳くらいのガキをダシに使うといっぺんに雰囲気が和むので重宝する。

今夜もマデに送ってもらう。<イバ>に着き、さっきのレストランで味をしめた私はまたも甥に「ドゥア・ヌル・サトゥ(201)」と言わせて部屋の鍵を受け取ろうと思ったのだが、フロントのお姉さんはすでに鍵を手に持って私たちを待っていた。ううむ、できるな。しからば、と「ありがとう、ってなんて言うんだ?」と甥に「テリマカシ!」と無理矢理言わせたところ、大変受けた。

よしよし。今晩は寒いのでもうプールには入らない。エアコンもいらない。昨晩寒かった姉は因縁のエキストラベッドで寝るそうだ。ちなみにトドこと姪は、昨晩ベッドから落ちかけたらしい。

photography and text by Takashi Kaneyama 2001


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